◎ジェイド・タブレット-10-9
◎垂直上昇への仕掛け-9
◎内なる溶解
次に呼吸が止まって、心臓も止まったところから、肉体と意識が分離する直前まで。これ以降は、肉体ではなく、エーテル体のレベルでのイベントと考えられる。
エーテル体とは、チベット密教で言うルン(風)、気、プラーナ、道教の精、動物磁気(メスマー)、神霊原子(出口王仁三郎)等のことであって、半物質の性質を有す。
ルン(風)は、身体内の7万2千本以上の脈管を通る。代表的な脈管は、スシュムナー、イダー、ピンガラー。この三本の脈管の要所に七チャクラが存在する。
死ぬ時を除いて、普通スシュムナーの中をルン(風)が通ることはない(ダライ・ラマ死と向き合う智慧P150)
2.内なる溶解
(5)80の概念からなる粗いレベルの意識がすべて溶解すると『鮮やかな白い心』(まばゆい光にあふれた秋の空)が現れてくる。(顕明)
※80の概念からなる粗いレベルの意識とは、五感と五感よりやや深い程度の、思考を伴う粗いレベルの意識。五感、恐怖、執着、飢え、渇き、喜び、驚きなど。
(6)『鮮やかな白い心』とそのプラーナ(ルン、気)が溶解すると、『鮮やかな朱色の心』が現れる。真っ赤に輝く太陽のように見える。(増輝)
(7)『鮮やかな朱色の心』とそのプラーナ(ルン、気)が溶解すると、『鮮やかな黒い心』が現れてくる。次第に真っ暗闇になる。(近得)
(8)プラーナ(ルン、気)の動きが弱まって、もっと微細なプラーナが起きると、失神したような状態は消え去り、まばゆいばかりの透明な光、もっと微細な『光明=原初の光、一切空、光明である根源的な生来の心』が現れてくる。(光明)
無上ヨーガタントラによるとこの光明以上に微細な意識はなく、この最も微細な意識が、輪廻と涅槃の現れすべての土台となっているとのこと。またこれは、別名母の光明と呼ばれる。母の光明は誰にでもカルマによって現れる。
誰でも母の光明を見れるということが、見仏、見神、見性に相当するイベント。ただし、見る自分を残しているので、真正な悟りではない。
これとは別に観想法の修行(イメージ・トレーニング)によって類似の窮極のイメージを培って、空性を悟っている場合があるが、これを子の光明と呼ぶ。
ここでハイ・レベルの修行者は、母の光明を子の光明に変容させることにより、幻身と呼ばれるボディを出現させることで、中有に入ることを回避する。幻身の出現が大悟に相当するイベントとして認められているようだ。
母の光明を子の光明に変容させるとは微妙な言い回しだが、神人合一に相当する事象と思われるので、それを見ている自分はなくなるはず。ところが観想法中心の修行のせいか知らないが、見ている自分が残っていることをあまり注目しないし、神人合一後に見ている自分がなくなってしまう時点での逆転とか倒立という驚きやら感激について語られていないのはなぜだろうか。
ハイ・レベルでない修行者は、中有にはいり、再度の輪廻転生ルートをたどることになる。チベット死者の書では、この時点で大悟覚醒のチャンスを喪失したことになり、言わばやむなく中有に進み、再転生を目ざすことになる。
※エーテル体について