◎Quick and dead
OSHOバグワンは、くしゃみをするような短時間でも人は悟りに出会っているとする。
最近、『今ここ』が流行していて、時間などない、現在過去未来は一体でこの世は一枚の動画を見ているというような考え方も流行っている。
だが、落ち着いて考えてみれば、悟った際に、こういう言い方は適当かどうかわからないが、究極と肉体の往復に数秒を要していることにちょっとしたひっかかりを感じるものだ。つまりくしゃみをする世界と『今ここ』の世界の往復は理屈の上では時間がかからないと想像されるのだが、実は時間がかかっている。
この数秒のことを刹那とも言うが、実は百年に一度天女が巨石を何回も撫でてすり減らす劫とも言うのではないか。
コリン・ウィルソンが参考になることを書いている。
『頭蓋骨の中の「超高速世界」
「だが、心の動きが普通の時間の流れとはまったく離れたところで働いていると思われる場合がある。それはかなり定期的に起こり、漠然としたものであるが、われわれの生活の中で重要な部分を占めている。
この不思議な事象をジーグムント・フロイトは、「無意識下の精神作用は非時間的なものである。時間に規制されることはなく、時間の経過によって修正されることもない。つまり、時間とはまったく何の関係ももっていない」と言っている。言うまでもなく、これは夢のことで ある。
夢の内容で思い出すことができるのは、普通一パーセントそこそこであろうと思われる。夢の中の時間は、死者が自分の葬式に出席していたり、原因より結果が先になっていたり、一人の人間が二つの場所に同時に現われたりして、まったく無秩序になっていることがしばしばあるばかりか、丸一日とか一週間とかいう時間をほんの一瞬ありありとした現実に凝縮するかのように思われる。
被験者に、臭化アセチルコリンのような薬品を与えて数秒間無意識状態にすると、目ざめた時に長い夢をありありと覚えている。では、われわれは夢の中で、意識のある肉体とともにあった時間から遊離し、恐ろしく速度を速めた時間を経験するのだろうか?
同じような現象が、突然避けがたい死に直面した人間の心の中にも起こり得る。「死にかけた人の目の前にその人の全人生がぱっと浮かんだ」という話をよく耳にする。ウソではないことが証明されている例もいくつかあるようだ。
スイスの地質学者アルバート・ハイムが登山中に落下した時のことを語った次のような話はその典型的なものであろう。
「落ちていく間に、思い出が洪水のように私を襲った。その五秒か一〇秒の間に思ったり、感じたりしたことは、その何十倍の時間をかけても語りつくせない。私の死亡通知が愛するものたちに届くのをみて、私は心の中で彼らを慰めた。それから、まるで遠い舞台で、私の過去の人生すべてが次々とはてしなく演じられているのをみているような気がした」。 「これは、頭蓋骨の中に収められた「超高速世界」のようなものの一例なのだろうか。』
(時間の発見/コリン・ウィルソン/三笠書房P129-130から引用)
この文章では、フロイトは夢と言っているが、潜在意識あるいは霊界では時間の感覚は同じようなことになる。恐ろしく速度を速めた時間を認識できるということは、刹那のような極超短時間も正確に認識できるということ。
つまり平時もさることながら、天変地異や戦争などで、突然避けがたい死に直面するような、本気の意識が露出した時に、極超短時間をも認識できる状態になる。たまねぎの皮を一気にむく。恐怖の恵み。
さらに認識された極超短時間には、時間のない現在過去未来の混合した「今ここ」しかないのだろう。だが、刹那である極超短時間と「今ここ」の移動には数秒かかるらしい。
この秘密を説明したものはあるのだろうか。