アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

本田親徳の古神道的窮極

2022-10-13 18:30:27 | 古神道の手振りneo

◎冥想の深まり

 

本田親徳の幽斎のやり方七条は、こんな感じ。

 

1.身体衣服を清潔にしなさい。

2.落ち着いた場所で閑静な家を選びなさい。

3.身体を整えて、瞑目静座しなさい。

4.一切の妄想を除去しなさい。

5.感覚をなくし(蕩尽)、意念を断滅しなさい。

6.心と精神(心神)を清澄にして、感覚(感触)でもって乱れないようにしなさい。

7.ひたすらに(一意に)我が霊魂の天御中主大神の御許(もと)に至ることを黙然しなさい。

 

1~3は読んで字の如しで、しっかり冥想できる環境で坐りなさいということ。

それからは、だんだん冥想が深まっていき、4の自分勝手な妄想をなくす。

 

そして5の感覚蕩尽、意念断滅とは、ドン・ファンの言う時間を止めるであって想念停止が意識されている。

 

6に改めて心と精神を清澄に云々とあるのは、想念停止が起きるほどに修行が進んでも、戻ったり、悪に落ちることがあることを戒めているものと見える。

 

そして7では、霊魂が天御中主大神のところに到達するビジョンを観想するとあり、これは「無限」に飛び込むカルロス・カスタネダのイメージと重なるものがある。

 

本田親徳の古神道的窮極も、結局は中心太陽に飛び込むことをほのめかしていると思う。

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道之大本

2022-10-13 18:29:05 | 古神道の手振りneo

◎信仰に対する基本姿勢

 

本田親徳の道之大原を意識して、出口王仁三郎は道之大本を裏の神諭として著す。ただし内容的には奇異なものはなく、信仰に対する基本姿勢を述べるに留まり、一般信者向けのものとなっている。

 

○神のために尽くしたることは、必ず他の人にわからぬよう祈るべし。人のために尽くしたることは必ず人にわからぬよう祈るべし。(一章22)

 

これは善行を行う時の基本動作である。

 

○信心してから却って家の都合が悪くなったなどと悔やむ者は、神の国の罪科(とが)人なり。(一章9)

 

おかげ信心や現世利益を見返りとした信仰はすべきではない。

 

○信仰の浅きもの、近欲なるものは、神の奇(く)し働きをもとむるものなり。(二章18)

 

超能力・奇跡の待望を戒める。古神道は、クンダリーニ・ヨーガではあるが、これが原則。

 

○世の中に人のものは草の片葉をもあらじ。何れも神の造り給ひしものにして、人は神のつくられしものを借りて生けるなり。

人は裸で生まれ来たりて、また裸で去るものなり。神は人に力ある身魂を与え給ひ、またこれを奪ひ給ふ。故に生くるも神の御心なり。死するも神の御心なり。

わが頭に生ひし髪の毛一筋をも、人の力もて或いは白くし、或いは黒くすること能はざるを思へ。(十九章13)

 

これは、イエス・キリストと言っていることが全く同じです。

 

 

○神の御前に平伏(ひれふ)して一心に祈る時こそ、わが心も神に化されて神の心となるなり。その時こそ、世間(よのなか)の所在(あらゆる)痛苦と艱難(なやみ)とは、大神の御手に預かり給ふ時なれ。(二十章3)

 

大神に出会う姿をまねび続ければ、いつか出会うこともあるでしょう。

 

 

この他に信仰の道と、家族や世間との折り合いがあわなくとも、信仰を深めるべきであるという言葉が随所にあるが、今も昔もこればっかりは必ず起こること。

 

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三神系-3

2022-10-13 18:27:06 | 古神道の手振りneo

◎太陰

 

霊界宇宙における太陽と地球は、現代科学の常識とは全く異なるところにある。同様に太陰こと月も全く異なる様相で存在する。これによって、太陽、太陰、地の定義が揃い、その前提のもとに、下の三ペアが成立する。

 

太陽現界主宰神として天照大神

太陽霊界主宰神として伊邪那岐尊

太陰現界主宰神として月夜見尊(素盞鳴尊の別称でもある)

