アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

熟睡中の夢も見ない状態

2022-12-07 16:56:37 | 究極というものの可能性neo
◎神性の具現

ウパニシャッドでは、インドラの師であるプラジャーパティが、「人が熟睡して、精神統一され、一点の曇りもない時に人は夢を意識しない。これがアートマンである。それは不死なるものであり、ブラフマンである」と説明したところ、

インドラは、「熟睡中の夢も見ない状態がアートマンであるという説には何のメリットもない」として納得しなかった。こうしてインドラは101年間プラジャーパティの下で修行をすることになった。

プラジャーパティの別の説明:
風や雷鳴は身体を備えていない。これらのものは、かの空間から立ち上がり最高の光となった後、それぞれ自らの形をもって現れ出る。

それと同様にアートマンはこの身体から立ち上がり最高の光となった後、それ自らの形をもって現れ出る。
(参考:人類の知的遺産・ウパニシャッドの哲人/講談社)

プラジャーパティの別の説明では、アートマンはかの空間である死の世界で発出して、最高の光に起源を持つが、その後個別性を持ってこの世に現出するというアートマンの位置づけを知り納得している。

つまり我々個人は熟睡中の夢を見ない状態でアートマンに帰り(アートマンに個別性はないが・・・)、その後個別性を持って夢の世界より帰還するのだが、それは個人の側から見た説明であって、アートマンの側からみれば、そのメカニズムこそが人の神性の具現であるということになるのだと思う。
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