明日は明日の風が吹く

60にしておひとりさまに。
この先、どんな人生になるのやら?

毒舌健在なり

2024-06-30 | 母との確執
先日、久しぶりに母のところに行った。
「母の日」以来だからひと月半ぶりか。

私の顔を見て誰かわからない様子。ジーっと凝視している。
「こんにちは~。元気だった?」
「はい、おかげさまで」
このあと、どなたですか?と言われるのが怖くて、
いつもなら「〇〇だよ」と自分から名乗ってしまうのだが、
今回は黙っていたら、「あぁアンタか」と。
「ほんまに久しぶりやな~。どうしてたん?具合でも悪かったん?」
といつもの調子。内心ホッとする。

そうやねん、このところめまいはするわ歯医者も行かなアカンわで・・・と話し出すと
「そら大変やなぁ。アンタも年取ったっちゅうことや」
ハイハイ。仰せの通り。

母の好物の甘いものを差し出すと大喜びで、「さっそくいただくわ」
小豆の甘納豆を食べ始めた。
それを見ながらどうということのない話をしたが、
母は相槌を打ったり、ちょっとコメントしたり、笑ったりしながら聞いていた。

どこからどう見ても認知症の人には見えない。
受け答えはちゃんとしているし、辻褄が合わないことは言っていない。
長く話すとおかしなところが出てくるが、
たまにしか会わなければまず気づかない。

ユーモアと毒舌も健在だ。
これは相手の言葉に即座に反応する反射神経がないと出来ない技だ。

ユーモアといえば、今度行くアフタヌーンティーのことを説明していた時。
「昔イギリスの貴族がおやつを一杯用意してお茶飲みながら楽しんだんよ。
 それの真似事。7月は夏用のメニューやよ」
と言うと、
「ソーメン、ある?」🤣🤣🤣 
(もしかしてソーメン食べたかったん? ボケてる?マジ?)


そんなひとが実は数分後にはすべて忘れているし、
昨日のことはもちろん今日私が来たことも忘れる。
今が何月でここがどこで、などわからない。
見当識と短期記憶が全く欠如している。
脳のどこやらの血流が悪いだけなのに。
しかし刹那刹那に生きるというのはどんな感じなのだろう。
私もそうなるのかな。
母の姿を見ながらそんなことをぼんやり考えていた。





「そろそろ帰るわ」と立ち上がると、
「気ぃつけて帰りや。アンタ、杖ついたら?」

(; ̄O ̄)!

えー!めまいの話を覚えてた? ザブトン1枚!
それにこのセリフはいつも私が母に言っている言葉なのだ。
誰かの手にすがって歩く母に、「無理せんと杖ついたら?」

しっかり返ってきた。
すごいやん反射神経! やるな~毒舌健在なり。

95歳の老婆が杖なしで歩き、その横を71歳の娘婆が杖ついて歩く絵を想像して、
帰りのバスでひとりニヤニヤしていた。




クラスター発生中 (゚O゚;) ( 追記あり)

2023-12-02 | 母との確執
昨日弟からメールあり、
母の入居している施設でコロナのクラスターが発生していると。



久しぶりに聞いた、クラスターという言葉。
まだまだ高齢者施設ではコロナ騒動は終わってはいないということね。
職員さんも大変だ。

しばらくは面会も外出も禁止、談話室、食堂も閉鎖、
食事は居室配膳、ということになった。
要するに入居者は自室に閉じ込められているということだ。
これは辛いだろうな~。

母に電話したら、「私は大丈夫」
ふた月ほど前に罹ったからまぁ大丈夫とは思うけど。

「別にどうってことないわ。退屈してるヒマなんかないねん。
 テレビ見たり歌ったり塗り絵したりしてる」
と相変わらずの強気な受け応え。
おそらくテレビも塗り絵もせずに昼寝してるんだろうけど。

「なんで電話してきたン?」
「いや、退屈してるんとちゃうかな、寝てばっかりいるんとちゃうかな~と思ってサ」
「そんなことない、私は昼寝は絶対せぇへん」(ハイハイ)
「アンタこそ風邪ひかんように無理せんように。
 もう12月やもんな~(おっ、時間の見当識あるやん)腰痛いのに大掃除なんかせんでええよ」
逆に心配されてしまった。

