アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

天上と地上の往復タイム

2022-10-24 10:39:23 | 現代冥想の到達点neo

◎パノラマ現象など

 

世界は、太古に創造されたことになっており、悠久の時間を経て現在に至る。そういうものが、時間のある世界での時間認識。

 

だが、そういうものは、幻影であり、今ここが過去から現在、未来に至るまで無限に変転展開していると認識する『今ここ』という非二元な立場もある。

 

この立場は、いわば二時間の映画が一巻のフィルムとして存在しているのに似ている。

 

スイスの地質学者アルバート・ハイムが登山中に落下した。その5秒か10秒間に起きたことは、まるで遠い舞台で彼の過去の人生すべてが次々と果てしなく演じられているのを見ているような気がしたという(出典:時間の発見/コリン・ウィルソン/三笠書房/P130)。

 

これは、パノラマ現象と呼ばれ、数秒のうちに過去現在未来を見るものであって、どちらかと言えば、現在が展開しているフィルムを一気に見る方に属しているのではないかと思う。

 

こういうシーンは、思いつく限りだと以下のようなものがある。

死のプロセスにおける閻魔大王面前での自分の人生回顧。

邯鄲の夢。

天界から地上の往還が数秒で起きること(ムハンマドの夜の旅)。

 

こういうのは時間のない世界で、起きているのだから、本来0秒で発生するのが本当だろうと最初に思うものだが、それがどこでかかっている時間なのかは、今後の研究を待ちたい。

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ムハンマドの夜の旅

2022-10-24 10:37:03 | 冥想アヴァンギャルドneo

◎倒した水差しの水は流れ続けていた

 

預言者ムハンマドはある日、自宅から天に昇り、神に出会い、帰還した。

 

一日、大天使ガブリエルがムハンマドの前に現れ、ムハンマドは翼のある天馬に乗って、エルサレムの神殿に着いた。そこで7層の天界を上昇し、以下のようにイエスやモーゼに会い、神アッラーから世界のすべてを見せられ、歴代預言者と一緒に礼拝した。

 

7層の天界:

館・・・神

第7天(土星)・・・イブラヒーム(アブラハム)

第6天(木星)・・・ムーサー(モーゼ)

第5天(火星)・・・ハールーン(アーロン)

第4天(太陽)・・・イドリース(エノク)

第3天(金星)・・・ユースフ(ヨセフ)

第2天(水星)・・・イーサー(イエス)とヤフヤー(ヨハネ)

第1天(月)・・・アーダム(アダム)

 

この時ムハンマドは、天国と地獄を見て、神と9万回も話をして帰って来たにもかかわらず、自分のベッドは暖かいままだったし、飛び上がる際に倒した水差しの水はまだ流れ続けていた。(出典:スーフィーの物語 ダルヴィーシュの伝承 Mind books イドリース・シャー/編著 平河出版社P41)

 

これが短時間に起こったことについて疑義、議論があったという。

 

神に出会ったのだから、肉体は死の状態にあったのだろう。だが生還確率の低いところを生還したのであるから、この記述のとおり、自室ベッドからエルサレム経由天界往復は、せいぜい数秒以内でなければならないことを意味している。

 

体験とは言えない体験にはそういう側面もある。

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偶発的な世界の裂け目

2022-10-24 10:34:12 | エクスタシス 夢の夢なるneo

◎きっかけ

 

世界の裂け目には、次のようなものがある。

 

・突然肉親を奪われるというような不条理。両親早世。

・最愛の人の死やペットロス

・突然の災害ですべてを失う

・霊能力の開顕、心霊体験

 アストラル・トリップ(ヘミシンク)

・統合失調症における変化した世界観

・ドラッグ

 

さらに、くしゃみ、失神などもその一種に挙げられる。

 

くしゃみは何日かに一回はするものだし、ペットロスの人は結構いるものだし、天災の被害者は少なくないし、霊能力者も統合失調の人もそこそこいる。

 

だがそれはきっかけに過ぎず、そうした状況に立ち至った大概の人が、二元を超えて、神を垣間見るということになるわけでもない。

 

禅ではそこに注目して、どんなきっかけで大悟するかを記録しているのだが、小石が竹に当たったり、暗闇でろうそくを吹き消されたり、花の咲くのを見たり、座っていて後ろに倒れたりなど、日常でありがちな出来事が並ぶ。

 

きっかけあるいは、シチュエイションは、それが発生する要素には違いないのだが、いくつか必要であるピースの一個に過ぎない。

 

あるいは、それはその時発生しているのだが、それを毎度取り逃がしているのかもしれない。

 

だから本当はきっかけそのものの深浅高低を論ずるのは意味がないのかもしれない。

 

けれども世界の有名覚者の一生を見ると釈迦にしても道元にしてもOSHOバグワンにしても肉親の早世という深刻なシーンがほとんどあるものであり、彼らはそういうスタートを意図して選んで出生してきたことは見逃すべきではない。

 

きっかけそのものの軽重は問えないというものの、ノンデュアリティ・天国と地獄の結婚への道は理不尽、不条理の先にあるものだろうってことを覚者たちは先刻承知だということ。

 

