アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

松尾芭蕉-4-孤独

2023-11-19 03:50:55 | ジェイド・タブレット

◎ジェイド・タブレット-05-22

◎青春期の水平の道-21

◎透徹した孤独感そして神秘

 

「うき我をさびしがらせよ 閑古鳥」

とは、芭蕉がある寺に独り居て詠んだ句(嵯峨日記)。この透徹した孤独感には癒せる手段はないことを知っている。

 

「おもしろうて やがて悲しき鵜舟哉」

これは、芭蕉が、鵜舟のかがり火の消えた闇を詠んだもの。

 

さらに

「瓶(かめ)破(わ)るる夜の氷の寝覚(め)哉」

寝覚めの床で聞く氷が瓶を割る音は、一入(ひとしお)孤独感をつのらせる。

 

解説書を読むと、芭蕉は、旅に出て老い先が短いから寂寥感が高いみたいなことを書いているのだが、そうではないのだろうと思う。覚者特有の孤独がある。

そしてその先には、社会的不適応も見える。この世を逆立ちしたまま生きなければならないのだ。

 

さらに、マタイによる福音書8章20節、

『イエスはその人に言われた、「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。されど、人の子に枕する所なし」』

人の子とはイエスのこと。枕するところ、つまり家を求めるというのは、帰る家がないことを感づいている人に起こる。

 

帰る家がないことは、道元も芭蕉も同じ。

道元の遺偈

『五十四年

第一天を照らす

箇の浡跳を打して(浡はさんずいでなく、足偏が正しい文字となっています)

大千を触破す

咦(いい)

渾身に覓(もと)むる無し

活きながらに黄泉に陥つ』

これの現代語訳

『五十四年の人生において、

天の最高位を知ることができた。

 

〔いまは、そこからもなんのこだわりもなく〕飛び跳ねて全世界を打ち破ってしまうのだ。

ああ

体全体、置き所に拘ることもない。

生きたまま黄泉の国に陥ちてゆくだけなのだから。』

(道元禅師全集第17巻/春秋社P271から引用)

身の置き所とは、枕する家である。

 

そこでまた芭蕉。

此の道や 行人(ゆくひと)なしに秋の暮

 

此の道にもどこにも行人などいない。絶対的な孤独・・・・・。これだけ読めば、宵闇漂う舗装されていない道を宿へと急ぐ自分の寂寥感の表出だけの句である。

ところが松尾芭蕉は覚者なのである。そしてまた覚者の感情はあまりにも当たり前の人間と同じように残っている。個の隣で全体と一致するということが起こるのだが、それは、強烈な孤独感を残す。覚醒後は、孤独の極みに生きる。覚者の絶対的孤独感は、それが、絶対的であるがゆえに理解されにくい。

その孤独感は、あまりにも透徹していてあらゆる次元において独りであるという実感でもあるから、「帰る家がない」という嘆きにもなる。

国家や社会や家庭が荒れ果てていても、彼らに帰る家や故郷や山河はない。

ダンテス・ダイジはそうした心境を「私はわが家に安坐している」という詩において、

『帰る家がないからといって

家を求めてさ迷うには及ばない』とそろりと書いている。

こういうのをやさしさ、恩寵というのだろう。

 

非二元ノンデュアリティに生きるとは、その絶対的な孤独と寄る辺なさを生きることである。イエスであっても、ダンテスであっても、道元であっても、ことさらに、それを語りださねばならぬほど透徹したものなのだろう。

ゆくすゑに 宿をそことも 定めねば

踏み迷ふべき 道もなきかな

一休

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肥田春充の丹田強化-3

2023-11-18 19:21:44 | 丹田禅(冥想法8)neo

◎丹田を錬る-11

◎丹田の位置

(2021-03-08)

 

肥田春充の丹田論は、まず精神集中と気合を込めるのが前段。そこで心気なる気を足の親指まで行き渡らせる。これは、出口王仁三郎の振魂の前段が、渾身の力を込めて云々などとなっているのと同じ。

そこで次に丹田の位置の話となる。

丹田の位置:

