アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

イザヤの召命

2023-12-10 15:46:05 | ジェイド・タブレット外典

◎ジェイド・タブレット-外典-06-02

◎木の切り株だけ残っても

 

イザヤ書の第六章は、イザヤが神に召命されて、神のために働くことになった段。

神が誰か地上に行ってくれるかという問いを発し、これに対してイザヤが「私が行きます」と応じたところ、神から指示が出た。

その指示の内容は、「民を悟らせないで鈍いままで、愚民化しなさい。」というもの。

イザヤが、妙なことを言うものだと怪訝に思って、神に対して、いつまでですかと問うと、

国の荒れ果て、国民の9割がいなくなっても更に残った1割をも焼き滅ぼす(つまり全滅させてしまう)まで、と神は答えた。

神はすべての人々が亡くなって、木が切られて残った切り株のような状態から、聖なる種族を創造すると説明している、と読める。

イザヤ書は、ユダヤ教の聖典の一つでもある。このように、一旦人類を皆殺しして、あの世から人類復興、人間の再構築を図る考えが古来よりあるのは、日常生活を営む我々にとっては恐ろしい発想である。神から見れば当然の発想かもしれないが、人間に対する愛、悟ってないその他大勢への憐憫はないのだろうか。

 

『主は言われた、「あなたは行って、この民にこう言いなさい、

『あなたがたはくりかえし聞くがよい、

しかし悟ってはならない。

あなたがたはくりかえし見るがよい、

しかしわかってはならない』と。

 

あなたはこの民の心を鈍くし、

その耳を聞えにくくし、その目を閉ざしなさい。

これは彼らがその目で見、その耳で聞き、

その心で悟り、

悔い改めていやされることのないためである」。

 

そこで、わたしは言った、「主よ、いつまでですか」。

主は言われた、

「町々は荒れすたれて、住む者もなく、

家には人かげもなく、国は全く荒れ地となり、

 

人々は主によって遠くへ移され、

荒れはてた所が国の中に多くなる時まで、

こうなっている。

 

その中に十分の一の残る者があっても、

これもまた焼き滅ぼされる。

テレビンの木またはかしの木が切り倒されるとき、

その切り株が残るように」。

聖なる種族はその切り株である。』

(イザヤ書第六章から)

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イエス・キリストができたこと、できなかったこと

2023-12-10 06:41:05 | ジェイド・タブレット外典

◎ジェイド・タブレット-外典-06-01

◎薔薇十字団、薔薇色の血の意味

 

薔薇十字団の標語に「十字架を経て薔薇へ」というのがあるという。これは、イエス・キリストは、十字架の上で犠牲の死を遂げたが、それによって、世界をその堕落の罪から救った。しかし、イエス・キリストは、世界全体を悪から解放できたわけではない。このことこそが、イエス・キリストがなし遂げられなかった事蹟である。

要するに 「十字架を経て薔薇へ」とは、イエス・キリストは、世界全体を救済する端緒を造ったのであり、そのチャレンジの完成は、薔薇という言葉で表現されている。

イエス・キリストは、神の子、アヴァターラである。神は黄金、人間は銀。神の子ならば、半分は金の混じった銀である。神の子の流す血は、エロティックな薔薇色ではないだろう。

錬金術的な言い方をすれば、神の愛はエロスではなくアガペーだから、イエスの流す血は、普通の人間の流す血よりもっと白に近いもののはずである。だから薔薇色の血とは、人間の血のことである。

また薔薇色の血は人類共通に肉体に流れるものであって、その霊、個生命の実体をも指し示す。そして個生命間で共通であることを以って、薔薇色の血は、エリクサー、万能薬のシンボルであり、万人の結合というアクエリアン・エイジ(水瓶座の時代)のテーマであることも表す。

つまり世界全体を悪から解放するためには、薔薇の血を流す必要があるとは、神の子のような一握りのエリートだけが開悟するのではなく、普通の人々が悟りを開くことが必要であることをいう。

薔薇とは、このように悪のない嘆きのない千年王国、地上天国の実現の暗喩であるが、今その前夜にあたり、何人の人がその実現を現実の可能性として見ているのだろうか。そんな大それたこと、あるいは奇想天外なことが現実のものとなると、何人の知識人、有力者が感じているのだろうか。

ほとんど感じられていないから、かくもひどい混乱の巷になっているのだろうか。

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無意識と死の側-4-地球人口削減のための諸施策-2-歴史

2023-12-10 03:21:22 | ジェイド・タブレット

◎ジェイド・タブレット-06-05

◎青春期の垂直の道-5

◎自由な石屋さん、錬金術、キリスト教

◎イエス出現の成果はキリスト教に限定されない

 

