◎ジェイド・タブレット-外典-06-08
◎無意識と死の側-5-超常現象・オカルト-2-超能力系-1-超能力についての概説
ここで、超常現象とオカルトを機能面から「超能力系」「霊能力系」「カルマ」「超古代史と宇宙人」の4区分に分けて述べてみる。これらは悟りと関係ないので、本来詳述する必要のないものだが、巷説では幽霊が見える人の比率は、50年前は1割と言われていたものが、最近の若者では、ゲームのやり過ぎや一部の薬剤の影響のせいか25%にまで上昇している説(霊体の臍に穴が開いている)まであるそうなので、垂直の道の印象をつかんでもらうためには有用かもしれないと考えて書き起こすもの。
1.超能力系
超能力とは、天眼通、天耳通、他心通、宿命通、神足通などのこと。
超能力を、自分の欲のために用いるのか、悟りを開いた人のように超能力を他人のためにのみ用いるのかは、真っ先に問われる事柄である。垂直の道を究めた人の生きる姿は後者である。
第六身体アートマンは、世界のすべてのすべてであり、過去現在未来が一体になった時間と空間のすべてである。
これにアクセスして予言などをした場合、第六身体のことをアカシックレコードと呼ぶこともある。
また例えば、神が許し給えば、その超能力である惑星を破壊することも可能だが、それでこの世的なものに未練を残さず納得できるかどうかはわからないのではないか。超能力とはそういうもの。この世的なものに未練が残っていれば悟りはない。
その一方で超能力はカルマに制約されるし、微細身レベルでは微細身レベル特有の法則、ルールがあるもので、それに沿った形でしか超能力は行使できない。
また、先に身に余る財産、権力、栄誉を受ければ、後にそれに見合う善根を積まねばならないという法則もある(功過格)。
一方聖者は、その超能力を天機天命に則ってしか行使できないし、我欲で用いることはない。いわんや一般人が、競馬や株や相場の予想に超能力を用いるなどは天則違反であり、それらは後の反作用を恐れぬ所業である。
そもそも人は生れ落ちる時に一生分の食い扶持は背負って出てきている。病人は食べなくなったら終わりが近いなどとも言う。神仏はリッチかどうかを高く評価しているわけではないので、その食い扶持を先に手にするか後で手にするかだけの違い、という見方もできる。