①臍から垂直下方に一本直線を引く。

②臍から背中方向に水平な直線を引く。

③その直線の背中(椎骨と仙骨の接合部)上の点から恥骨下端方向に斜めに直線を引きそれを延長すると①に交わる。

この直線①②③からできる直角三角形に内接する円を描く。この円の中心が身体の重心。

この円と直線①の交点が臍下丹田。

振魂では臍下丹田の前で手のひらを振る。振魂では、神名マントラも同時に唱えるが、肥田流にはそれはない。

『呼吸を計り、気合を込め、筋肉の緊張と共に、精神を集中することにしたから、一挙一動、無限の趣味を伴うと共に活力全身に漲り、回数を多くやる必要がなくなった。』(聖中心道肥田式強健術 肥田春充/著 壮神社P61から引用)

『踵で息するとは心気を足端に注ぐことである。』

(上掲書P99から引用)

足端に注ぐとは、

『足の親指で踏みつける』(上掲書P106から引用)

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肥田春充の丹田強化-2

2023-11-18 19:14:03 | 丹田禅(冥想法8)neo

◎丹田を錬る-10

◎丹田強化の効果

(2021-03-07)

 

昭和の日本人は、戦後から昭和50年頃まで、“モーレツ社員”、“エコノミック・アニマル”など、経済復興に向けて、精神よりも戦災からの復興と豊かな家電(三種の神器: 白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫)に囲まれた“一億総中流”への生活向上が共通目標だったことは否めない。

そうした社会通念下では、生存競争を生き抜くためには、丹田、すなわち肥田春充の言う正中心の開発強化による気合とか気力充実が必須であって、現代人のように敢えてモチベーションを喚起する必要はなかったのだと思う。

逆にそうした時代には、敢えて“優しさ”やら“知性”やら“しっくりくる”などの感性を強調することがバランスをとることにつながり、OSHOバグワン、クリシュナムルティなどもそのような傾向で出て来たところがある。

さはさりながら丹田強化の効果は、健康増進、体力回復にとどまらず、スワジスターナ・チャクラ(丹田)の開顕(大安心)から、大悟覚醒に至る大道への入り口でもあることは、無字の公案など臨済宗系の禅などでも見られるとおりである。

 

まず肥田春充の丹田強化の効果と意義から、

『1. 正中心の鍛錬

(1) 心身修養の最捷径

(2) 健康衛生の本源

(3) 体力増進

(4) 威容発現

(5) 肉体美、彫刻美、姿勢美、活動美の第一条件

(6) あらゆる芸術の根底

(7) すべての武道の妙諦

(8) 能率増進の基礎

(9) 社交上の要訣

(10) 処世の一大利器

 

  1. 正中心養成の必須条件

(1) 腰腹を堅固にする

(2) 脊柱を伸ばす

(3) 上体柔軟

 

  1. 正中心養成の効果

(1) 気力充実、精力旺盛、正義に強い真勇を得る

(2) 平静にして仁愛の情自ずから起こる。

(3) 内臓諸機関の機能を完全にする。

(4) 身体各部の成長発達を順調にする。

(5) 強健に導き、能率を増進させる。

(6) 正しい姿勢により精力の濫費を防ぐ

(7) 攻撃防御共に変化自在となる

(8) 宗教上、悟道の極致に躍入させる。』

(参照:聖中心道肥田式強健術 肥田春充/著 壮神社P127-128))

 

上記『3.(1)』には、正義などという凡そ宗教系の経典ではあまり見かけない用語がある。こういうのを残しているところが、徹底しなかった気配ではある。

この文章に続いて、天台の摩訶止観からの引用がある。ここは冥想修行にも丹田強化が大いに効果があることを語っている部分。坐ってばかりだと代謝が落ちて病気になりやすいものだ。

『(病因を論ずること甚だ尽くせり。治法を説く事も亦甚だ精密なり。十二種の息あり、よく衆病を治す)。

臍輪を縁して豆子を見る法あり。その大意、心火を降下して、丹田及び足心に収むるを以て至要とす。但だ病を治するのみにあらず。大ひに禅観を助く。』

(ここは、摩訶止観からの引用だが、白隠禅師の夜船閑話からの孫引きか?)