太陰霊界主宰神として伊邪那美尊

地上現界主宰神として素盞鳴尊

大地の霊魂の金勝要神(きんかつかねのかみ)

 

『太陰は特に大空大地の中心すなはち中空に、太陽と同じ容積を有して一定不変の軌道を運行し、天地の水気を調節し、太陽をして酷熱ならしめず、大地をして極寒極暑ならしめざるやう保護の任に当りゐるものなり。

 

 しかして、太陰の形は円球をなし、半面は水にして透明体なり。しかして、それ自体の光輝を有し、他の半面は全く火球となりゐるなり。今、図を以て示せば次の如し。

 太陰は大空大地の中心を西より東に運行するにともなひ、地汐をして或ひは水を地球に送らしめ、あるひは退かしむるがゆゑに、満潮干潮の現象自然に起るものなり。

 

 神諭に、

『月の大神様はこの世の御先祖様である』

と示しあるは、月が大空と大地の呼吸作用たる火水を調節するの謂なり。火球は呼気作用を司り、地汐は吸気作用を司る。

『富士と鳴門の仕組が致してある』

といふ神示は、火球の出口は富士山にして、地汐は鳴門を入口として水を地底に注吸しゐることを指示せるものなり。火球および地汐よりは、なほ人体に幾多の血管神経の交錯せるごとく、四方八方に相交錯したる脈絡をもつて、地球の表面に通じゐるものなり。』

(神示の宇宙/出口王仁三郎から引用)

 

これを30年以上前に初めて読んだ時は、月は表が水で裏が火とは、明治の文章とはいえ、月面に人が降り立つ時代に何を言っているのだろうと思っただけだが、今見ると、西洋錬金術な世界のことである。西洋錬金術に満月から二羽の鳥が生まれるモチーフがあるが、それが水火だろうか。

 

『火球および地汐よりは、なほ人体に幾多の血管神経の交錯せるごとく、四方八方に相交錯したる脈絡をもつて、地球の表面に通じゐるものなり。』とは、地の龍脈のことを言っているのだと思う。勿論月の世界からも現実が影響を受け、現実のいろいろな出来事が展開していく。

 

素盞鳴尊好きな霊能力者は多いが、この霊妙なる太陰ワールドの様相を承知して素盞鳴尊を語っている人は極めて少ないことだろう。

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三神系-2

2022-10-13 18:24:42 | 古神道の手振りneo

◎霊界から見た宇宙   

 

出口王仁三郎の世界構造では、太陽現界と太陽霊界があり、太陰現界と太陰霊界があり、地上現界と地上霊界がある。これが横軸。

 

一方縦軸は、現界と霊界で、霊界には神界(高天原、極楽浄土、天国)、中界(天の八衢、六道の辻、精霊界、バルド、中有)、幽界(根の国底の国、地獄)の三区分がある。縦軸は、よくあるもので紛れはない。

 

よってここでは横軸の解明が優先される。

まず太陽は太陽であり、太陰は月、地上は地球のこと。

 

太陽の一霊四魂を厳の身魂と総称し、かつ霊主体従の身魂ともいう。故に大空は霊を主とし、体を従とす。大空の太陽、太陰および列星は、皆幽体を以て形成られる。だから太陽、列星の中に鉱物あっても、大地のように堅くなく、重からず、その重量に非常に差がある。

つまり出口王仁三郎は、太陽、月、星は、エーテル体レベルのものであると見ている。

 

『大空の中心には太陽が結晶し、その大きさは大空の約百五十万分の一にあたり、地球も亦大地の約百五十万分の一の容積を有せり。しかして太陽の背後には太陽とほとんど同形の水球ありて球竿状をなしをれり。その水球より水気を適宜に湧出し、元来暗黒なる太陽体を助けて火を発せしめ、現に見るごとき光輝を放射せしめゐるなり。ゆゑに太陽の光は火のごとく赤くならず、白色を帯ぶるはこの水球の水気に原因するがゆゑなり。