自分の置かれている状況をわかってるんだかわかってないんだか。
まぁいいわ。元気な声で安心した。

大掃除、サボろうかな




12/2追記

弟から連絡あり、
今朝母も発熱し、検査の結果コロナ陽性と。
9月中頃に罹ったばかりなのに、たった2か月半でまたもや感染発症です


父の命日、母の誕生日

2023-11-24 | 母との確執
11月22日は母の誕生日、翌23日は父の命日だった。
久しぶりにいつものメンバーで墓参りへ。



途中、「三色彩道」を通ったら案の定、路駐して道路の真ん中まで出る人も。
ほぼホコ天状態である。

三色彩道(さんしきさいどう)、いつからこう呼ばれるようになり、名所になったのだろう。
その昔私が住んでいた頃はどうってことのない普通の道路だった。
いわゆる大規模開発で山を切り開いて作ったニュータウン、
味もそっけもないコンクリートの街で、樹木も貧弱だったが、
さすがにオールドタウンとなった今は街も木も成熟し、名所まで出来た。
三色彩道に限らずこの街はどこもきれいだ。
いわゆる自然発生的な猥雑さがない。いいんだか悪いんだか。

父が亡くなって13年、今でも斎場へ向かう途中のイチョウ並木の鮮やかさが
目に焼き付いて・・・と毎年ここで書いているような






墓参りのあとは久しぶりの中華。
→ ここ

どれもおいしかったが、チーズや洋梨を使ったり、多分に西洋化しているような。
いわゆる映え狙いもあるのかしら。
私は花椒の効いた本格的四川麻婆豆腐が一番おいしかった。

中華風オニオングラタンスープには油面筋なるものが浮かんでいた。
たこ焼きのような形の揚げ麩。半円形で中にひき肉が詰めてある。
油条は知っていたが油面筋は初めてだった。

母もゆっくりではあるが麻婆豆腐以外、ほぼ食べた。
春巻きの皮や蒸しパン、柿はちょっと硬くて嚙み切れず、手伝いが必要だったが。

サ高住では三食しっかり食べて、規則正しい生活をしているようだ。
それだけでも安心できる。



その母、めでたく95歳となった。
歩くときには念のため腕を貸すが、しっかり1人で歩いている。
私のこともまだ忘れてはいないようだ。
時々トンチンカンなことを言うが、一応会話も成立している。

誕生日プレゼントを何にしようか、今回は散々迷った。
迷った挙句、冬用の靴下4足と板チョコブラック1枚(笑)
いくらなんでもこれだけじゃちょっと、と思って
そうだ、いつも孫たちの誕生日に作っているカードを作ろうと思い立った。
夏に仏壇の前で撮った写真と無料イラスト素材を使って合成画像を作り、
それを写真プリント用の光沢紙に印刷して百均のフレームに入れた。
どこまでも安上がり路線🤣




「いやぁ~何やのンきれいやな~、八千草薫みたいやん」

と母は宣った



ひと月ぶりの面会

2023-10-19 | 母との確執
サ高住に入居した母に、ひと月ぶりに会いに行った。
このひと月で電話で話したのも一回だけだし、
「アンタ、誰?」と言われるかと思ったが大丈夫だった。

デイサービスには約1年半通ったし、ケアマネさんは毎月訪問してくれたのに、
とうとう最後までひとりのスタッフさんの顔も名前も覚えられなかったのだ。
孫やひ孫の名前はもうとっくに忘れている。

「どう?ここにはもう慣れた?」
「うんまぁまぁやな」

食卓と椅子(一脚だけ)、ローテーブルやキャビネットなど
家から運び込んだ見慣れた家具が置いてある。
前の広いリビングよりこじんまりと居心地良さそうだ。
入所時はコロナ騒ぎでゆっくり部屋の中を見る余裕もなかった。

会話はほぼ私が質問して母が答えるが、どれも当り障りのない答え。
ほんとに私とわかってる? あまり目も合わせない。

「何か欲しいものやしてほしいことがあったら、
 〇〇さん(義妹)かスタッフさんにちゃんと言うんよ」
まず自分からは言わないことはわかっているが、一応言っておく。






テーブルの上に塗り絵の本があった。こないだ私が買ったもの。
「あら、一枚も塗ってないやん」
「もうちょっとしたらやるわ。まだ二日やからそんな気にならへんねん」
「??? 何が二日?」
「まだここに来て二日しか経ってないから、どうにも落ち着かん」

( ̄□ ̄;)!!