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肥田春充の丹田強化-1

2023-11-18 19:07:08 | 丹田禅(冥想法8)neo

◎虚弱者から強壮者へと変貌

◎丹田を錬る-9

(2021-03-06)

 

肥田春充(1883年- 1956年)は、戦前軍部や皇族とも近い関係を有していた肥田式強健術の創始者。

ダンテス・ダイジは彼を、悟ってはいないが、丹田のあらゆる可能性を開いたと評価している。いわゆる肉体の可能性とは肉体オンリーで単独で成るものではなく、エーテル体レベル、気レベルの連動があるもの。

肥田春充は丹田を正中心と呼び、腰腹同量(腰腹に等分に力が入る)の正中心の強化を以って人が健康を獲得する道であることを確認した。特筆すべきは特定の師を持たず、多方面の書を読みながら様々な実験、研鑽を積みながら独自開発の『聖中心道肥田式強健術』を編み出したことである。

曰く、腰腹同量とは、身体の重さがつま先にもかたよらず、かかとにも偏らず、腰と腹が等分の緊張をした姿勢である、と。

 

彼の強健術メニューには、

呼吸法、

筋肉練修法、

気合術、

休養法

等によって構成されている。

また曰く、足を正しくすれば、腰は自ずから据わり、腰が据わると腹は自ずからしまる。腰と腹が決まれば上体は自ずから崩れない、と。(聖中心道肥田式強健術 肥田春充/著 壮神社P91)

まず足から定めるのだが、足、腰、腹、上体は連動している。

人間には10チャクラあって、建木の十太陽とか、十種神宝とかで表象されるものだが、最下方三チャクラは脚に存在している。

40年ほど前には、足の三チャクラは動物レベルのものだから、あまり気にしなくてよいなどと言われていた。

ところが、自分自身が虚弱者で半病人だった肥田春充も、臍下丹田を鍛えるには、まず足というのは、

図らずも現代人と当初虚弱だった肥田春充の状況はシンクロしていたわけだ。

肥田春充当時の70年前の人間と今の人間では、足の退化の具合が文明化、機械化の進展により予想外に進展したことがあるのではないか。それと長寿化。

若い人には、足の骨折が多いと聞く。丹田を鍛える前に足の強化というのは、意外に現代人の盲点かもしれない。

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松尾芭蕉-3-あわれ

2023-11-18 03:33:11 | ジェイド・タブレット

◎ジェイド・タブレット-05-21

◎青春期の水平の道-20

◎松尾芭蕉-3-わび、さび、あわれ-3

◎あはれ

◎無念になりきる

 

野ざらしを 心に風のしむ身哉(かな)

(芭蕉)

悟ったからには、あらゆるものが未知の世界である。それが野ざらし。秋の野ざらしの風は、ことさらに心にしみる冷たさである。

 

塚も動け 我が泣く声は 秋の風

(芭蕉)

これは、松尾芭蕉が来らんことを久しく待望していたが、ついにその夢が叶わず先になくなってしまった俳人一笑の墓(塚)に詣でた時の句。芭蕉としての立場なら、さあファンである貴殿の待ち焦がれていた私がやってきたぞという死者への手向けの気持ちが句になっただろう。ここはそうではなくて、芭蕉が、不遇のうちに亡くなった一笑の無念になり切っている。

これは、自分を棄てることにためらいがない人でないと、なかなかこうはなれない。これが芭蕉のあはれ。

 

やがて死ぬ けしきは見えず 蝉の声

(芭蕉)

これは蝉の声ではなくて、人の声でも同じ。蝉は地上に出てから6日くらいで亡くなる。人もせいぜい平均寿命で言えば90歳弱。蝉の間断ない声の長さの中に入り込み、その一生を直観してしまったのだ。蝉の一生の無力さ、たよりなさに、自分の一生も引き当てて見ている。

人間は、何一つ自分の思うとおりになりはしない。これがもののあはれ。

それでも何の問題がないことを知るのが悟り。芭蕉はそれを知っていた。

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松尾芭蕉-3-さび

2023-11-17 03:54:16 | ジェイド・タブレット

◎ジェイド・タブレット-05-20

◎青春期の水平の道-19

◎松尾芭蕉-3-わび、さび、あわれ-2

◎さび

 