 太陽はかくのごとくして、小宇宙の大空の中心に安定し、呼吸作用を起しつつあるなり。

 また、地球(いはゆる地球は神示によれば円球ならずしてむしろ地平なれども、今説明の便利のため従来の如く仮りに地球と称しておく)は、四分の三まで水をもつて覆はれあり、水は白色なり。この大地はその中心に地球とほとんど同容積の火球ありて、地球に熱を与へ、かつ光輝を発射し、呼吸作用を営みゐるなり。しかして、太陽は呼吸作用により吸収放射の活用をなし、自働的傾斜運動を起しゐるなり。されど太陽の位置は大空の中心にありて、少しも固定的位置を変ずることは無し。』

(神示の宇宙/出口王仁三郎から引用)

 

この文をみると、太陽は実は暗黒であるとか、その後ろに水球があるとか、大地は水平であるとか、現代天文学を無視した説が述べられているので、これは物質レベルの説明をしているのではないことがわかる。黒い太陽は西洋錬金術の頻出アイテムだが、古神道でも同じ宇宙を確認しているということになるのだろう。

 

また太陽も呼吸をするというからには、エーテル・気の呼吸なのだろうと思われる。

 

この宇宙観をして荒唐無稽と評するのは簡単だが、錬金術にみるいわゆる奇怪な世界観を解く鍵が隠されているようなので、理解できないからといって捨て去るわけにもいかない。かといって、書いてあるとおり盲信しても何も起こらない。

 

これはクンダリーニ・ヨーガで中心太陽を極めて後に、認識が展開する宇宙観というべきものだろうと思う。

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三神系-1

2022-10-13 18:21:58 | 古神道の手振りneo

◎野立彦命(のだてひこのみこと)

 

古事記を読んでも、天照大神が中心であることはわかるが、素盞鳴尊の立場は本当のところどうなのかなど、わかりにくいことが多い。

 

出口王仁三郎の自動書記による霊界物語では、三神系と呼ぶ三柱の神々がこの世の流れの中心であるとする。

 

最初の三柱は、天之御中主大神、高皇産霊大神、神皇産霊大神であるが、この世を造るにあたって天之御三体之大神として、太陽現界主宰神として天照大神、太陽霊界主宰神として伊邪那岐尊、太陰霊界主宰神として伊邪那美尊を置き、本来の三神系とは、このことを言うのだと思う。

 

加えて大地の霊魂の金勝要神(きんかつかねのかみ)があり、地上現界主宰神として素盞鳴尊があり、太陰現界主宰神として月夜見尊があるが、これは、素盞鳴尊の別称でもあるとする。

 

要するに世界観として、太陽現界と太陽霊界があり、太陰現界と太陰霊界がある。そして金勝要神は別格で、素盞鳴尊とペアと見れば、地上にも現界と霊界があると見れる。ここでは、あの世を太陽太陰で四区分している。これは想像だが、この区分では、いずれかがバルド・中有に該当するのではないかと思う。

 

 

さて更に時代が降ると霊主体従(善玉)、体主霊従(悪玉:われよし)、力主体霊(悪玉:強い者勝ち)の三種の神系に別れて、世の中を紛糾させ、最後には行き詰まって、大洪水をひき起こして文明そのものを押し流したり、黄泉比良坂(よもつひらさか)の戦いで天下滅亡の世界戦を起こしていく。

 

つまり三神系とは、後代では善玉神グループと、二種の悪玉神グループの総称のこと。この世のあらゆる悲喜劇を創出する原動力となっているのである。

 

 

大本教では、金勝要神は艮の金神(うしとらのこんじん)であり、出口王仁三郎の次に艮の金神が地上に再臨することが伝承されている。その事情をして、出口王仁三郎が自分のことを偽物であると謙遜するのだろう。

 

三神系図では、艮の金神は、名を変え野立彦命となる。野立彦命は果たしてこの世に生を受けたのだろうか。

それがノストラダムスの見た日の国の純粋なきらめきということになるのではないか。

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トートの聖室

2022-10-13 18:19:23 | 冥想アヴァンギャルドneo

◎冥想による文明の最先端

 

