明日は明日の風が吹く

60にしておひとりさまに。
この先、どんな人生になるのやら?

久しぶりに脳みそフル回転^^;

2016-03-28 | ひとりごと

昨日は大学時代の仲間が我が家にやってきた。

卒論のテーマが一緒だったのを機に仲良くなった4人組、
その後もつかず離れずのお付き合い、
子育てが一段落してからは年に一度会うぐらいだったが、
気がつけばもう40年以上…




      ↓   ↓   ↓



               



古い写真を見ながらキャーキャーワーワー、
若いコみたいに自撮りしてはキャーキャーワーワー、
はしゃぐオバチャンたち

せっかくだから、Facebookやろうということになり、
ひとり詳しいのがいるので
彼女に教わりながら、うちのPCでアカウント登録からグループ作りまで
なんとか4人ぶん。

私は以前登録していたのだが、もうすっかりやり方忘れてるし^^;

久しぶりに脳みそフル回転させて、疲れた!


スマホに替えたばっかりのコがいて、
彼女は連日の脳みそ酷使でヘロヘロになって帰っていった(爆)


容姿の劣化は致し方ないとしても、
脳みそだけはナントカ死守したいものだ 


私の気ままなひとり暮らし、思いっきり羨ましがられた 

昨日見た夢

2016-03-25 | ひとりごと

昨日は珍しく夢を見た。

まだ2,3歳のころの娘の夢。
お気に入りのピンクのタンクトップにピンクの短パンをはいて、
走り回っている。
庭にはビニールプールがあり、
その周りをぐるぐると楽しそうに走り回っている。

ただそれだけなのだが。

髪を耳の上で結わえたゴムの飾りもお気に入りのさくらんぼで、
笑い声もすごくリアルだった。
当時は社宅住まいで、庭など無かったのだけどね^^;


娘夫婦は今、マンションの購入を検討している。
消費税アップの前に買いたいと。
東京のマンションが高騰中のご時世、
ああこの子たちも
バブル真っ只中に購入した私らと同じ目に遭うのか…
なんてことを思いながら寝たせいか。

幼い頃の娘に思いがけず出会えて、
うれしいような、何かあったのではと気がかりなような



夢といえば、うんと若かった頃、
毎晩のように歯が折れて抜ける夢を見た。

歯がドミノ倒しのようにバリバリと倒れていき、
私はそれを吐き出すこともせずに口の中でジャリジャリと転がしている。
目が覚めて、ちゃんと歯があることを確認してホッと安堵するが、
メチャクチャ気分が悪い。
そのうち、これは夢だから大丈夫、と思いながら見ていた。

アレは何だったんだろう? 良い夢ではないよね^^;



空の上から墜落する夢もよく見た。
すごく高いところから海面に向けて急降下、
キャー海に激突する~~、と思ったら海面を突き抜け、
そのまま海中をもどんどん降下し、
潜って潜って海底に激突!寸前で目が覚める。
スリル満点だ。



大きな旅館みたいなところでトイレを探して彷徨う夢。
廊下をなんべんも曲がり、階段を上ったり下りたりしても、
どこまで行ってもトイレにたどり着けない。
やっとのことでたどりついたら、ドアがなかったり工事中だったり。
誰も見てないし、ドアがなくてもいいやここでしちゃおう、
と思ったとたんに目が覚める…これは今でも時々見る。

ほんとにしちゃったこともあるが、オネショはしてなかった(爆)









ゆずが売ってなかったので、100均の↑でゆず大根を作ってみたら





とても美味しく出来ました(^-^)v

突然の遠距離介護

2016-03-19 | ひとりごと

友人の場合。

彼女は逗子在住、私より6歳も年下だが、
若い頃は机を並べて共に働き、共に遊んだ後輩だ。
結婚後はどちらも関西を離れたが、横浜と逗子、近いこともあり、
時々誘い合ってはおしゃべりを楽しんでいた。

そんな彼女から昨年末、メールが来た。
実家(京都)のお母さん(80代前半)の様子がおかしいと。



お母さんは長年ひとり暮らしをされている。
耳が少し遠く糖尿病があるが、しっかりした人で、何の心配もなかった。
彼女の妹家族もそこそこ近くに居るので、時々様子を見ているという状況だった。

ところが突然、周りのみんなが私の悪口を言っている、と言い出した。
お金がなくなった、借金取りが外で待っている、
監視カメラで監視されているetc.
挙句、「泥棒がいる。お金盗られた」と自分で110番し、警察を呼んだそうだ。
警察からの連絡で、初めて母親の異変に気付いたという。

とりあえず妹の家に引き取ったものの、お母さんの異変はおさまらず、
暴力、暴言はエスカレート、孫たちは怯え、妹は一日でネをあげた。

「はよ来て!」と言われ、
彼女は取るものも取りあえず新幹線に飛び乗り、京都へ。

会うなり、お母さんは彼女を責めたてた。
なんでもっと早く来ない! おまえのせいや!

