義父の一周忌の法要を終えました。今回、お寺への連絡や食事の席の予約や駐車場の確認や返礼品の手配など、私がやっていたので、終わるまで気の抜けない一日でした。
全て滞りなく終えられたこと、よかったです。
毎回、我が子含めて3人のやんちゃ男子が集合するんですが、1年経ち、さらにパワーアップ。3人でとても盛り上がっていました。その雰囲気がいいですね。義父はお酒の席が大好きだったし、しんみりするより、楽しく賑やかな方がいい。
もう一年も経つのかと思うと、長いような短いような。
生前、コロナの時期でもあり、義父の体調悪くなったら尚更お家には行かないようにしていたので、この一年の方が義母とも会っている回数は多いので、なんだかずっと義父がいないような、そんな気分。それが、一年経つということなのかな。
自分が子供の頃もきっとそうであったように、子供たちにとって法事という場はきっと心地よいものではないんだと思う。堅苦しい格好をしなくちゃいけないし、お坊さんはよくわからない言葉を唱えるし、儀式じみてるし、何といっても静かに座ってなくちゃいけないし。そんな空気が3人からプンプン漂ってきてましたが、お坊さんの法話が始まるとそんな空気がピタリと止まりました。
少しご病気だと伺っていたご住職。言葉も少し聞き取りにくい部分がありました。だから尚更、全員がその言葉にまっすぐ耳を傾けたのでした。その集中した空気がとてもあたたかく、なんだか胸が熱くなりました。
回向(えこう)。お経や塔婆によって得た徳で、故人が安らかであるよう願うこと。
沢山思い出してあげて下さい。
そんな風に話してくれました。
焼香で上へのぼっていく煙を眺めながら、父を思い出していました。
この日、途中で写真を一枚も撮ってないことに気づき、携帯を見ると、息子が何かの拍子で撮った一枚のみ。
あまりにも無意識に撮られていて、一瞬、、、おとうさん?そこ、、います?
と、思うほどの斜めっぷりな写真でした。
位牌も仏壇へおかえりなさい。
引き続き、義母を見守っていて下さい。