ダンテス・ダイジの因縁の深いアトランティスの聖王トースあるいは、トート。クフ王のピラミッド内にそのトートの聖室があるという。

 

『一方フレマスは、大ピラミッドにまつわる「トートの聖室」の位置を突き止めようとしていた。それはベルリン博物館に保管されている「ウエストカー・パピルス」に出てくる話で、その起源は第5王朝にまで遡るという。

 

話によると、クフ王が魔術師ジェディに、「トートの秘密の部屋」の数(もしくは正確な位置)を尋ねた。

 

ジェディは答えた。

それはインヴェントリーと呼ばれる建物の中の火打ち石の箱の中にございます。とはいえ、まだお生まれでない3人の王の到来まで、その数字を手に入れる者はいないでしょう」

現存するパピルスは、この部分で途切れている。』

(アトランティス・ブループリント/コリン・ウィルソン/学研P90-91から引用)

 

※フレマス:ランド・フレマス。『アトランティスは南極大陸だった!!』学研ムー・ブックスの著者

 

 

至福千年には3人の聖王が到来し、ピラミッドが究極の冥想センターであることを解明し、積極的な利用が図られる。

 

現代人は、七つの身体でいえば肉体レベルの科学にとどまり、トートの聖室のメカニズムを知るほどの文明レベルに達していないからこんな問答になっている。

 

文明の最先端開発は冥想が王道であることを、ピラミッドが示す時代が次の時代。

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重金属の体内蓄積

2022-10-13 18:17:32 | クンダリーニ・ヨーガneo

◎効果的排出法の模索

 

熱核戦争ともなれば、核爆弾による死の灰や放射線の被害だけでなく、全国各地に立地する原発の破壊の結果として放射性物質の拡散による被曝対策も重要になる事は、福島原発事故の教訓の一つである。

 

放射能では放射線による細胞破壊による影響が第一に問題になるが、それ以外のアスペクトとしては放射性物質が重金属であるが故の重金属の体内蓄積が課題となる。

 

重金属の体内蓄積は日本では水俣病、イタイイタイ病など過去の公害での前例があり、肝臓、腎臓などに重金属が蓄積するようであるが、著効ある治療方法は発見できていないようだ。

 

公害以外に重金属を体内蓄積した人として有名なのは中国唐代の歴代帝王である。一説には唐代の22人の皇帝中、7人が丹薬、仙薬を服用し、6人が中毒死したとも言われる。

 

そうした中で、則天武后は、70代になっても男妾を何度も取り替えては近侍させ、精力絶倫を誇ったが、なんと丹薬大好きな女帝であった。現代でも70代の女優の中には若い燕と毎夜同衾するケースもあるようだから、その絶倫は一概に丹薬の効果とは言えないが、むしろ丹薬(外丹)を常用して、その副作用の出ないように効果的に体外に排出する技を持っていた可能性があるのではないかと思う。

 

丹薬では、ヒ素は軽金属だが、雄黄や砒石はヒ素化合物、丹砂は重金属の水銀化合物、水銀単体は不老不死の効果あるとされる。

 

こうした技は、クンダリーニ・ヨーガの技の一つであって、ビートルズがインドのグルに多量のLSDかなんかを騙して服用させたが、効かなかった例があったと思うが、できる人はできるのだろうと思う。

 

なぜか則天武后の愛男妾に如意というのがいた。

 

体内の重金属排出は通常の医学でできれば良いのだが、そうもいかないので、「クンダリーニ・ヨーガの技術でもって云々」ということを言い出さなければいけないほど困難かつ深刻な問題となるのだろうと思う。

 

それとクンダリーニ・ヨーガなのだから、本流は内丹なのだと思うが、外丹修行をやるのであれば、その前提として重金属の体外排出術ができることという条件があったに違いない。

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インド神話のクリシュナ

2022-10-13 18:15:00 | 冥想アヴァンギャルドneo

◎最後の切り札

 