この辺が、原理は単純だが、それを人間が現実に受け入れるのは、なまなかなことではないということでもある。

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その意を誠にする

2022-10-24 10:31:41 | 究極というものの可能性neo

◎君子は必ずその独りを慎むなり

 

四書五経の大学から。

『いわゆる其の意を誠にするとは、自ら欺くこと毋(なき)きなり。悪臭を悪(にく)むが如く、好色を好むが如くす、これを自ら謙(こころよ)くすと謂う。

 

ゆえに君子は必ずその独りを慎むなり。』

 

『その意を誠にする』で思うのは只管打坐の坐り方、意識をはっきりしたままで深まっていく。シュンニャ、玉ねぎの皮をどんどん剥いていったら何もなかった。現代人のほとんどは、揺れ動き不安定な自意識が本当の自分の気持ちだなどと思い込んでいる。『その意を誠にする』人は少ないものだ。

 

悪臭はいやだし、好色は好ましいなどエロ爺な言い方だが、当時書物は男性しか読まなかったので、こういう言い回しでもよかったのだろう。この先に本当の謙譲がある。まず男女の別、天地の別など区別を立てないと、社会性は広がらないし、自意識も育っていかない。だが、それは入門段階の話ではある。

 

本当の謙譲では、好き嫌いを問題としないから。

 

ゆえに現代人はその独りを慎み冥想する。

 

この文の後に小人閑居して不善をなすこと至らざること無しとして、SNS、モバゲー三昧の現代人を揶揄している。

 

一人でいる時間の過ごし方こそがクリティカル・イシューである。

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刹那時間で悟る

2022-10-24 07:44:55 | 覚醒のアーキテクチャー

◎Quick and dead

 

OSHOバグワンは、くしゃみをするような短時間でも人は悟りに出会っているとする。

最近、『今ここ』が流行していて、時間などない、現在過去未来は一体でこの世は一枚の動画を見ているというような考え方も流行っている。

 

だが、落ち着いて考えてみれば、悟った際に、こういう言い方は適当かどうかわからないが、究極と肉体の往復に数秒を要していることにちょっとしたひっかかりを感じるものだ。つまりくしゃみをする世界と『今ここ』の世界の往復は理屈の上では時間がかからないと想像されるのだが、実は時間がかかっている。

 

この数秒のことを刹那とも言うが、実は百年に一度天女が巨石を何回も撫でてすり減らす劫とも言うのではないか。

 

コリン・ウィルソンが参考になることを書いている。

『頭蓋骨の中の「超高速世界」

 

「だが、心の動きが普通の時間の流れとはまったく離れたところで働いていると思われる場合がある。それはかなり定期的に起こり、漠然としたものであるが、われわれの生活の中で重要な部分を占めている。

 

この不思議な事象をジーグムント・フロイトは、「無意識下の精神作用は非時間的なものである。時間に規制されることはなく、時間の経過によって修正されることもない。つまり、時間とはまったく何の関係ももっていない」と言っている。言うまでもなく、これは夢のことで ある。

 

夢の内容で思い出すことができるのは、普通一パーセントそこそこであろうと思われる。夢の中の時間は、死者が自分の葬式に出席していたり、原因より結果が先になっていたり、一人の人間が二つの場所に同時に現われたりして、まったく無秩序になっていることがしばしばあるばかりか、丸一日とか一週間とかいう時間をほんの一瞬ありありとした現実に凝縮するかのように思われる。

 

被験者に、臭化アセチルコリンのような薬品を与えて数秒間無意識状態にすると、目ざめた時に長い夢をありありと覚えている。では、われわれは夢の中で、意識のある肉体とともにあった時間から遊離し、恐ろしく速度を速めた時間を経験するのだろうか?

 

同じような現象が、突然避けがたい死に直面した人間の心の中にも起こり得る。「死にかけた人の目の前にその人の全人生がぱっと浮かんだ」という話をよく耳にする。ウソではないことが証明されている例もいくつかあるようだ。

 

スイスの地質学者アルバート・ハイムが登山中に落下した時のことを語った次のような話はその典型的なものであろう。

「落ちていく間に、思い出が洪水のように私を襲った。その五秒か一〇秒の間に思ったり、感じたりしたことは、その何十倍の時間をかけても語りつくせない。私の死亡通知が愛するものたちに届くのをみて、私は心の中で彼らを慰めた。それから、まるで遠い舞台で、私の過去の人生すべてが次々とはてしなく演じられているのをみているような気がした」。 「これは、頭蓋骨の中に収められた「超高速世界」のようなものの一例なのだろうか。』

(時間の発見/コリン・ウィルソン/三笠書房P129-130から引用)

 

この文章では、フロイトは夢と言っているが、潜在意識あるいは霊界では時間の感覚は同じようなことになる。恐ろしく速度を速めた時間を認識できるということは、刹那のような極超短時間も正確に認識できるということ。

 

つまり平時もさることながら、天変地異や戦争などで、突然避けがたい死に直面するような、本気の意識が露出した時に、極超短時間をも認識できる状態になる。たまねぎの皮を一気にむく。恐怖の恵み。

 

さらに認識された極超短時間には、時間のない現在過去未来の混合した「今ここ」しかないのだろう。だが、刹那である極超短時間と「今ここ」の移動には数秒かかるらしい。

 

この秘密を説明したものはあるのだろうか。

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