いまだにすべて夢の中の出来事だったんじゃないかと思う時がある
それぐらい実感が伴わない出来事だった…。
でも確かに私の身に起きたこと。
… 私は去年の今ごろ、離婚した。
離婚を決意するに至るまでの話は長くなるので書かないが、
やっぱり夫を信頼できなくなったことが一番大きい
子どもたちはもう手が離れて独立しているし、
「オマエは家の犠牲になれ!」なんて平気で言う人と
残りの人生、ガマンして一緒に生きるなんてもうイヤだ。
と、一大決心。いわゆる熟年離婚ってやつ
絶対、離婚なんて認めない!と頑なな夫、
財産分与の話などとんでもない、逆にわけのわからない慰謝料まで要求してくる始末、
話し合いなどできる状態になく、無駄に数年が過ぎ…
なんとか調停に持ち込み、年金分割を勝ち取って
調停成立したのが去年の10月。
ヤレヤレ と思ったのも束の間、
10月末に夫が肝臓癌の末期であることがわかった。
C型肝炎→肝硬変→肝臓癌と長い年月を経て悪化していたらしい。
入院した時点でもうすでに手遅れだったと。
そして11月初め、あっという間に亡くなってしまった。
何が何だか、狐につままれたようだとはまさにこのこと。
ついこないだまで元気に晩酌していた人が、
癌の末期? 手の施しようもない? 残るは緩和ケア?
先生、何を言ってるの
癌の痛みは我慢できるものではないと聞いていたのに
夫は痛がる様子もなく、フツーだったよ?
とにかく約2週間入院しただけで、夫は逝ってしまった。
ある意味、これもピンピンコロリで幸せな死に方かもしれない。
闘病してないので、やつれていない綺麗な死に顔だったし、
家族は看病疲れも生活苦もない。
だけど…
私がもっと早く気づいてあげればよかったのか。
元気が取り柄で、実際30数年の結婚生活で一度も寝込んだことのない人に
もっと健診を受けろ、人間ドックへ行けと、うるさいぐらい言えばよかったのか。
いや、円満な夫婦だったら自然に気づいていたのか。
郷里に残した母親の面倒をみるという理由で
夫は週の半分を郷里(関西)、半分を自宅(関東)という
身体にしんどい二重生活をしていた。
私が「犠牲」になって郷里の姑の世話をしていたら
こんなことにはならなかったのだろうか。
一時は夫にバチが当たった、天罰が下ったと思ったけれど、
時間が経つと自責の念がジワジワ、ボディブローのように効いてくる^^;
夫の死後、息子が相続手続きのために夫の預貯金を調べていたら
借金だらけであることがわかった
カードローンなんて、担保がなくても借りられてしまうんだからびっくり!
そして一昨年亡くなった義父の残した預貯金も、
借金返済のためか、勝手に一部使いこんでいた。
どうやら株につぎ込んでは損を出していたらしい。
道理で、私が共有財産分割の話をすると激怒したわけだ。
女もいたことがわかった。
夫はなんとその女を住み込みのお手伝いさんとして
実家に入れて姑の世話をさせるつもりだったらしい。
これは息子が夫の携帯の履歴を調べるうちにわかった。
それまで離婚に反対していた息子が私に、
「なんでもっと早く離婚しなかったんだ」と怒った(爆)
ピンピンコロリもいいけれど、身辺綺麗にしてからになさいませ。
一番知られたくないであろう息子に一番知られたくないことを知られた夫も哀れだが、
父親のサイテーな姿を知った息子がほんとに可哀想だ。
息子に先立たれ、嫁には逃げられ、ひとり残された姑も可哀想だ。
(もし調停が成立していなかったら、今ごろ私は…{{{{(+_+)}}}})
離婚後、私は自分の荷物だけ持って家を出るはずだったのに
まるまる家一軒を処分することになり(徹底的に断捨離決行)、
必要最低限のものだけ持って、母がひとり暮らす実家に戻った。
母とは昔から折り合いが悪かったが、背に腹は代えられない。
実家があるだけでもありがたい。
とはいうものの、やっぱり母とはケンカの日々…^^;
その話はまた別の機会に。
実家に戻って半年。
今でも朝目覚めた時に
「あれ?なんでここにいるんだろ」と思う時がある。
ウソのような話でしょ。
でも現実の話です。
悲惨な話を最後まで読んでいただきありがとうございましたm(__)m