自由な石屋さん、錬金術、キリスト教については、次のような印象を持っている。

紀元前からグノーシス、ユダヤ教、錬金術というのは、中近東から西に存在していた。これらは、いわゆるアトランティス密教から派生した宗教と見られ、風土や時々の聖者の出現によって、しばしば路線変更が見られた。

アトランティス密教についていえば、プラトンがソロンという神官からアトランティスのことを聞いたことで当時のアレクサンドリアの図書館にアトランティス密教の精華が残っていたらしいことが想像される。

紀元前5世紀頃、ソクラテスは只管打坐型の悟りを実現し、プラトンは、クンダリーニ・ヨーガ型の悟りを実現したことがプラトンの著作でわかる。学者さんが哲学だと言っているから哲学だと思っている人が多いが、彼らは古代ギリシアの冥想修行者である。つまり二人は、それぞれ顕教系と密教系の悟りを継承していたのだ。

イエス・キリストは、ユダヤ教の中から出てきたが、悟り候補者である以上宗派の垣根を越えて他宗派も注目し、誕生時には馬小屋に三人の博士(マギ)も集まったほど。

ダンテス・ダイジは、イエスはユダヤ教エッセネ派の中から出て来たと見ていたが、イエスは、超能力を使いまくり、クンダリーニ・ヨーガ系であるユダヤ教の継承者として存命中は活動したことがわかる。

だが当時、グノーシスも8天球という形で正当な悟り(ニルヴァーナ)を見ており、錬金術もユダヤ教と一体となった形でユダヤ教の中にあったのだろうと思われる。

最初の錬金術師としてゾシモスやマリア・プロフェティサが出たのが3世紀。マリア・プロフェティサは、ユダヤ人でありユダヤ教から出たと考えるのが自然だろう。心理学者ユングは、ゾシモスの文書を冥想法に関するものと見ており、マリア・プロフェティサの片言『一は二となり、二は三となり、第三のものから第四のものとして全一なるものの生じ来るなり』も冥想に関するものなのだろうと思う。

なおマリア・プロフェティサは物理的な錬金術の器具を発明したとされるが、中国でも漢代において物理的な錬金術である外丹は既に行われていたので、錬金術が中近東オリジナルと見ることはできない。

おそらく、グノーシスとユダヤ教の密教的(クンダリーニ・ヨーガ的)な部分が混交して錬金術という形になったのではないか。

4世紀にキリスト教がローマ帝国で公認された一方でその後、ユダヤ教とグノーシスの密教的部分は次第に衰退し、イスラム教の中に取り込まれる形で、15世紀までの長い胚胎の時期を過ごした。15世紀以降にユダヤ人が欧州各地に散って行く中で、その密教的部分に触発された運動が17世紀の薔薇十字の運動。それは自由な石屋さんの流れになっていくのだが、なぜかユダヤ教と違うシンボリズムを用いている。

勿論欧州域内では、ホイジンガの中世の秋に見るように、信仰としては安定的だったキリスト教の背後で密教的な物も時々ガス抜きをしつつ醸成されてきたところも無視できない。

薔薇は真理の象徴であり、石もまた真理の象徴であり、自由な石屋さんが薔薇のシンボルを用いるのは、真理たるニルヴァーナを標榜するまともな宗教なのだろう。

 

自由な石屋さんというのは、キリスト教神秘主義だの、西洋錬金術だの、新プラトン主義の流れを汲むものだと言われる。だが、17世紀頃さるドイツかなんかの覚者(薔薇十字団)が、21世紀の至福千年実現に向けて、それら密教的なものを再編成して自由な石屋さんというものとして始めたのではあるまいか。

一方で顕教的なキリスト教は、観想法あるいは只管打坐的な瞑想法を中心に今までどおりがんばっているわけだ。

出口王仁三郎は、基本は猶太批判を行わず、昭和神聖会の時代と第二次大本教事件前夜のみにおいて批判。ダンテス・ダイジも、自由な石屋さん側にもちゃんと悟った人間がいると見ている。

一方で歴史学者トインビーの唱えるように文明の根幹は、宗教であって、宗教が衰退すればその文明は滅亡する。近代西欧文明とは、キリスト教をバックボーンとする宗教文明であって、キリスト教が衰退滅亡すれば、近代西欧文明は終わる。

また自由な石屋さんのたくらみは、特に最近においてどんどん露見していっているのだろう。そのたくらみ群は陰謀論とひとくくりにされて論じられることも多い。

全体として見れば、イエス出現なくしては、自由な石屋さんもなかったのだろうと思う。

注目すべきは、OSHOバグワンは、薔薇十字団は、イエスのエソテリック・グループだと見ていること。エソテリック・グループとは、何代も続く高弟達の聖者護持のチームで、他にアショカ王の九秘密会が知られる。

第二次世界大戦は、一般に米英連合国対日独伊三国同盟の大戦と見られているが、キリスト教勢力(石屋系)対仏教勢力の角逐だったと見ているスピリチュアリストもいる。

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