◎神降ろし
神降ろしについては、古神道には古くからの歴史と伝統があって、また善悪真偽深浅取り混ぜて巷のあちらこちらで見聞きすることがある。チャネラーやシャーマンもその一種である。
これは、神と出会うのでも一体化するのでもなく、我が身に一時的に引き入れるものである。大正10年以前の出口王仁三郎が盛んにこのやり方を広めようとしたが、結局邪霊の発動がしきりであったようで、結局うまく行かなかった。入れ物である人間の浄化の程度に応じて憑る神霊の程度が変わるので、人間の御魂の磨き具合がいま一つだとかかる神霊もいま一つということのようなのだ。
平たく言うと、たとえば泥酔すると乱暴になる人は、その深層意識が表面化して乱暴になるのだが、憑依においても、その依代(よりしろ)の深層意識の程度に応じて憑依してくるという法則があるようだ。
つまり憑依、神降ろしは、憑依される方の人間と、憑依してくる神霊のレベルの2要素で決まる。
出口王仁三郎は、依代としての適性については、年齢性別など細かく適不適のあることを指摘している。結局依代として、老女は不適当、子供は早すぎる、中年以降の人は総じて不合格ということなので、「神降ろし」という技術は万人に適用できる技術とはなり得ないと最後は見切っていたようである。
一方憑依する神霊のレベル付けは次のようなものである。神がかりには3種類あるとする。
(注.精霊とは、肉体に宿るもののことで、エーテル体以上の総称。)
『1.帰神
人間の精霊が直接大元神(主の神または大神)に向かって神格の内流を受け、大神と和合する状態
2.神懸(しんけん)
大神の御神格に照らされ、智慧証覚を得、霊国にあってエンゼルの地位に進んだ天人が、人間の精霊に下り来たり、神界の消息を人間に伝達すること。
3.神憑(しんぴょう)
外部より、人件の肉体に侵入し罪悪と虚偽とを行うところの邪霊を悪霊または副守護神というが、副守護神に侵入されたこの状態を神憑という。
チャネリング(交霊術)の達人には、神憑が多く、このような副守護神は、地獄の団体に籍を置き、人間の善霊を亡ぼし、肉体をも亡ぼそうとするもの。
大神が予言者と物語りたまう時は、太古すなわち神代の人間におけるがごとく、その内分(霊覚)に流入して、これと語りたまふことはない。大神は先ず、おのが化相をもって精霊を満たし、この満たされた精霊を予言者の体に遣わしたまふのである。ゆえにこの精霊は、大神の霊徳に充ちて、その言葉を予言者に伝ふるものである。かくのごとき場合は、神格の流入ではなくて伝達というべきものである。伝達とは、霊界の消息や大神の意思を現界人に対して告示する所為をいふのである。』(霊界物語第48巻/天声社から引用)
神降ろしとはこのように非常に達成条件のきつい技術であるが、成功の暁には、その神の言葉を一生抱いて、その感動の中に生きることもできたのではないだろうか。
ただし神降ろしの場面では、審神者のコメントはよく出てくるが、依代となった人の体験談はまず伝わっていないので、いわば依代の人格はないがしろにされており、依代はあまり相手にされてこなかったという印象を持っている。
その意味で,神降ろしは自己主張の盛んな現代人にとっては、レトロな技術と位置づけられるのではあるまいか。