◎青春期の垂直の道-1
◎ジェイド・タブレット-06-01
◎無意識と死の側
青春期の垂直の道は、青年として自己の意志で広義のクンダリーニ・ヨーガ系の冥想修行に取り組むことである。広義のクンダリーニ・ヨーガ系冥想とは、古神道、真言密教、天台密教、チベット密教、道教内丹、クンダリーニ・ヨーガ、西洋錬金術などである。これらは、霊能力、超能力に由来する行事、イベント、作法、風習にかかわるものであって、究極ではない中間段階を認める冥想法なので、水平の道とは明確に区別せられる。
中間段階とは、「究極である主神」以外の諸神霊、天使をも認めるということで、この特徴を以って、水平の道とは生の側から極める道、垂直の道とは死の側から極める道とも云う。この場合の死の側とは、無意識のことを言っていて、無意識の中に霊も超能力も主神も諸神霊、天使もあるということを総称している。
また人は、夢や白昼夢を見ている際は無意識にあるが、目が覚めている時でも、無意識になる瞬間がある。ボクシングの4階級世界王者井上尚弥は、人は3分間も絶対に集中できないので、相手の集中力が途切れた瞬間を逃さずパンチを打ち込むというが、その瞬間が無意識になる瞬間であって死の側である。
また垂直の道では中間段階を認めるので、様々な段階を区分してみせる。フリーメーソンでは33位階あるとか、古神道では181段階あるとか、仏教では菩薩の段階は52段階あるなどがそれである。空海は上から十番目であるなどと素人受けするようなことまで伝えられている。
さらに水平の道では、中間段階である見神、見仏、見性を認めないのに対し、垂直の道では、それらの神や仏をちら見・一瞥することを段階として評価する。禅の十牛図では、見性は第三段階であり、究極・大悟は第八段階である。
こうした説明をすると、霊能力や超能力と無縁の一般人と垂直の道は、ほとんど関係がないように思われるかもしれないが、豈はからんや『死の世界(無意識)』が大きく日常生活に影響を与えているのが、この世紀末の日々の実態である。