なんという人生だったのだろうね。
私はノンポリだったけど、あの頃の空気は覚えている。
某大学の受験の時はバリケードの中を受験票を見せて入った。
前日泊めてもらった大学の女子寮は壁にヘルメットが並び、殺伐としていた。
(ちなみにこの大学は見事落ちた)
卒業式は(まだ一部暴れている学生がいたので)市の公民館で平服で行われ、
卒業証書をもらうだけだった。
三菱重工爆破事件の時は、ちょうどその日に父が東京出張だったので
遭遇していないかと心配した。無事帰ってきてよほど嬉しかったのか、
おみやげが榮太樓飴だったことも覚えている。
ひとつ上の従兄が学生運動をしていて、
就職ではノンポリよりゲバ棒振ってたやつの方が採用される。
とか言っていた。
桐島のような学生はあの時代どこにでもいたかも。
一つ間違えば、誰でも桐島だったかもしれない。
そのあとの世代は白けてしまって「三無主義」とか言われ、
熱も何もなくしてしまったが、
この人はほぼ50年逃げ隠れしながらも、
まだ心中では闘争を続けていたのだろうか。
それとも変節したのだろうか。
いつかどこかの時点で間違いに気づいたのだろうか。
自首すればいいものを、なぜ倒れるまで頑張ったのか。
最期は本名で死にたかったのは、悔い改めたからか、諦めか。