22日、母は無事に90歳になった
23日は父の命日。
「無事に90になりましたよ。
目も耳も口も頭もどこも悪いとこないし、歩けるし、
ホンマありがたいわ。
おじいちゃんがいつも傍にいてくれるおかげやろ思いますわ。
ひとりでも元気にやってるから心配せんといてね」
と母はお墓に報告していた。
物忘れは年相応にあるけどボケてもなく、介護の必要もなく、
ひとりで日常生活を送れていることは
子どもとしてもホントに助かる。
おかげで私も好きな時に好きなことをして過ごせている。
めでたいめでたい。
「これからも元気でいてね。とりあえずインフル注射を!」
健康診断はしっかり受けてるのに、予防接種は
「罹ったら罹った時のことや」と嫌がる。
なんでやねん!?
「老年的超越」という言葉があるのを以前の新聞記事で知った。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
高齢になると失うものばかりで、心身の若さを保つのは難しくなるが、
逆に以前とは違う「幸せ感」を感じられるようになるというのだ。
老年的超越とは
「物質主義的、合理的な世界観から宇宙的、超越的世界観への変化」
自分が宇宙という大きな存在に繋がっていることを意識し、
死の恐怖が薄らいだり、他者を重んじる気持ちが高まったりする状態
とされる。
ひとりでいてもさほど孤独を感じず、
出来ることが減っても悔やまないようになり、
周囲への感謝の気持ちが高まる。
成功や達成感を重視する若いころとは違う、
穏やかな幸福感を感じるという。
ベッドでほぼ寝たきりでも「昔を回想するだけで楽しい」
という人もいる。
どうやら、加齢に伴って心身の能力が落ちていくことを
否定的に受け止めすぎないよう、
心の状態が自然に変化していくのではないかと推測されている。
(2018.2.7朝日新聞記事より抜粋)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
母がその域に達しているとは思わないが、徐々に近づいているような?
ひとりでいてもおじいちゃん(父)がいるから寂しくないと。
強がりかと思っていたが、きっとほんとにそんな風に感じているのだろうね。
年取って、ボケたり病気になったりしても、
死ぬまで生きなければいけない長~~い人生。
ひとつひとつ、欲を手離していって、最後に残るのは・・・
本能なのか獲得した能力なのかしらないが、
心がそんな状態になるのなら、少しは気が楽だ。
私らまだまだ若造だぁね(^0^)
そんな浮世離れした境地にはとてもとても^^;
某ホテルレストランの和洋折衷コース。
今回は私と弟でご馳走した。
お肉の半分とごはん以外は母も完食。
こういうふうに少しずつ出てくると食べられると。
いや、結構なボリュームですけど^^;
最後に残るのはやっぱり食欲か~。