「今日は10月の17日よ。ここに来たのは9月の26日。もう3週間経ってるんよ」
「えー、そうやった?」
やっちまったぜ、という顔の母。話題を変えてくる。

「知らん人が部屋に入ってくるねん。黙って入ってきて、私のモノを盗っていく」
「誰が入ってくるの?職員さん?それともほかの利用者さん?」
これには答えず、
「ノックも挨拶もせんと勝手に入ってくるんよ」
「何を持って行かれたん?」
しばらく部屋を見まわして、「ティッシュ。ティッシュの箱」
「ふーん。今度入ってきはったら、やめてくださいって言いね」

見回して目に入ったのがティッシュの箱。作話っぽい。
でも物盗られ妄想は前からあるし、怒り顔で真に迫った話し方をする。
「前はお父さんの大理石の時計を盗られたし」
大理石の時計?何だそりゃ?
これ以上妄想が昂じなければいいが。

感情が露わになったのはこの時だけで、
あとは何を思っているのかどう感じているのか、
居心地いいのか悪いのか、表情からは読み取れない。

爪が伸びていたので、切ってから帰った。
おそらく部屋を出た瞬間にもう私が来たことは忘れているだろうね^^;




サ高住というところ

2023-09-30 | 母との確執
9月26日、元気になった母は改めてサ高住に入居した。

心配したコロナ感染も大事に至らず、
結局発熱した日の夜にはもう解熱し、咳や咽喉の痛みもなかったという。
これは処置が早かったおかげか、ワクチンをせっせと打っていたおかげか、
それとも母の身体が見かけによらず丈夫に出来ているおかげか。

弟によると、一週間一緒に暮らしてみて母の一日の過ごし方がわかったという。
朝7時ごろに起きて朝食を食べ、そのあと昼寝をする。
12時ごろ昼食を食べたあとも昼寝をする。
夜は9時ごろに寝て、夜中に必ず1,2回トイレに起きる。
大概寝起きでぼーっとしたまま食事となるので、朝の7時か夜の7時かわかっていない。

やっぱりそうか。ほとんど寝てるやん。でも母は私に、
「私は昼寝は絶対しないから夜ぐっすり眠れる。トイレにも起きない」
と自慢げに言っていたのよ。アレは何だったんだ?

「昼寝したこともトイレに起きたことも、きれいさっぱり忘れてるからだ」と弟。
はあ~。ある意味すごいね。




(学研ココファン様記事より拝借しましたm(__)m )


さてサ高住というところ、いったいどういうところなのか。

ということでちょっと調べてみたら、サ高住=サービス付き高齢者向け住宅

読んで字のごとく高齢者向けの賃貸「住宅」であって、「施設」ではないのだった。
従って、施設入所ではなく住宅入居。
(前の記事で入所と書いたが正確には入居と書くべきでした^^;)


次に「サービス付き」と謳っているが、このサービスとは何かというと、
「安否確認」と「生活相談」。
具体的にどんな安否確認をしてくれるのか、電話対応なのか部屋まで来ての確認なのか、
生活相談って?何の相談に乗ってくれるの? よくわからない。
で、一番ニーズのありそうな介護サービスは、このサービスとは別建てになっていて、
別途、介護度に応じた保険料を支払って利用する。
(サ高住には一般型と介護型があり、母が入居するのは介護型)

母は要介護1。これまでは週に3回のデイサービスとヘルパーさんも短時間ではあるが頼めたが、
今度はデイは週に1回という。
おそらくサ高住での入浴介助や服薬管理をお願いしているので、
サービス提供を限度内に収めるにはデイの回数が削られてしまうのだろう。
ちょっと物足りない。

24時間介護職員常駐だが、看護師は?
看護師は各自訪問看護師と契約するらしい。
従って専従の看護師はいない?
医師は提携先の医師が定期的に訪問し、緊急時には駆けつけてくれるらしい。

以上、契約した弟から聞いた話である。
老健での経験がある私はつい比べてしまって、夜間に何かあったら対処できるのか、
などと心配になってしまうが、
サ高住の入居者は自立~要介護2までがほとんどらしいから、
老健のような身体介護の必要な人も少なく、
やれ医者だ、緊急搬送だ、などということは起こりにくいのかもしれない。

そう、サ高住は住宅であって介護施設ではないのだった。
手厚い介護を望むのは無理というもの。
元気な高齢者であれば、プライベート空間を維持しつつ、
お仲間とのワイワイ楽しい日々が送れるかも。
でも認知症のある母にはどうなのか。



見守りがあって、3食きちんと食べてきちんと薬が飲めて、入浴も出来て・・・
という最低限の願いは叶うだろう。
でも介護型を謳うにしてはその中身が中途半端な気がする。
それで真ん中すっ飛ばしていきなり看取りもOK というから、
「???」である。