◎実際にやって初めて効果を実感するもの
9月下旬に最高気温30度越えは一回あったが、以後20度台が続いている。肉体は秋分までの酷暑モードから徐々に切り替わってきた。散歩場所も徐々に室内から屋外へと移し、ノーマルな状態に戻そうとはしている。
ところが、6月から9月までの4か月弱、屋外ウォーキングをほぼやらなかったせいで、屋外散歩しても以前のようなスピード、距離にならないのに愕然。いつも散歩時にすれちがう老人男性も同様のようでスピードはとても遅くなっている。
酷暑の4か月は、散歩がほぼできなかった4か月であって、関東圏では老人の運動機能低下は広汎に起きているのかもしれない。
その間もほぼ毎日50分の室内散歩を行い、途中で上半身筋トレ(10分)も加えてきた。
室内散歩は確かに全身を動かして血行を促すという効果はあるが、屋外散歩に比して脚全体の負荷が小さいのではないかと思った。禅道場で行う経行(きんひん)も屋外。だが、屋外散歩がベターだが、雨の日、強風の日は、室内散歩となるのは、やむを得ない。
最近、ちと思うことがあり、白隠の夜船閑話の軟酥の観にならい、腹式呼吸と軟酥の観風の観想法を始めてみた。
これは、著効があったようだ。こんなことならもっと早くトライすべきだったと反省している。
まず腹式呼吸は、若い頃から時々やっていたが、2、3回やってもあまり効果が感じられないことからあまりやることはなかったが、20分、30分と効果が出るまで繰り返すものだということがわかった。最初から2、3回やっただけで効果が出るのは天才だけである。
軟酥の観風の観想法は、20代の頃から11月には不調になることがあり、時々試してはいた。これも最初のうちはまねびだが、習熟していくうちに効果が出るものだろうと思う。
まことに冥想法は、実際にやって初めて効果を実感するものであり、効果を実感すればますますやるもの。だが、そのやり方の絶対性は、やらずに本やネットで眺めたりしているだけでは何も起こらない、と改めて思った。
冥想法には、効果を求めるタイプの冥想以外に効果を求めないタイプの冥想もある。古神道で言えば、幽斎と顕斎の違いである。
参考:幽斎と顕斎
『道之大本 第三章
一.神を斎(いつ)きまつるには、顕斎、幽斎の二つの大別あり。
二.顕斎は、天つ神、国つ神、八百万神を祭祀するものにして、宮殿あり、祝詞あり、幣帛ありて、神の洪恩大徳を報謝して、敬虔の意を表するの道なり。
三.幽斎は、真神を祈る道にして、宮社もなく、祭文もなく、幣帛もなし。ただ願望するところを、吾人の霊を以て祈祷し奉るの道なり。
四.要するに顕斎は、祭祀を専とし、幽斎は祈祷を専とするの道なり。
五.真の神は霊なり。故に其至霊に対するは、霊を以て祈るべし。
六.顕斎のみに偏るも非なり。幽斎のみに偏するも亦(また)非なり。
七.ある宗教の唱ふる如く、「神は霊なり」として、霊のみに偏し、形あるものを祭ることを忌み嫌いて、顕斎の道を無みし、偶像宗教などとそしるもの、あまり偏見にして、未だ全き教理といふべからず。
八.斎きまつるには、神像必ず不可ならず。されど祭祀祈祷の大道を誤りて、顕斎のみによりて福祉を祈るは非なり。祈りは霊を以てせざるべからず。』
(出口王仁三郎著作集第一巻/出口王仁三郎/読売新聞社から引用)
※幽斎が、効果や目的を求めない冥想である。