◎ジェイド・タブレット-09-01
◎コーザル体・完全人・両性具有-01
◎個たる人間の最後の姿
個人が悟りを開く場合、見る自分が残っていると悟りを開けないとされる。見る自分が最後の人間であるとすれば、それは個たる人間の最後の姿であり、第五身体コーザル体のことである。
従って、第五身体コーザル体とは、両性具有にして完全人であり、ゆえにそれ自体がミクロコスモスであり、ひとつの悟りみたいなものと言える。
なお、両性具有という意味は、男女という極く限定的な意味ではなく、光と闇、天国と地獄、善と悪、天と地、太陽と月、陰と陽、快楽と苦悩、欲求と嫌悪、快と不快、寒と暑、貴と賤、聖と俗、美と醜というようなあらゆる反対物の一致という意味である。
第五身体コーザル体の先は、第六身体アートマンであり、神であり仏である。ところが諸聖典、古伝承、神話には、第五身体コーザル体のことはさらっと書いており、どうすれば神仏に到達できるかどうかを微に入り細に入り書いているものはない。
人間が神仏になるには、個人が世界全体宇宙全体になるのだから、逆転である。その想像を絶するさわりの部分は謎に包まれている。そこは、ユダヤ教の生命の樹(セフィロト)では、深淵として表現されている。禅の十牛図では、忘牛存人と世界全体である牛がいつのまにか消えたとだけ、結果報告だけですましている。
※セフィロト
【コーザル体・完全人・両性具有】の章では、まず平面的に「コーザル体・完全人・両性具有」の反対物の一致という人間の完成に向かう特徴を述べ、次の章で反対物の一致という平面から、逆転、ジャンプアウトという垂直上昇への仕掛け、すなわち人が必ずや神仏になるべく(あるいは神仏であったことに気づくべく)最初から計画されている、からくり、メカニズム、秘儀というべき巨大な舞台装置の存在について述べる。