アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

冬の身体バランス練習、シニア向け

2023-12-31 17:32:57 | 天人五衰、ロコモ、フレイル

◎片足立ちバランス改善と転倒防止訓練

椅子からすっと立ち上がれるようになったが、片足立ちバランスは、おけたに整骨院の片足立ち1分youtubeを半年くらいやっているが、効果はない。私は、せいぜい1、2秒です。

また youtube:” 【日替わりトレーニング総集編】立ったまま靴下が履きたい等バランスを良くしたい方に向けた片足立ち向上を目的としたトレーニング集/フラミンゴの介護予防チャンネル
を始めたが、これも効果がない。

そこで、「60代以上のバランスと歩行改善のベスト10練習」(SENIORS OVER 60: BEST 10 EXERCISES TO IMPROVE BALANCE AND WALKING: COMPLETE COURSE/Proprioceptive Rehab by Dr. Doug Weiss DPT)
を発見したので、ご紹介。
これは、前後、左右、上下の転倒防止とバランス改善に特化した10の体操を紹介しているもの。英語ですが、字幕は日本語字幕に変換可能です(設定⇒字幕⇒自動翻訳⇒日本語を選択)。
結構説明が長いので、以下に各エクササイズを要約してみました。

1. 最初はつかまってよい。左前足のかかとが後ろの足のつま先に触れて20秒間立ったまま。これを3回繰り返す。次に左右の足を替える。最後は椅子などにつかまらない。これだけでできるまで数週間かかることもある。


2.正面のいすなどにつかまりながら、両かかとを1,2秒間上げて下す。これを10回やって1分休憩を×3セット。

3.正面のいすなどに両手でつかまりながら、右足で立つ。次にその手を放す。最初は1秒もできないかもしれないが、段々伸ばしていって20秒が目標。20秒を3回連続でできれば卒業。左足も同様。うまくできない理由は、立っている脚に完全に体重を移動できていないからです。
 両手でつかまって完全に片足に体重を乗せるとよい。

4.正面のいすなどに両手でつかまりながら、左に一歩、次に右に一歩サイドステップ。目標は両手を放して右に3回、左に3回。

5. 椅子から手をつかわないで立ち上がる。できない場合は、おしりに枕を1個か2個当てて座面を高くしてやる。目標は10回立ち上がって1分休憩のセットを3回。

6.片手で椅子につかまりながら、綱渡りのように、前足のかかとが後ろ足のつま先に触れるように前方に3,4歩歩いて反転を3回。慣れてきたら手を放してこれを行う。

7.後ろ向きに三歩あるいてUターンして後ろ向きに三歩。これを3回繰り返す。慣れたら手を放してやる。

8.両側につかまれるものを用意して、片手で椅子につかまりながら、高さ15cmほどの踏み台を片足ずつ足指でタップする。左右各20回が目標。慣れたら手を放してやる。

9. 片手で椅子につかまりながら15cmほどの棒をまたぎ越し、戻る。左右各足で10往復ずつ。慣れたら手を放し前後20回が目標。

10.椅子につかまりながらゆっくりと高さ10cm踏み台を後ろ向きに降り昇る。右足で降り、右足から昇る。これを10回。左足で降り、左足から昇る。これを10回。慣れたら手を放す。だんだん踏み台の高さも挙げて18センチ高が目標。

 

最後に全体の進め方のコツをしゃべっています。

1.1日2回全メニューを行い、2か月で完成を目指します。全然できないメニューがあってもかまわず全メニューをやっていく。

2.エクササイズを行うときは、バランスを維持するのに苦労すればするほど、バランスが良くなるということを心に留めておいてください。

3.バランスとは、何が起こっても体の中で重心を維持する能力です。重心を体の中心から遠ざけるほどバランスが良くなります。

4.バランスを維持するのに苦労すればするほど、バランスが良くなります。

5.これをプログラムのようなものだと考えてください。片足で立つためのプログラム、後ろに歩くためのプログラム、横にステップするプログラムのようなものです。これらのことを練習していない場合、プログラムは錆び付いてしまいます。

自分でも片手に重い荷物を持った場合、バランスがしっかりしていることがあるが、それは例外的なケースであって、カラ手で歩行時にバランスをしっかりとるには、筋トレでもヨーガでもストレッチでもなくこのような練習がいるのだろうと思う。
当面これにチャレンジしたい。

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イエス・キリスト-2-悪魔

2023-12-31 03:19:18 | ジェイド・タブレット

◎ジェイド・タブレット-06-14

◎青春期の垂直の道-14

◎荒野で悪魔に試される

 

イエスは、イエスは御霊によって荒野に導かれ、断食中に悪魔に出会った。これについてダンテス・ダイジは、「天国的な方向に向かおうとする努力をしている人に悪魔は必ず現れる」と言っている。

見神・見仏・見性を経た真摯な冥想修行者、あるいは善男善女の生き方は、必ず善いことをして悪いことをしないであって、それは天国に向かう生き方である。

 

そういう清らかな人が、なぜ悪魔に出会わなければいけないのか?