夜も寝ずに一日中、困った、死にたい、殺してくれ、という母親。
タオルや電話のコードで自分の首を絞めたことも。
彼女も神経が参ってしまい、私にSOSメールをしたというわけだ。


私も専門家ではないので何とも言えず…

お母さんの傍を離れないように、刃物類を隠すように、
何かあったら警察でも救急車でも呼ぶように、
とにかく早く医者に見せるしかないと、そうアドバイスした。



彼女と妹はなんとかお母さんを医者に連れて行き、
検査を受け、薬を処方してもらった。
何かあったらすぐに入院もできるということになった。

年が明けてすぐ、お母さんは入院となり、
検査の結果、レビー小体型認知症ではないかとの診断が出た。



今、彼女はひと月の半分は逗子、半分は京都という生活をしている。

京都にいる時は毎日、病院に母親を見舞い、数時間話相手をするというが、
母親の口から出てくるのは彼女を責める言葉ばかり。
それが日々、酷さを増す。
「息が出来んようにしてやる。殺したる!」
「お前の顔見たらイライラする。ストレスたまるわ」
先生によれば、他の人にはそんな攻撃的なことは言わないから
「娘さんに甘えてるんでしょう」

入院中に発熱し、一週間ほどベッド上の生活が続いたせいか、
自力歩行は困難になり車椅子に。踝に褥瘡(床ずれ)が出来、
排泄もオムツ(リハビリパンツ)になってしまった。
病院ではリハビリはやってくれないという。
その病院も3カ月をめどに次を考えなくてはいけない。



突然始まった、彼女の遠距離介護。

今、彼女を悩ませているのは今後のこと。

この先、お母さんがどうなっていくのか、居場所はあるのか。
金銭的なこともあるし、体力的にもつかどうかも自信がない。
休職中の仕事もいつまでも休んでいるわけにいかない。
家事能力ゼロの夫を残してくることも気になる。


そして、困ったこと。

例えば医者に連れていけ、薬を飲ませろと言われても、
具体的にどうすればすんなり医者に行ってくれるのか、
どうすれば薬嫌いの母に薬を飲ませられるのか。

言っていることを否定しない、暴言は聞き流せと言われても、
聞き流す前に必ず入ってくるから、病のせいとわかっていても
やっぱりつらい、と。

ちなみに
地べたに這いつくばって嫌がる母親を隣家のおじさんに担いでもらって
タクシーに乗せて医者に行き、
薬は好物のジュースに混ぜて飲ませたそうだ。




少し落ち着いた今、
京都四条河原町で、行き交う観光客をぼんやり見ながら、
そんな話を彼女から聞き、私も少しの経験談を話し、
それじゃあまたねと別れた。

帰り道、彼女のお母さんと私の母がダブり、
いつか私にもそんな嵐の日々が来る、と確信に近い思いがした。









記憶を整える

2016-03-10 | ひとりごと

朝日新聞に連載されている
(東日本大震災5年)私たちは変わったのか:1 記憶と忘却(2016年3月8日)


桑山紀彦氏(心療内科医)の言葉がストンと腑に落ちた。



  人間は忘れる生き物というけれど、あれほどの体験を忘れられるはずがない。
  悲しみや悔いを封じたままでは、心の傷は癒やされません。それどころか、
  つらい記憶にさいなまれ続けることになる。
  心的外傷後ストレス障害(PTSD)を薬で治すことはできない。

  重要なのは、記憶に支配されるのではなく、記憶を支配できるようになることです。
  そのために必要なのは、語ること。語って現実と向き合うこと。(中略)

誰かに語り、聞いてもらうことが第1ステージ。
桑山氏は、トラウマの特徴は断片の記憶しかないこと、という。
連続性がないので、それぞれの記憶は切り立ったままと。



  でも、体験を語り、現場に足を運んだりするうちに、欠落していた記憶を埋めることができる。
  同時に、自分を守るため無意識に切り離していた感情もよみがえる。
  そうやって記憶に感情が伴い、つながり、物語が完成すると、記憶は角が取れて丸くなり、
  心の引き出しの中にすっぽりと収まるのです。もう苦しむことはありません。
  つらい記憶を自分で出し入れできるよう、記憶を整えるのが第2ステージです。

  手芸教室を始めて数カ月後、女性たちは「閖上あみーず」というサークルを立ち上げ、
  7色の台所用タワシを作り始めました。「虹色たわし」は評判を呼び、1万個以上売れた。
  自分たちの手で生みだした商品が誰かの役に立つんだと実感できると、
  負の記憶が正の遺産に変わる。第3ステージ、「社会的再結合」と呼ばれる瞬間です。
  そうすれば、失ったものの違いから悲しみを比べて傷つけ合うようなこともなくなります。
  
  (中略)
  
  ただ、日本では、語ることの価値が十分に認められていません。いまだに「そっとしておこう」
  という空気さえある。でも、切り立った記憶をそのまま放っておいたら、
  刃のように心を傷つけ続けます。
  語ることで記憶を紡ぎ、記憶を整える。それができれば、次の一歩を踏み出せるはずです。

  (細字部分、記事から抜粋)



そうなんだ。
辛い記憶の角を取って丸くして、記憶をコントロールする…か。

心の自浄作用というか、
人の心は無意識にこれをやれているのかもしれないね。
でなきゃ、前へ進めないもの。