アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

蘇莫者は最近の舞楽だった

2022-10-14 20:24:42 | 冥想アヴァンギャルドneo

◎大物スピリチュアリストとしての聖徳太子

 

梅原猛によれば、蘇莫者(そまくしゃ)とは、蘇我氏出身の聖徳太子が亡(莫)くなった者だから、聖徳太子の亡霊のことである。蘇莫者は舞楽であり、聖徳太子が最も好んだ曲であり、太子43歳のみぎり、笛をもってこの曲を演奏したところ、山の神が感動して現れ出て舞を舞ったとされる。

 

梅原猛の、「法隆寺が聖徳太子の不幸な死による怨霊鎮魂寺である説」の重要な根拠の一つが、聖徳太子が亡くなってまもなく法隆寺が建てられ、法隆寺の舞楽「蘇莫者」は聖徳太子の霊を慰めるために当時から舞われていた・・・というもの。

 

これが法隆寺執事長の高田良信氏によれば、この説を突き崩す次の根拠を示す。

 

1.舞楽「蘇莫者」が古来法隆寺で舞われた記録がなく、時代は下って鎌倉時代の顕真という寺僧の「聖徳太子伝私記」の尺八の説明の中に、上述の山の神の顕現の話が出てくる。

 

2.法隆寺の飛鳥・奈良時代の伎楽、平安時代の舞楽面や衣装に「蘇莫者」に関するものはない。

 

3.舞楽「蘇莫者」は、もともと昭和15年四天王寺楽家の薗家の嫡々相伝であったもので、これを宮内省式部職楽師薗広茂氏より、南都楽所の堀川一郎氏に特に伝授された。これを受けて、昭和16年の太子1320年遠忌に際して、初めて舞楽「蘇莫者」が演じられた。

「蘇莫者」の衣装や面は初めてここで新調されたもので、これ以前は存在しなかった

(出典:法隆寺の秘話/高田良信/小学館)

 

まあ一般にシャーマン的霊能力者は、死者の鎮魂ばかりやっていることもあって、梅原猛氏も舞楽「蘇莫者」を見て感激した勢いで、舞楽「蘇莫者」を「隠された十字架」に入れてしまったのかもしかれない。

 

当時は神道と仏教がせめぎ合う時代であって、そのすぐ後の斉明天皇は、道教好き(奈良・牽牛子塚古墳が、道教タイプの八角ピラミッドで斉明天皇陵と特定された)。こうした本当にまともな宗教はどれかと選別しようとする時代環境の中で、怨霊鎮魂というシャーマニズム的な対応を国家を挙げて優先するとも思えないところはある。

 

ただし、聖者を殺す所業は、その祟りは無視できないものがあり、イエスを殺した某国民は、ディアスポラに苦しんだ。そうしたことを意識すれば、仮に聖徳太子がイエス並の聖人であったとすれば、彼を亡きものにしてしまったリアクションへの対処として、国家事業として怨霊鎮魂をやるというのは合理的対応と言える。

 

つまりは聖徳太子がどの程度スピリチュアル的に大物だったかという点にかかっているのだが、天台智の師の南嶽慧思の生まれ変わりが聖徳太子という説も中国では広く流布しており、相当な大物だったことがうかがえる。

 

よって、舞楽「蘇莫者」は古来演じられて来なかったのだが、法隆寺では怨霊鎮魂はやらなかったとまでは言えないのではないか。

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うき我をさびしがらせよ

2022-10-14 20:16:29 | 現代冥想の到達点neo

◎透徹した孤独感

 

「うき我をさびしがらせよ 閑古鳥」とは、芭蕉がある寺に独り居て詠んだ句(嵯峨日記)。この透徹した孤独感には癒せる手段はないことを知っている。

 

「おもしろうて やがて悲しき鵜舟哉」

これは、芭蕉が、鵜舟のかがり火の消えた闇を詠んだもの。

 

さらに

「瓶(かめ)破(わ)るる夜の氷の寝覚(め)哉」

寝覚めの床で聞く氷が瓶を割る音は、一入(ひとしお)孤独感をつのらせる。

 

解説書を読むと、芭蕉は、旅に出て老い先が短いから寂寥感が高いみたいなことを書いているのだが、そうではないのだろうと思う。覚者特有の孤独がある。

 

そしてその先には、社会的不適応も見える。この世を逆立ちしたまま生きなければならないのだ。

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至高者自身の目をもって至高者を見る

2022-10-14 20:10:24 | 究極というものの可能性neo
◎忘我(エクスタスイー)の目的

新プラトン主義の創始者プロティノス。彼の表現の仕方では、『至高者自身の目をもって至高者を見る』というのが、体験とは言えない体験に当たる。

『プロティノスによれば、哲学の究極的目的は神的全一者との完全な接触、結合を達成することである。とはいえこのような接触は忘我の境(エクスタスイー)においてのみ達せられうる。「忘我においては理性の働きは休止し、すべての知的作用および、あえて言えば、自己そのものすら休止状態にはいる」。

また魂はそれ自身から完全に吹き去られて全一者が威厳をもって己を啓示される境域へと連れ昇られる。

「他のいかなる原理の光によってでもなく、至高者自身の目をもって至高者を見ること、これこそ魂の真の目的である。・・・・しかしこれはどのようにしてなしとげられるのか。汝自身よりすべてのものを脱ぎ棄てよ」。このような状態のもとでは神に関するいかなる知識も授からない。
至高者は知識によっては把握されえないから。

