◎坐禅のバリエーション
坐り方をいろいろと験してみると言っても、実際にどのようにしたのか、実例を挙げてもらわないとイメージは湧かないものだ。まして投げた小石が竹に当たってカーンという音を聞いて悟ったとか、婆さんにしたたかにほうきで殴られて悟ったなどと言っても、それまでにどのようにしてそうなったのか知らないと、「真理は日常生活に潜む」などという誤解をしがちなものである。
「真理は日常生活に潜む」などと聞けば、何も冥想訓練のない只の人が、道を歩いて犬にぶつかったら悟りが開けた、というようなことを想像することもあるのではないだろうか。
中国の雪巌祖欽禅師は、禅関策進という書物の中で、自分の修行の流れを次のように語っている。
1.16歳の時に僧となり、18歳の時に双林寺で、朝から晩まで禅堂の前庭から外に出ることはなかった。トイレや洗面にたつときも三尺以上先は見ないで、脇見をしなかった。
この時は無字の公案に取り組み、たちまちいろいろな雑念が起こったが、その起こるところを反省してみると、冷たい水のように直ちに心がさっぱり澄みきって静かになり、ちっとも動揺せず、一日が指をはじくほどの短い時間に感じられ、この間鐘や太鼓の音も一切聞こえなかった。
2.19歳になって処州の来書記に、「あなたの坐禅工夫は死んでいる。坐禅する時は必ず疑いを起こすべきだ」とアドバイスされ、こんどは「乾屎けつ」の公案に取り組んだ。その公案は次のようなもの。
「雲門和尚はある僧から「仏とはどういうものですか」と尋ねられ、「乾いたクソのかたまり」と答えた。」
東に疑い、西に疑い、縦横に公案を研究してみたが、昏沈と散乱に交互に攻められて、しばしも胸中の浄らかさを得ることができなかった。
3.こんどは浄慈寺に移り、7人の仲間の雲水と組んで修行した。そこでは寝具をしまい込んで、脇を床につけて横臥しないで、ひたすら座布団の上で鉄の棒くいのように坐っていた。
2年間も身体を横にして寝なかったので、のびてしまって目がくらみ、気力もなくなった。そこでこの苦行を一気にやめてしまった。
4.2か月たって身体が回復して、生気を帯びてきたので、必ず夜中にぐっすり眠ることによって生気が回復することを知った。
5.仲間の修上座から、「座布団を高くして、背骨を真っ直ぐに立てて、全身をそのまま公案と一丸にしていけば、昏沈と散乱は問題にならない」と示唆され、これを支えに坐禅したところ、覚えず心身ともに忘れるまでになり、清々として爽快なること3昼夜、両眼のまぶたが合わないでさめていた。
三日目の午後、寺の門の下を心は坐ったままの境地で歩いていた。すると修上座に「ここで何をしているのですか。」と問われ、「道を弁じています。」と答えたものの、「一体何を道と言うのか」と問われ、答えることができず、ますます昏迷した。
そこで坐禅しようと思って堂に帰ると、首座に逢って「お前はただ大きく眼を開けて、これは何の道理かと、しっかり見極めていくことだ」といわれ、座布団に坐ったとたん、眼の前がからりと開いて大地が落ち込むかのように感じた。この時はその心境を人に言って聞かせられるものではなかった。それはこの世のあらゆる相貌でたとえられるものではなかった。
※“眼の前がからりと開いて大地が落ち込むかのように”は、落下ですね。