先日、義父が亡くなりました。22日に葬儀も終え、今は気持ちもひと段落といったところです。
ここ2年位は癌の治療に専念していた父。でも幸いな事に痛みや抗がん剤の副作用はあまりなく、一番辛かったといえば、後半、食事どころか、飲み物さえ喉を通らなくなってしまった事。また食べられるようになるまで頑張っていましたが、1月後半に発熱し入院。2月頭には熱も下がり体調も安定しはじめたので、家に帰れるようリハビリを開始していたものの、急変。
1月3日に会ったのが最後になってしまいました。コロナもあり、ずいぶん久しぶりに会った父は、とても痩せていて、顔も白く。手足が冷えて仕方ないという父の手を、マッサージしてあげました。細くて白い指が少しでも温まるようにとゆっくりゆっくり。
喜んでくれたのがとても嬉しく、またマッサージしに来たいと思っていた矢先に、コロナ感染者も増加。気軽に行くわけにいかなくなり、入院してからも私達はもちろん、母でさえ面会に行けぬという、なんとも寂しい思いをみんなが抱えていた日々。
悔しく、もどかしい。
葬儀も、本当に身内だけのお見送りでした。でも、それがかえってなんともあたたかく、ほっとする雰囲気で、きっと父も喜んでいるんじゃないかと。8歳の息子はお通夜でじぃじと会い、お参りが終わった後、さめざめと、声を出すわけでもなく、ただしゃくりあげながら、私の膝に突っ伏して泣きました。けれど、翌日の葬儀は泣かず、ただただ自分より下の子供の世話をしてやりながら、最後の最後まで父を一緒に見送りました。棺には亡くなる前日、病院に郵便で送るつもりで書いた「リハビリがんばってね」のお手紙を入れて。
小さなからだに、大きすぎる事ばかり。何を思ったか、感じたか。
葬儀の時に、初めて父の若かりし頃の写真を見ました。私は父の晩年約8年間を知っているわけですが、そこに至るまでの父の人生がどんなものであったか、私の知らない、筋肉隆々で日に焼けた20代の父を見ながら、色々、色々あっただろうけれど、きっといい人生であったに違いないと思えてなりませんでした。そこにいる全員が思い出を語り、笑い、泣き、父を想う。本人にはもう聞けないんだもの。いい人生だった証明は、残された私たちがしていくのです。
母は、私達家族が守るから、安心してください。
ありがとうございました。85年間、本当にお疲れ様でした。