忘我(エクスタスイー)の目的は人間が神の無限性に波長を合わせられるように彼の有限な人格性を融解し、測りがたき究極者の直接的把握を獲得することである。このような把握は神への自己没入と神秘的結合を通してのみ可能である。』(イスラエル預言者 下 A.J.ヘッシェル/著 教文館P168から引用)

神的全一者との完全な接触は、見神見仏。神的全一者との結合が、アートマン=本来の自己=ありてあるもの(出エジプト記)に該当する。

忘我は一般にはトランスだが、それが脱身なのかどうかは、釈迦が四禅から涅槃に入ったと実況するような透徹したレベルの一隻眼を持った者でないと見分けられない。
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源実朝の金槐和歌集を読む-2

2022-10-14 07:17:12 | アヴァターラ神のまにまに

◎神祇歌・道歌など

 

源実朝の悟境を知るために道歌を見てみる。

 

(神祇歌)

みづがきの ひさしき世より ゆふだすき かけし心は 神ぞ知るらん

(大意:久しい昔から(神事に)努力して来た私の心は、神様が必ず御覧になっていることだろう。

※ゆふだすき-かけの枕詞。原義は木綿のたすき)

 

慈悲の心を

ものいはぬ四方の獣すらだにもあはれなるかな親の子を思ふ

(大意:ものを言わない動物ですら親が子を思う気持ちはあわれであることよ)

 

道のほとりに幼き童の母を尋ねていたく泣くをそのあたりの人に尋ねしかば父母なん身まかりにしとこたへ侍りしを聞きてよめる(大意:道端で母を尋ねて泣く子がいて、周辺の人にきいてみたところ、両親ともに亡くなったと聞いてよめる)

いとおしや見るに涙もとどまらず親もなき子の母をたづぬる

 

無常を

かくてのみありてはかなき世中をうしとやいはむあはれとやいはん

(大意:このようにばかりあって、至ってつまらない世の中を、憂しというか、あわれというか)

 

現とも夢ともしらぬ世にしあればありとてありとたのむへき身か

(大意:現実とも夢ともわからない世であるので、有るということであっても、それを実際に有ることとしてあてにすることはできない。)

コメント:空を生きる現実感はこのようなものだろう。

 

大乗作中道観歌

世中は鏡にうつる影にあれや在るにもあらず無きにもあらず

(大意:世の中は鏡に映る蔭なので、あるということでもなく、ないということでもない。)

コメント:世の色則是空なる現実のことを、実感として体感として描いている。

 

心の心をよめる  

神といひ佛(ほとけ)といふも世の中の人のこころのほかのものかは

 

コメント:神仏ともに顕在心理や潜在心理などの心理ではないが、人間の心のことではある。

 

箱根の山をうち出で見れば、浪の寄る小島あり。供の者に、この海の名は知るやと尋ねしかば、「伊豆の海となむ申す」とこたへ侍りしを聞きて、

 

箱根路をわが越えくれば伊豆の海や沖の小島に波の寄るみゆ

 

コメント:この気づきの感動の明澄さと深さよ。見ている対象にも入っていっている。それは、『大海(おほうみ)の磯もとどろによする波われてくだけてさけてちるかも』の歌にも通底する部分であり、その共感ぶりの深さは、人間の感覚を超えたものを感じさせる。実朝は、見神見仏体験は明らかに経た人物ではないかと思う。

 

 

朝ぼらけ八重の汐路かすみわたりて空も一つに見え侍りしかばよめる。

空や海 海や空ともえぞわかぬ霞も波もたちみちにつつ

(大意:空や海やも、海や空やとも分けられない、霞も波も立ち満ちつつある)

 

コメント:霞と波で水平線が分かたぬことになり海と空が一体になった。これは風景に事寄せて心象風景を描いたものだろう。我と宇宙全体が分かたれず一体となった第六身体、本来の自分。

 

(冬歌)

冬ふかみこほりにとづる山河の くむ人なしに年やくれなん

(大意:冬が深いので氷に閉じる山河の水を汲む人もなく年が暮れようとしている)

 

コメント:窮極の悟り、ニルヴァーナを経れば、透徹した孤独感がある。そうしたものに共感しがちな歌は出てくるものだろう。

 

以上により、実朝は、神人合一はあったかどうかわからないが、見神見仏体験はあったように思う。それが歌の端々ににじみ出ている。

 

なお、神人を殺害すると国難が起こることになっているものではある。

 

実朝暗殺にショックを受け、又、武蔵守源親広、左衛門大夫長井時広、前駿河守中原季時、秋田城介景盛、隱岐守二階堂行村、大夫尉加藤景廉以下の御家人達百人以上が出家をしたという。実朝の死は荒ぶる御家人の琴線を動かすところが大いにあったわけだ。これも神人の証しの一つだと思う。

 

さらに官僚トップの大江広元が、暗殺当日実朝に「私は成人してから涙を流した事がないが、涙が止まらない。これは只事ではない」と言上し、衣冠束帯の下に鎧を着けることを勧めたが、これは取りやめとなった。実朝は、時代のアイコン・大スターにして神人であったのだ。

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