1.七つの身体についての誤解
七つの身体と言っているのは、主に神智学系の人とバグワンとスワミ・スリ・ユクテスワだ。といってもスワミ・ユリ・ユクテスワはローカ(次元)と呼んでいる。仏教なら地獄界から仏界にいたる十界と呼んでいる。3者の内訳の区分はやや異なっているが、実質的な相違はない。
そもそも7つの身体などと言うから、チャクラやメンタル体以上の世界が個別身体の延長であるという誤解の大きな原因となっていることは否めない。
肉体はバラバラでも実はおなじ一人なのだという認識を先に強調していくべきだったのに、より霊がかった興味を引きやすい話題として人間には同時に七つのレベルで身体が存在しているという話が先に広がってしまったようだ。
まるで7枚の衣服を着るように7つの身体があるわけではない。ポイントとなるのは、衣服のように各人が別々の身体を有するのは第五身体のコーザル体(原因体、スピリチュアル体)までであるということだ。第六身体であるアートマン(コスモス体(神霊体))からは、個人というものはなくなるので、誤解をおそれずに(説明してはいけないが)言えば、皆が共通の身体となるようなもの。
人間の進化にとっては、第一身体の肉体からスタートして第七身体の神(涅槃、ニルヴァーナ)に至るステップというのが観念的には理解しやすいとはいうものの、第六身体から、すべての他人と一緒であるというのは、社会通念からしても生活実感からしてもありえない話である。
ところが、そちらのほうが真実である人がいるのである。七つの身体説では、第六身体から一緒というのが、観念ではなく、現実そのものであるというところが要である。
※仏教の十界:地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界、人間界、天界、声聞界、縁覚界、菩薩界、仏界。
霊がかかった話というのは、先祖の因縁がどうだからあなたはこうなのだとか、水子霊がどうだから、今こうなのだとか、あなたは前世でこういうことをしたからこうなのだという話のことである。通俗の霊の話とは、エーテル体、アストラル体の話のことだからであるが、そのような通俗心霊話そのものは冥想の深化にはあまり役に立たない雑談のようなものだ。摩訶止観(天台智、6世紀)の昔から、魔境にかかわるものとしてあまりお勧めではない。