天地中和とは世の中の善悪のバランスをとるということだが、イエスなどの神人は、このような目的をもってこの世に生を受ける。クリシュナもそうした一人。

 

インド神話に出てくるクリシュナは、バガバッドギータにあって、王子アルジュナの御者として参戦する。彼は、親戚一同を相手に開戦することにびびる王子アルジュナを叱咤して、迷いなく参戦させることに成功する。この説得の部分がクリシュナの考え方として有名であるがゆえに彼は一族の精神的指導者として評価されていた。

 

しかし、インド神話では、クリシュナの特徴は、世の中に跳梁跋扈する、悪魔、阿修羅、悪龍などを次々に退治していくところにある。

 

ヤムナー河畔に住む毒龍カーリヤを退治したり、悪王カンサの差し向けた刺客の悪魔ケーシンをやっつけたり。最後は、クリシュナの命を狙うカンサ王とその8人の兄弟をも、クリシュナとその兄弟のバララーマが誅殺してしまう。

 

要するに平和を愛好する日本人としては、神々と言えば「言向け和す」日本神話に慣れた我々の眼には、いかにも強烈な活躍ぶりなのだ。

 

要するにクリシュナが御自ら降誕するというのは、相当その地が切羽詰まっていたということになろう。その国は爛熟も極まり、善悪のバランサーが直接的に必要なほど症状は悪化していたということ。

 

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ダンテス・ダイジの七転生を探る

2022-10-13 18:12:59 | ダンテス・ダイジの風光

◎レムリアの愛人ナツノからスタート

 

それが他の人にとって意味のあることとも思えないが、ダンテス・ダイジは、地球では七転生と見られる。

 

最初はアトランティス以前のレムリア時代の4万8千年前のムー大陸。肉体はケンタウロスの外形であって、ナツノという名の高級娼婦として生きた。彼女は、聖王トースの何人かいる愛人の一人であって、トースはなかなか戻って来てはくれなかったし、ナツノ自身も覚醒してはいなかった。

 

アトランティスは3期あるそうだが、最初のアトランティスでは、悟りを求める求道者として一回。

アトランティス末期では、アトランティス密教の奥殿アメンティの13番目の超人として一回。ダンテスはこの当時の名前。

この時最後はアトランティス沈没直前にエジプトに脱出する。ギリシアも訪問する。

 

インドでクリシュナとして一転生。クリシュナはインド神話やバガバッド・ギータなどに広く登場。

 

中国唐代に一転生かも。

 

そして20世紀日本に一転生。布教期間は10年程度。彼を知っている人もまだ存命。

 

最後は21世紀にフロリダのビミニ沖に再浮上するネオ・アトランティスに出現予告(没後20年以上たっているから予告なのかどうか)。

 

これで合計7回。

 

中国での転生については、彼は中国では如意という名を用いているから私がそう思っているだけかもしれない。

 

日本の古神道では野立彦と彼は呼ばれているが、20世紀以前に彼の日本での転生があったわけではない。野立彦は、霊界物語の三神系の重要な役回りで登場してくるものの20世紀以前に日本での転生はなかった。

野立彦とはNODATEであり言霊返しするとこれはDANTEに返るのでダンテスに連なる。

 

聖者には2系統あり、まじめで組織引き締めタイプと遊び戯れるタイプ。彼は後者であり、後者に属するのは、荘子、一休、空海(あれだけ超能力使いまくるのは戯れの極み)、OSHOバグワン(コミューンを作ったが、信者ファーストで指導したという感じでもなかったような印象を受ける)、そしてダンテス・ダイジなどがいる。

 

ダンテス・ダイジは、自らの立ち位置を、ニルバーナの化身であり、全体性の至上の天国と極悪の地獄を自由自在に戯れるものと位置づけ、自分は神と悪魔とを止揚した「人間」だとする。

 

こういうことを言うと一般にはおどろおどろしい印象を与えるばかりでメリットは少ないし、かつまたこれが何を意味しているかを理解できる人間は、極めて少ない。

 

