◎三種の吉兆
宝慶記は、道元が師匠の天童如浄の言行を書きおいたもの。
それに身心脱落の前兆とおぼしきものがある。
如浄が道元に語るには、
「あなたは、これから先、必ず美しく妙なる香気で、世間に比べるものがない香りをかぐであろう。これは吉瑞(よい前兆)である。
あるいは坐禅している顔の前に、油のしたたり落ちようとするようなものがあるのも吉瑞である。
もしくは、いろいろな触覚が起こることもまた吉瑞である。
そのようなことが起きても、すぐに頭髪についた火を振り払う如く坐禅に励みなさい。」
こんな嬉しがらせてもらようなことを大師匠から言ってもらった後で、それに似たことが起きるとその神秘体験にこだわり、しばしば修行は先には進まなくなるもの。
これらの神秘体験は、身心脱落の発生に先立って必ず起きるものかどうかはわからないが、少なくとも天童如浄の経験や直観ではあることを教えてくれたものだと思う。
けれどもその扱いは、どんな素晴らしいあるいは妙な神秘体験でも、それに一切こだわりを持ってはいけないと戒めているのは流石(さすが)である。
天童如浄は、魔境とそうでないものの区分を知らないはずがないので、この3例は身心脱落のプロセスにおける正統的な道標の可能性は否定できないが、一方で全く同じ事象の魔境があることもまた否定できないところはある。
宝慶記は、道元が師匠の天童如浄の言行を書きおいたもの。
それに身心脱落の前兆とおぼしきものがある。
如浄が道元に語るには、
「あなたは、これから先、必ず美しく妙なる香気で、世間に比べるものがない香りをかぐであろう。これは吉瑞(よい前兆)である。
あるいは坐禅している顔の前に、油のしたたり落ちようとするようなものがあるのも吉瑞である。
もしくは、いろいろな触覚が起こることもまた吉瑞である。
そのようなことが起きても、すぐに頭髪についた火を振り払う如く坐禅に励みなさい。」
こんな嬉しがらせてもらようなことを大師匠から言ってもらった後で、それに似たことが起きるとその神秘体験にこだわり、しばしば修行は先には進まなくなるもの。
これらの神秘体験は、身心脱落の発生に先立って必ず起きるものかどうかはわからないが、少なくとも天童如浄の経験や直観ではあることを教えてくれたものだと思う。
けれどもその扱いは、どんな素晴らしいあるいは妙な神秘体験でも、それに一切こだわりを持ってはいけないと戒めているのは流石(さすが)である。
天童如浄は、魔境とそうでないものの区分を知らないはずがないので、この3例は身心脱落のプロセスにおける正統的な道標の可能性は否定できないが、一方で全く同じ事象の魔境があることもまた否定できないところはある。