◎利己的な世界観
(2008-10-23)
ドン・ファン・マトゥスによれば、内的沈黙こそが、呪術のすべてが生じる立脚点である。そして内的沈黙は段々集められて蓄積されていく。
つまり内的沈黙、想念停止の先にあらゆる超能力、神通力があるとする。こうした超能力は現代人には失われてしまったが、それを失わしめたのはある外部の力であったとする。
その外部の力の正体については、その文脈の中でははぐらかして、明確には語っていないが、「捕食者」というあの世の生き物であるように思われる。
捕食者は、誰もが子供の頃に目撃している。大きな黒い泥のような影が、素早く空中を飛び回り、そして、地面へばたりと落ちる。
ドン・ファン・マトゥスによれば、幼児期の人間は、エネルギーの繭にきつくかぶせたプラスチックのおおいみたいな、意識の光る上着で覆われている。この上着は成長するにつれて、捕食者によって徐々に食べられて減って行き、成人する頃には、地面から足指の上までのわずかな部分しか残っていない。
このわずかな部分こそが、内省の中心であり、人間にわずかに残された意識の部分である。捕食者は、成功や失敗への希望や期待や夢を仕組んでその意識の炎を燃え上がらせることによって、その人間の意識のエネルギーを食べ続けるのである。
呪術者は修練によって、捕食者を遠ざける。その間に意識の光る上着は樹木のように成長を続け、童子の時と同様の完全な状態にもどる。
想念停止が捕食者を遠ざけるのであり、捕食者こそが自分勝手な世界観の根源なのだ。
(参考:無限の本質/カルロス・カスタネダ/二見書房)
ここの部分は超能力のところに力点があるのではなく、
人間にとって唯一の真実は、いつか自分は必ず死ぬということ。そしてその世界観とそこから来る謙虚な姿勢に立った、自我のくびきを克服した生き方の方に力点がある。これを無視するとブラック・マジックの方に進んでしまうことになるのだと思う。