◎華厳経とドン・ファン
華厳経から
『一一の微塵の中に仏国海が安住し、仏雲が遍く護念し、弥綸して、一切を覆う。
一つの微塵の中において、仏は自在力を現じ、神変することもまたかくの如し。
諸仏及び神力は、盧遮那の示現したもうなり』
(華厳経盧遮那仏品 第二之二)
一粒の微塵の中に巨大な仏国土が存在している。
これに対してヤキ・インディアンの呪術師ドン・ファン・マトゥス。
『「一瞬が永遠にもなるということを知ってるか?これはなぞなぞなんかじゃないんだぞ。事実なんだ。
ただし、お前がその瞬間に乗って、自分の全体性をどの方角へも広げていけるようにそいつを利用すれば、
の話だがな」』
(力の話/カルロス・カスタネダ/太田出版P16から引用)
さらにドン・ファン、
『いまこの瞬間、お前が不滅というものに囲まれているのがわかるか?そして、お前が望みさえすればその不滅というものを利用できることを知ってるか?』
(力の話/カルロス・カスタネダ/太田出版P16から引用)
ドン・ファンは、一瞬が永遠であることを示し、それすらも利用できることをほのめかす。この言葉に続いて彼は、自分の全体性をまとめて、肉体という境界を越えて出ることすらもできると言う。
自分の全体性とは本尊のことであり、アートマンのこと。一即全、一瞬即永遠とは、無味乾燥な戯言にも聞こえるが、そこには体験とはいえない体験の裏打ちがある。
肉体から出ると言ってもヘミシンクのことではない。神人合一を見ているわけだ。
例の広島県三原の隠遁者エスタニスラウ・マリア・ヨパルト神父も華厳経のことは評価していたようだ。