そしてダンテス・ダイジは、『すべてのものが、「愛」の流れの中で調和している世界こそ黄金文明である』と愛を中心に据えるが、あまりにも現代の諸相は愛から遠ざかってしまった。

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源実朝の金槐和歌集を読む-1

2022-10-13 07:41:09 | アヴァターラ神のまにまに

◎神仏を知りクリーンにしてクリア

 

兄である源頼家を北条に惨殺されて将軍になった弟源実朝の性格は、頑固だが、情に厚いとされる。

 

金槐和歌集は、古来清澄と評されるが、その歌から彼の悟境を探ってみる。

 

(春)

正月一日よめる

今朝みれば山も霞みて久方の天の原より春は来にけり

 

コメント:春は上なる世界から来ると感じていたのだろうか。

 

春のはじめ

かきくらし猶(なほ)降る雪の寒ければ春とも知らぬ谷の鶯 

 

コメント:寒さに震える私と寒さを知らぬ鶯の二重の自己認識は、普通ではない。

 

青柳の糸もてぬける白露のたまこきちらす春のやま風

コメント:青柳から山風に移る視点のダイナミックさは、常のものではない。

 

(夏)

夏の暮れによめる:

昨日まで花のちるをぞ惜しみこし夢か現か夏もくれにけり

コメント:花の散ることばかり気にしていたら、夢幻のように夏も暮れてしまっていた。

 

夏はただこよひばかりと思ひ寝の夢路にすずし秋の初風

コメント:夏も今夜だけと思って寝入ったら、もう秋の初風に涼しさに気づく。

 

(雑)

あら磯に浪のよるを見てよめる

大海(おほうみ)の磯もとどろによする波われてくだけてさけてちるかも

 

コメント:大海も自分、波も自分。大海はアートマン、波は自分。

 

平安時代以前には、神人がとてもすばらしい和歌を詠んで現実にある難問を解決するのが当たり前とされる通念があった。

よって皇族、公卿が和歌をたしなむとは、和歌を楽しむということではなく、和歌で為政するということ。和歌とは言霊であり、言霊が現実を左右し、現実を操作するというのは、古神道家では当たり前の認識なのだろうが、和歌と言霊と政治の関係についてさんざん目にしてきていたはずなのに、今頃わかったことが恥ずかしい。なおその操作の仕方は、常に天機、天命に依るのであって、恣意はありえない。

 

また言霊家は、まともな和歌を歌えなければ一人前の言霊家とは言えまい。

 

出口王仁三郎は、その辺の呼吸を説明しているが、気がついている人は少ないのだろう。

 

さて実朝の心中は、まるで澄み切った鏡のようであり、大はマクロで自然全体を見た次にミクロの草木事物を見て切れ目がない。只管打坐的なクリーンさと申せばよいのだろうか。クリシュナムルティの自然描写を見るが如くでもある。

 

賀茂真淵や正岡子規という歌人からの評価が高かったのも首肯できる。

 

参考までに、和歌と言霊と現実操作の連動についての出口王仁三郎の言及を挙げる。

『今日にては神人が優雅にして高潔なる歌をもつて、その意志を述ぶるもの甚だ尠く、ただ上位の神人の間にわづかに行はれ居たりける。ゆゑに今回の常世の会議においても、神人の自由にまかせ、直接の言辞によるものと、単に歌のみに依つて意志を表白するものと、言辞と歌とを混合して口演するものとありしなり。言霊の清く朗かなる神人は、凡て和歌によりて難問題を解決せむと努力したりける。』

(霊界物語 第4巻 第16章 善言美辞から引用)

 

さらに、

『天祥地瑞の物語中、神々の御歌詠ませ給ふとあるは、御言葉の意なり。神代は現代人の如く不成立なる言語なく、互に天地の音律に合へる三十一文字を用ひ給ひしが、所謂今日の和歌となれるものにして、歌ひ給ふと言ふは、申し給ふ又は仰せ給ふ、語り給ふ、宣り給ふの意義と知るべし。神代の神の言葉を、現代人は総て歌として扱へるを知るべし。』

(霊界物語 第80巻第16章 火の湖から引用)

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