◎ジェイド・タブレット-外典-06-05
◎ユダヤ人の七不思議
出口王仁三郎は、ユダヤ人は善良で神に従う心が深いとポジティブに評価して、ユダヤ人の七不思議として以下のものを挙げる。
1.万世一系の皇統を戴きつつ自ら、その国を亡ぼした事、
2.亡国以来二千六百年なるにも拘らず、今日も尚依然として、吾等は神の選民也と自認している事、
3.二千六百年来の亡国を復興して、たとえ小なりと雖もパレスチナに国家を建設した事、
4.ユダヤの言語を忘却し、国語を語るものを大学者と呼びなす迄になつて居つても、ユダヤを忘れず、信仰をまげない事、
5.如何なる場合にも決して他の国民と同化しない事、
6.亡国人の身を持ちながら、不断的に世界の統一を計画している事、
7.今日の世界全体は、政治上、経済上、学術上、ユダヤ人の意のままに自由自在に展開しつつある事
これに対して日本の七不思議として次のものを挙げる(戦前に書かれた文章なので、今から見ると違うところもあります。)
1.万世一系の皇統を戴き、終始一貫義を以て立ち、一度も他の侵略を受けず、国家益々隆昌に赴きつつある事、
2.自ら神洲と唱えながら、自ら神の選民又は神民と称えるものの少ない事、
3.王政復古の経歴を有するも、未だ一度も国を再興したる事なき事、
4.国語を進化せしめたるも、これを死語とせし事もなく、従つて国語を復活せしめた事のなき事、
5.同化し難い国民のやうに見えるけれども、その実、何れの国の風俗にも同化し易く、且つ何れの思想も宗教も抱擁帰一し、ややもすれば我が生国を忘れようとする国民が出る事、
6.一方アメリカは、世界統一の為には手段を選ばないが、日本は常に正義公道、即ち惟神(かむながら)によつて雄飛せむとする事、
7.世界は寄つてかかつて、日本を孤立せしめむと計画しつつあれども、日本は、未だ世界的の計画を持たず、ユダヤとは趣を異にしている事
(霊界物語64巻上より)
とユダヤと日本の神秘的コントラストを述べた後に、天消地滅という実質的な最終章を設け、「父母の愛にも勝る無我の声」などと、無我という人間の中にはないものを打ち出して、無我つまり天が消え地が滅するという、「自分もなくあらゆる現象もない」という境地が目的とする境地であることを暗喩している。
父母の愛にも勝るという言い回しは大時代的であるが、情に勝った当時の世相にマッチしていた言い方だったかと思う。
この世の立替立直し(アセンション)は、戦いの果てに刀折れ、矢尽きたところで、人間だけの力ではどうにもならないところまで追い込まれた時に発動するという。そこでこうした日本とユダヤの特徴とは、そのどうにもならないところまで追い込むための、神のグレート・ゲームのメカニズムであるかのように見える。
すなわち出口王仁三郎は、日本とならんで、フリーメーソンも同じグレート・ゲーム=大神業を遂行する重要な組織と見ているのである。したがってユダヤの評価を自ずと前向きなものとしているように思う。
そして立替立直しは、無我(ニルヴァーナ、究極)とセットものなのである。
日本は神国だったはずが、今や最も神から離れてしまった国民性となってしまった。一方ユダヤも自ら神の選民と自負していたが、2600年をへて、果たして今も選民のままかどうか。さて両国民を待つ運命や如何に。
次の和歌は出口王仁三郎が大正時代に詠んだものだが、今はどうだろうか。
神職は神をさとらず僧侶また仏を知らずあさましの世や
宗教家の数のみ増えて神聖の宗教ことごとくかげ失せにけり