 

これは私にとって、長らく謎だったが、天国だけを生きることは目指すべきものだが、「それがピークに達すれば、地獄的なものもあるのだ、あるものはあるという現実に向き合わねばならない」ということを言っているのだと思う。

 

事実既に悟った者の生き方は、常に諸悪莫作衆善奉行(善いことをする、悪いことはしない)なのだ。たとえば修道院で何か月か天国的な生き方を継続すれば、まもなく神を見ることができるが、それだけでは、混乱と汚辱の世間に放り出された時におろおろするだけで通用しない。高さをクリアしたとしても、深さは別物なのだ。その辺が悪魔出現の理由なのだろうと思う。

 

荒野の40日。

『4:1さて、イエスは御霊によって荒野に導かれた。悪魔に試みられるためである。 4:2そして、四十日四十夜、断食をし、そののち空腹になられた。

4:3すると試みる者がきて言った、「もしあなたが神の子であるなら、これらの石がパンになるように命じてごらんなさい」。

 4:4イエスは答えて言われた、「『人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである』と書いてある」。

4:5それから悪魔は、イエスを聖なる都に連れて行き、宮の頂上に立たせて

4:6言った、「もしあなたが神の子であるなら、下へ飛びおりてごらんなさい。

『神はあなたのために御使たちにお命じになると、

あなたの足が石に打ちつけられないように、

彼らはあなたを手でささえるであろう』

と書いてありますから」。

4:7イエスは彼に言われた、「『主なるあなたの神を試みてはならない』とまた書いてある」。

4:8次に悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての国々とその栄華とを見せて

4:9言った、「もしあなたが、ひれ伏してわたしを拝むなら、これらのものを皆あなたにあげましょう」。

4:10するとイエスは彼に言われた、「サタンよ、退け。『主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ』と書いてある」。』

(口語訳新約聖書(1954年版) 【マルコによる福音書】から引用)

 

イエスの悪魔への対応ぶりと、

 

『11:14さて、イエスが悪霊を追い出しておられた。それは、おしの霊であった。悪霊が出て行くと、おしが物を言うようになったので、群衆は不思議に思った。

11:15その中のある人々が、「彼は悪霊のかしらベルゼブルによって、悪霊どもを追い出しているのだ」と言い、

11:16またほかの人々は、イエスを試みようとして、天からのしるしを求めた。 11:17しかしイエスは、彼らの思いを見抜いて言われた、「おおよそ国が内部で分裂すれば自滅してしまい、また家が分れ争えば倒れてしまう。

11:18そこでサタンも内部で分裂すれば、その国はどうして立ち行けよう。あなたがたはわたしがベルゼブルによって悪霊を追い出していると言うが、

11:19もしわたしがベルゼブルによって悪霊を追い出すとすれば、あなたがたの仲間はだれによって追い出すのであろうか。だから、彼らがあなたがたをさばく者となるであろう。

11:20しかし、わたしが神の指によって悪霊を追い出しているのなら、神の国はすでにあなたがたのところにきたのである。』

(口語訳新約聖書(1954年版) 【ルカによる福音書】から引用)

 

さらに

『10:17七十二人が喜んで帰ってきて言った、「主よ、あなたの名によっていたしますと、悪霊までがわたしたちに服従します」。

10:18彼らに言われた、「わたしはサタンが電光のように天から落ちるのを見た。 10:19わたしはあなたがたに、へびやさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けた。だから、あなたがたに害をおよぼす者はまったく無いであろう。 10:20しかし、霊があなたがたに服従することを喜ぶな。むしろ、あなたがたの名が天にしるされていることを喜びなさい」。』

(口語訳新約聖書(1954年版) 【ルカによる福音書】から引用)

 

この時点で、イエスは既に悪魔と遭遇している。悪魔祓いと病人の癒しが悪魔対応の最前線になっている。信者たちが上手に悪魔対応できることが主眼ではなく、あくまで神を知ることがメインであって、霊能力発現は神知ることにに付随したものであるという雰囲気がうかがえる。

 

【参考】

ダンテス・ダイジの初期の説法から

『「サタンていうのは、天国を大切に守ろうとしている人にだけ現れる。たとえば、イエス・キリストがさ、荒野で自分を本当に高めようとしたときにさ、高めるっていう方向があるときにサタンは現れるわけ。それから釈迦が成道しようとしてさ、成道するっていうのは、天国的な方向に向かおうとする努力なんだ。そしてそれは絶対に必要なことなんだ、人間にとって。より素敵なものに向かうっていうのは。

 

そしてその方向に向かってるとき、突然サタンが現れるわけ。それも、釈迦のサタンていうのは、いかにも釈迦っていう人をよく表していてさ、奴の自意識の豊かさっていうのをよく表現してるよ。まだ素朴だよ、キリストのサタンの方が。汝を帝王にする、とか。石をパンに変えてみよ、とか。崖から落ちて飛び降りてみよ、とかさ。その代りにこの世の一切の権力を与えようとかさ、やるじゃない。

 

で、釈迦の場合に現れたものって言ったら、何のことはない、古女房が現れてきてさ(笑い)、ヤスダラっていうのが女房で、子供がラーフラか。ラーフラを抱きながら、その女房が現れるわけよ。』

(ダンテス・ダイジ1978年の東京是政での説法から)

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