◎「第一のもの」への観想
ピタゴラスは、若くして相当な冥想フリークであり、マギにも交わり、エジプトの神官にも秘儀を学ぶべく足を延ばし、行く先々でその識見の高さから高い評価を得ていた。
だがそれは、不断の冥想と細かい日常生活における規制によってできていた。
幼少の頃ピタゴラスは、エーゲ海のサモスにあって、既に神事と知恵によって神童として聞こえていた。18歳の頃、かのタレスに弟子入りし、エジプト行きを強く勧められた。
断酒して、肉食を避け、大食もしないのは当然として、少ない睡眠と肉体の健康に留意して、シリアからエジプトでの三日二晩の船中で、常坐不臥(身体を起して冥想)、断食、断水、不眠で、冥想を続け、下船時には身体はこわばり、船員に支えられて運ばれて降りたほどだったという。
22年間エジプトにあって神官らから神々の奥義を授けられ、BC525年カンビュセスの遠征軍によってバビロンに連行された。故郷のサモスに戻ってきたのは56歳になってからだった。
ピタゴラスは、「第一のもの」に与ることが基礎であるとし、「第一のもの」とは、かのもの、万象を貫いている数と理法のこと。
「第一のもの」へのアプローチは観想法によるが、その観想は、真の知識であって、第一の、純粋無雑、常住不二に集中した観想のこと。
「第一のもの」とは、本来の自己とか真我とか、宇宙意識とか、アートマンと同義なのだと思う。ピタゴラスは世界を表現するのに「数と理法」、あるいは「数と事物の名前」などと言っているから数学者だと思われているが、れっきとした覚者の一人である。