それぐらい実感が伴わない出来事だった…。
でも確かに私の身に起きたこと。
… 私は去年の今ごろ、離婚した。
離婚を決意するに至るまでの話は長くなるので書かないが、
やっぱり夫を信頼できなくなったことが一番大きい
子どもたちはもう手が離れて独立しているし、
「オマエは家の犠牲になれ!」なんて平気で言う人と
残りの人生、ガマンして一緒に生きるなんてもうイヤだ。
と、一大決心。いわゆる熟年離婚ってやつ
絶対、離婚なんて認めない!と頑なな夫、
財産分与の話などとんでもない、逆にわけのわからない慰謝料まで要求してくる始末、
話し合いなどできる状態になく、無駄に数年が過ぎ…
なんとか調停に持ち込み、年金分割を勝ち取って
調停成立したのが去年の10月。
ヤレヤレ と思ったのも束の間、
10月末に夫が肝臓癌の末期であることがわかった。
C型肝炎→肝硬変→肝臓癌と長い年月を経て悪化していたらしい。
入院した時点でもうすでに手遅れだったと。
そして11月初め、あっという間に亡くなってしまった。
何が何だか、狐につままれたようだとはまさにこのこと。
ついこないだまで元気に晩酌していた人が、
癌の末期? 手の施しようもない? 残るは緩和ケア?
先生、何を言ってるの
癌の痛みは我慢できるものではないと聞いていたのに
夫は痛がる様子もなく、フツーだったよ?
とにかく約2週間入院しただけで、夫は逝ってしまった。
ある意味、これもピンピンコロリで幸せな死に方かもしれない。
闘病してないので、やつれていない綺麗な死に顔だったし、
家族は看病疲れも生活苦もない。
だけど…
私がもっと早く気づいてあげればよかったのか。
元気が取り柄で、実際30数年の結婚生活で一度も寝込んだことのない人に
もっと健診を受けろ、人間ドックへ行けと、うるさいぐらい言えばよかったのか。
いや、円満な夫婦だったら自然に気づいていたのか。
郷里に残した母親の面倒をみるという理由で
夫は週の半分を郷里(関西)、半分を自宅(関東)という
身体にしんどい二重生活をしていた。
私が「犠牲」になって郷里の姑の世話をしていたら
こんなことにはならなかったのだろうか。
一時は夫にバチが当たった、天罰が下ったと思ったけれど、
時間が経つと自責の念がジワジワ、ボディブローのように効いてくる^^;
夫の死後、息子が相続手続きのために夫の預貯金を調べていたら
借金だらけであることがわかった
カードローンなんて、担保がなくても借りられてしまうんだからびっくり!
そして一昨年亡くなった義父の残した預貯金も、
借金返済のためか、勝手に一部使いこんでいた。
どうやら株につぎ込んでは損を出していたらしい。
道理で、私が共有財産分割の話をすると激怒したわけだ。
女もいたことがわかった。
夫はなんとその女を住み込みのお手伝いさんとして
実家に入れて姑の世話をさせるつもりだったらしい。
これは息子が夫の携帯の履歴を調べるうちにわかった。
それまで離婚に反対していた息子が私に、
「なんでもっと早く離婚しなかったんだ」と怒った(爆)
ピンピンコロリもいいけれど、身辺綺麗にしてからになさいませ。
一番知られたくないであろう息子に一番知られたくないことを知られた夫も哀れだが、
父親のサイテーな姿を知った息子がほんとに可哀想だ。
息子に先立たれ、嫁には逃げられ、ひとり残された姑も可哀想だ。
(もし調停が成立していなかったら、今ごろ私は…{{{{(+_+)}}}})
離婚後、私は自分の荷物だけ持って家を出るはずだったのに
まるまる家一軒を処分することになり(徹底的に断捨離決行)、
必要最低限のものだけ持って、母がひとり暮らす実家に戻った。
母とは昔から折り合いが悪かったが、背に腹は代えられない。
実家があるだけでもありがたい。
とはいうものの、やっぱり母とはケンカの日々…^^;
その話はまた別の機会に。
実家に戻って半年。
今でも朝目覚めた時に
「あれ?なんでここにいるんだろ」と思う時がある。
ウソのような話でしょ。
でも現実の話です。
悲惨な話を最後まで読んでいただきありがとうございましたm(__)m