アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

リンカーンは三度死ぬ

2023-12-22 19:48:11 | 究極というものの可能性neo

◎リンカーンの二度の臨死と業績

(2018-02-17)

 

臨死体験のほとんどは、ハズレ体験と思われるが,まれに精神変容の機会となるケースがある。

 

アメリカ大統領リンカーンは5歳の時に雨で増水した小川で溺れたが、年上の友達が岸に引っ張り上げて、一生懸命背中を叩いてくれたので、水を吐いてのたうちまわって意識を取り戻した。

リンカーンは、これ以後知識を渇望し、あらゆる本を手当たり次第に読むようになったという。

その5年後、リンカーンは荷馬車に乗っていて、馬に急げと命令した時に頭を蹴られ、一晩中生死の境をさまよった。後年自らその時のことについて振り返って、その時自分は馬に蹴られて死んでいたとコメントした。

(出所:臨死体験未来の記憶 精神世界への新たなる光 フィリス・アトウォーター/[著] 原書房P288-289)

 

リンカーンの最大の業績は奴隷解放宣言。それからわずか150年でアメリカには黒人大統領が誕生するまでになった。

移民の心理として一旗揚げたいというのは、移民国家アメリカでは抜きがたいものであり、そのポジティブな理想がアメリカン・ドリームである。

逆にそれを基盤にネガティブな制度も起こるが、それが黒人奴隷制度。

一旗揚げるというのは社会的に他に優越したいということであり、社会的弱者の権益を制限して、ある種族や階級階層が制度的にメリットを享受する例は枚挙に暇がない。インドのカースト制度、現代中国の都市と農村住民の厳しい戸籍移転制限や少数民族圧迫、日本の江戸時代の士農工商などなど。

こうした広汎な既得権益を逆転させるのは、一つの革命であるが、一人の風変わりな人間が独力で成し遂げるのは容易ではない。

それは、チベット密教の開祖パドマサンバヴァがチベット土着の宗教勢力を駆逐したり、空海が密教を天皇家に入れたり、役行者が、日本のスピリチュアル・シーンに修験道を開いたりした事績と似ている。

米国大統領といえども、こうした大事業を成し遂げるには、神仏の主導がないとできるものではないが、リンカーンは2度の臨死体験で、そのサポートを得ていたのだろうと思われる。

 

人は臨死体験によって大悟することは稀だが、大悟できる人間は、ある程度準備ができていないとそういうことは起きない。

その準備こそが日々の冥想である。

リンカーンの冥想習慣の有無はわからないが、二度の臨死体験をきっかけに彼が大善行である奴隷解放に進んだことは事実であり、そのモウメンタムを与えてくれたのが臨死体験であったろうことは想像できる。

臨死からの生還は困難であり、生還しても肉体的に問題をかかえることが多い。それらをひっくるめて生還し、無私なる大業を成し遂げたところに、リンカーンが一人の人間としても偉大とされる理由がある。

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超常現象、オカルトは冥想修行の邪魔

2023-12-22 03:27:15 | ジェイド・タブレット

◎ジェイド・タブレット-06-11

◎青春期の垂直の道-11

◎無意識と死の側-5-超常現象・オカルト-1-概説-3-超常現象、オカルトは冥想修行の邪魔

 

現代は霊を含む超常現象を迷信と片付けがちだが、自分の無意識全体を迷信のようなものと片付けることで、無意識という闇に直面することを忌避している。これぞ光偏重のアポロン型文明の特徴である。いわばその反作用として出ているのが、超能力への過剰な期待や、霊能力者への異常な歓迎ぶり、占いへの傾倒であって、これは、超能力者や霊能力者を中心に据えたカルトの隆盛等としてよく見かけることができる。戦後日本の新興宗教は、霊がかりと現世利益全盛。権威づけとして霊能力、超能力をもてはやす。

超能力や霊能力は、現世利益の早道と思われがちだが、決してそうではない。というのは、その基層である変性意識(トランス)を利用して何かをしようとする以上は、そのコントロールに熟達していない限り、変性意識の嵐に翻弄されることになるからである。変性意識という無意識(死の世界)の膨大なエネルギーは、コントロールが効かなくなれば、統合失調症になったり、廃人となったり死の危険もある。変性意識は取扱いが難しいという点では原発のようなところがある。

占いも含めて、超能力開発や霊能力開発というのは、常にそういった危険と背中合わせになっているものだから、悟りを既に得た正師の指導が必須のものである。
そのことを踏まえて、垂直の道では、高級神霊などを観想したりするカリキュラムがあったり、霊能力、超能力を結果として用いることがあるが、修行の途中でそれにこだわると自滅すると言う。

さて七つの身体論から超常現象、オカルト(超能力、霊能力、占い)を説明するということは、究極、ニルヴァーナ、大日如来、神、仏の立場を踏まえて、本来空であって実体のない超常現象、オカルトを説明することである。
上述の事情を踏まえると、本来超常現象は白でも黒でもないが、もとより悟りとは関係なく、むしろ悟りを求める冥想修行においては、魔境などと分類され邪魔になるだけである。魔訶止観でも魔境は分類され避けるべきものとして挙げられている。

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