◎自己審神者、サビアンの審神
出口王仁三郎は、自分で自分を審神していた。これを自己審神者と言い、前例として和気清麻呂を挙げている。
さて弓削道鏡は、宇佐八幡大神の霊言だとして『道鏡をして天皇の後継者とすれば、天下は永遠無窮に太平であるだろう。』と天皇に奏上した。
孝謙天皇は、寵愛の道鏡と雖も、事はあまりに重大であるので、和気清麿に宇佐大神の霊言を再度降ろして確認すべきことを求めた。
清麿は、直ちに宇佐八幡に詣でて、神懸したところ、大神はたちまち清麿に神懸してつぶさに教えて下さった。
清麿は、『只今の大神のお言葉は、国家の一大事にて、にわかには信じ難しいものがあります。願わくは神異を示してその真偽を決めさせて下さい。』と、自己審神者の神術を修した。
すると大神は忽然として神形をご顕示してくださった。その身長三丈に余り、光輝満月のようであった。神勅に曰く。
『我が国家開闢以来君臣の大義明分定まって、未だ臣を以て君と為したり、君を以て臣と為した事なく、天津日継は必ず皇緒を立てなさい。道鏡の暴虐はもとより天地に容れざるの大罪である。宜しく速みやかに処断しなさい。道鏡を怖れる勿れ、吾は必ず相たすけよう云々。』
一般には、神霊に憑依されているよりまし・霊媒は、トランスに入っているから自意識がないので、憑依中に何が起こったのか記憶がないという説明がされる。
これは、思いつきだが、表層意識を神霊に憑依されている場合、よりまし・霊媒は、何が起こっているのかを自覚できないという状態は、例の熟眠中に夢を見ている人のように熟眠中という表層意識が眠っている状態のことなのではないかと思う。
その流れで、熟眠中に夢を見ないレベルの人は、表層意識が眠っている状態でも潜在意識を覚醒させていられるということではあるまいか。
「熟眠中に夢を見ない」というのは、アメリカの覚者ケン・ウィルバーですら見性後何年も達成に時間がかかったという代物。
孝謙天皇(称徳天皇)の時代、天津日継は必ず皇緒を立てなさいということを守ったが、その後については諸説あるようだ。
さて、サビアンの360のシンボルは、アメリカのサンジエゴで霊能者ミス・エルシー・ウィーラーが、マーク・エドムンド・ジョーンズの立ち合いの下に自動書記したようだ。ジョーンズが、審神者たりえたかどうか、つまり悟りを開いていたのかどうかということが問題となるが、それはわからない。ジョーンズは、牧師にして脚本家であり占星術者ではあった。
およそ占いは、何かをきっかけに自分をのぞき込むというものであって、そのきっかけが、おみくじだったり、筮竹だったり、タロット・カードだったり、サビアン・シンボルだったりする。きっかけだから何でもよいということでもなく、言霊とかバイブレーションというものは、最後まで影響してくるものだから、何をきっかけにするかは、慎重であるべきだと思う。
何年か前に京都高尾の神護寺のわきの山に和気清麻呂の墓があることに気づいたが、既に夕方なので、詣でることをあきらめたのが今でも気にかかっている。和気清麻呂の悟境は、世間で思われている以上のものだったと思う。