◎霊になっても孤独は変わらず
死のプロセスについては、四国のリモート・ヴューアーがバス転落事故の死者たちの死のプロセスを描写した丹波哲郎の「霊界旅行」も見てみたい。
丹波哲郎の「霊界旅行」で紹介されている事例は、光の存在に導かれて、バスが崖から転落した事故で死んだ25名のあの世での一人一人の消息を追う様子を描写して、霊界、地獄界の実情を明らかにしようというもので、霊界好きの人には恰好の読み物になっている。
日本霊異記からスウェデンボルグ、霊界物語まで、霊界紹介ものは数多いが、その手っ取り早い位置づけは、「人間は肉体オンリーの存在である」という先入観を払拭するヒントになるということ。
というのは、霊界にあっても、人間は個人としての霊から抜けられない。つまり霊界においても、自分は他人とは別であるという実感が変わらないからである。自分が他人とは別である限り、神と人とは実は同一である、という自覚は絶対に起こらない。
さてバスから転落した一女性の死の推移を某氏は、リモートビューイングした。
『ふと気が付くと、彼女のつぶれた肉体から淡い煙のような、蒸気のようなものがモヤモヤ立ち昇っていました。そしてその煙ようのものは、そこでグルグル渦のような運動をしながら、灰白色の球のようになりました。
さかんに活動するその灰白色は光を放ちながら、次第に濃縮して密度を増しているのに、その容積は反対に大きくなるんです。
そしてこの煙のような蒸気の如き物質がたえず彼女の横たわった肉体の方から供給されているのでした。
この肉体から放出される煙状の流れは、直径10センチ位で、空間にかかる球は徐々に大きくなり、かつ変形しつつ、ついには五十センチ、1メートルと大きな卵形となりました。
淡灰白の半固体状で、さかんに活動しているうちに、次第に人間らしい各部分ができかけてきました
まず腰部、そして首のあたりと、やっと人間のかっこうになってきたんです。
僕が目を見張って驚いているうちに、いつも見なれている南川弘子の完全な姿になったのです。彼女は事故の前と少しも変わらない姿で浮かんでいました。』
(霊界旅行/丹波哲郎/中央アート出版P95-96から引用)
これは、肉体外へのアストラル体の形成というようなものだろうと思うが、死はこのように進んでいくのである。
この光景をリモートビューイングした人は25人の死者全員を見たようだが、それだけでも相当な練達の士であると思う。彼は死者たちが、あの世で人生全体のパノラマ再生を大画面で見るところまで確認したのだった。