◎死の瞬間に意識を清明に
ヤキ・インディアンのソーマ・ヨーギのドン・ファンは、まず世界全体としてのイーグルがあり、それの全体的あるいは部分的現れとして覚者グループであるナワールがある。仏教で言えばイーグルは法身、ナワールは、報身のような感じ。
ここで見る者というアカシック・レコードみたいな存在があり、その役割は、イーグルを見てその止むことのない流転を観察し記録すること。見る者は、人間を作っている輝く殻が壊れている場合には、イーグルの中に人間のかすかな反応を見出すことも可能だという結論に達した。
これは、現代人の相当数が輝く殻が壊れていて、イーグルなる全知全能の世界全体宇宙全体にアクセス可能だということなのだろう。
ドン・ファンは、自由に到達するとは、永遠に生き続けることを意味することでなく、「見る者」によれば、『人は、普通ならば死の瞬間に失う意識というものを保持することができる』と述べている。
(呪術と夢見/カルロス・カスタネダ/二見書房P206から引用)
カスタネダは、ドン・ファンは、意識を保持するということの意味を説明できなかったと書いているが、その意味は、「熟眠中に夢を見ない」ではないのだろうか。この部分ページの文は、全然不連続に見えるが、思い当たる人だけが思い当たるという部分なのだろう。
悟り、大悟、神、仏、シッディなどを論ずる場合は、多くこのような散発的な表現が関連ないが如く並ぶものだ。
ヤキ・インディアンのソーマ・ヨーギのドン・ファンは、まず世界全体としてのイーグルがあり、それの全体的あるいは部分的現れとして覚者グループであるナワールがある。仏教で言えばイーグルは法身、ナワールは、報身のような感じ。
ここで見る者というアカシック・レコードみたいな存在があり、その役割は、イーグルを見てその止むことのない流転を観察し記録すること。見る者は、人間を作っている輝く殻が壊れている場合には、イーグルの中に人間のかすかな反応を見出すことも可能だという結論に達した。
これは、現代人の相当数が輝く殻が壊れていて、イーグルなる全知全能の世界全体宇宙全体にアクセス可能だということなのだろう。
ドン・ファンは、自由に到達するとは、永遠に生き続けることを意味することでなく、「見る者」によれば、『人は、普通ならば死の瞬間に失う意識というものを保持することができる』と述べている。
(呪術と夢見/カルロス・カスタネダ/二見書房P206から引用)
カスタネダは、ドン・ファンは、意識を保持するということの意味を説明できなかったと書いているが、その意味は、「熟眠中に夢を見ない」ではないのだろうか。この部分ページの文は、全然不連続に見えるが、思い当たる人だけが思い当たるという部分なのだろう。
悟り、大悟、神、仏、シッディなどを論ずる場合は、多くこのような散発的な表現が関連ないが如く並ぶものだ。