◎ジェイド・タブレット-外典-06-04
◎出口王仁三郎の石屋観
昔、麻生さんが外務大臣だった頃、日本をユダヤ人の金持ちが「住みたい」と思う国にしたいと発言して物議をかもしたことがあった。ことほど左様にユダヤ人の金持ちというとフリーメーソンと絡んで何かと話題にされるものである。
出口王仁三郎は、ユダヤ問題がわからないと駄目だ、私はユダヤのことを悪く書いたことはないと語っている。これは実に不思議なことである。
というのは昭和10年までに彼が詠んだ和歌には次のようなものがあり、とても好意的とは思えないからである。(マッソンとは石屋のことであり、フリーメイソンのこと)
マッソンは世界の隅々おちもなく 世を乱さむとたくらみており、
世の中の万事万端マッソンの計略のわなにおちいりており
地の上の国のことごとく占領し壊さむとするフリーメーソン
外になき是れの尊き神国を乱さんとするフリーメーソン
しかし他方では、非常にユダヤに同情的であり、エルサレムの嘆きの壁で慟哭するユダヤ人を見て、一種名状すべからざる悲哀の感じに襲われている。それは勿論宗教的なものでも無く、また憐愍や同情に由来するものでも無く、それは気味悪い程、根深いもので、たとえば執拗な運命に対する恐れとでも言つたら良さそうな本能的なものである。
その上、これも同情的である。
『是もキリストを十字架に付けた彼等(ユダヤ人)の祖先の罪業の報いとも言ふべきものだらうか。夫れにしては余り残酷過ぎると思ふ。
キリストを釘付けにしたのは彼等ばかりで無く、人類全体なのである。キリストを救世主と仰がなかつたものは彼ユダヤ人ばかりで無く、世界人類の大多数である。
聖書の予言にかなはせむが為とは云へ、余りに可哀相だ。彼等はキリストの懐に帰つて罪の赦しを乞ふこと無しに、何時までメシヤを待望して世界を放浪するのであらうか。』
(霊界物語64巻から引用)
このように、出口王仁三郎は、ユダヤ・フリーメーソンが日常生活の安寧、平和な市民生活を脅かすひとつの元凶であることも指摘しながら、他方で本音は同情的擁護的である理由はどこにあるのだろうか。
(続く)