◎思春期の垂直の道-3
◎ジェイド・タブレット-04-03
垂直の道とは脱身して、神人合一することである。脱身するには、トランスに入らねばならない。
このように書くと、とんでもなく簡単な道のように思えるが、過去何千年の無数の名だたる冥想修行者がチャレンジをして、成功する者は極めて稀である。釈迦が冥想修行仲間から英雄と賞賛されるのは、そうした事情を踏まえてのことである。
さて脱身にはいくつかの種類があるが、神人合一を目指す場合は、メンタル体での肉体からの離脱のみが可であり、それ以外のボディからの身体からの離脱では届かないとされる。
1.エーテル体離脱
エーテル体という半物質で離脱しても、いろいろと制限が多いのではないかと思われるせいか、エーテル体トリップ記というのは見たことがない。
理屈としては、19世紀イギリスの降霊会などで頻出の人型のエクトプラズムがエーテル体離脱なのではないかと思われる。
2.アストラル体離脱
これは、霊体離脱としてはポピュラーであって、ヘミシンクや坂本政道氏の体験記が有名。アストラル・トリップは、出口王仁三郎も駆使しており、関東大震災やエルサレムもこれで見聞した。ただしアストラル・トリップで見ているのは霊界であって、現界ではないと出口王仁三郎は釘を刺している。
アストラル・トリップでは、究極であるニルヴァーナに到達できないのは、この脱身手法では、見ている自分を捨てられないからだろうか。
3.メンタル体離脱
第四身体メンタル体で離脱することで、ニルヴァーナに到達することができる。
これを唱えているのは、ダンテス・ダイジ。OSHOバグワンも父の野外での火葬に先立って父の頭頂に手を当て、父が頭頂から離脱したことを確認している。チベット密教では、死に際し頭頂サハスラーラ・チャクラからの離脱を重要とみている。
チャクラが存在するのはメンタル体まで。
4.コーザル体以後
個人間としてのボディは、コーザル体まで。どのようにニルヴァーナに到達するかを問題にしているが、人間は、メンタル体離脱でニルヴァーナに到達することが示されているが、コーザル体離脱というものが存在するのか。また存在したとしてそれが意味あることなのかどうかはわからない。
またOSHOバグワンが、生まれて初めて脱身した際に非常に驚いたという。最初の脱身では、誰でもびっくらこくらしい。
OSHOがいつものように木の上で冥想していると、冥想に入れ込みすぎて、自分の肉体が、木から落ちたのにすぐには気づかず、突然自分の肉体が地面に横たわっているのを発見した。明るい一本の線、銀色に光り輝くひも状のものが、横たわっている肉体のへその部分から出て、木にとまっているOSHOにつながっていた。銀色に光り輝くひも状のものとは、クンダリーニのことで霊線とか、玉の緒とも呼ばれる。木の上にいる自分はアストラル体のことだろう。