一方寂びとは、諸行無常、盛者必衰であり、様々に生成化々するあらゆる現象を見ているが、その一方でなにもかもなしというニルヴァーナにいるということで、その感傷に浸りきらない二重性を負った印象のことか。侘びがやや主観に重心を置くのに対し、寂びはより客観に重心があるとみるべきか。

復本一郎は、さびとは『現象としての「渋さ」とそれにまつわる「さびしさ」との複合美が一句に色として形象化されたもの』(さび/復本一郎/塙新書P190)と定義する。

 

松島は笑ふが如く、象潟はうらむがごとし。寂しさに悲しみをくはえて、地勢魂をなやますに似たり。

象潟や雨に西施がねぶの花(芭蕉)

 

浜はわづかなる海士の小家にて、侘しき法花寺あり。爰に茶を飲、酒をあたゝめて、夕ぐれのさびしさ、感に堪たり。

寂しさや須磨にかちたる浜の秋 (芭蕉)

 

さらに

この道や行く人なしに秋の暮れ  (芭蕉)

 

この寂しさと悲しみと物憂さだけと見れば単なる感傷だが、背景に大悟がなければ、一本筋が通らないと思う。俳諧の議論には、あまり悟った悟らないは問題にされぬようではあるが、芭蕉の弟子には大悟した者が何人かいる。悟ってなんぼの情感が、さびである。

 

そこで、

「うきわれをさびしがらせよ秋の寺」の一句は、伊勢長島大智院に松尾芭蕉の真筆になるものと伝わる。

解説本だと芭蕉は、旅から旅を繰り返していたので、旅の「ものうさ」が「うきわれ」の根底に流れているなどと書いてある。それもそうかもしれないが、覚者特有の絶対的に透徹した孤独感が「うき」であり、「さび」なのだろうと思う。

それはどこから来るかと言えば、覚者の生きる二重のリアリティ、すなわち個人でありながら神仏を生きるところから来るのだろうと思う。

それはなぜかと言えば、人は七つの身体でできているのだが、七つは個である五と全体の側である二に分かれる。全体である二とは神仏。

七つの身体とは、十二単衣ならぬ七単衣のようなものと想像しては間違える。五と二。

二の側も第六身体は有、第七身体は無。そこでは、体験者、見る者が、問題となる。見ている自分を捨てられるかどうかという課題である。一体誰が見ているのかということ。

第六身体は弥陀の本願・絶対他力だったり、神の恩寵と愛へとサポートする聖霊などと表現されることもある。第七身体は、維摩の一黙として言葉で表現できないとされることも一般的な、ニルヴァーナ、何もかもなし。

五と二が併存している二重のリアリティの実感が「さび」なる透徹した孤独感であり、「うきわれ」の基調につながってくるのではないかと思う。

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丿貫の利休評など

2023-11-16 06:41:51 | ジェイド・タブレット外典

◎ジェイド・タブレット-外典-05-09

◎風雅は身とともに終わる

 

丿貫(へちかん)は、武野紹鷗の高弟であって、茶器を馬に負わせて諸国を徘徊した。

もともと丿貫と利休はライバルであって、丿貫は利休が世におもねり、世間の人にへつらうことの多いことをいつも憤り、また利休が権力者にかわいがられることをひどく嘆いていうには、

「利休は幼少の頃は純粋で篤実な奴だったが、今は若い頃とは違って志が薄くなって昔と人物が変わってしまった。人は20年毎に志が変わるものだろうか。

私も四十歳から自分を棄てる気分となってきた。利休は、人生の右上がりの上昇時期だけしか知らないのだが、惜しいことに、人生の衰えていくパートを知らない者である。

世の中の移り変わることを飛鳥川の淵瀬に例えたものだが、人の変わることはそれよりも早い。

そういうわけで、わかっている人は、世界を実体がないと見て軽く世を渡っていくものだ。云々。」

 

丿貫は、その没年に自分の短冊を買い戻して焼き捨てて、

「風雅は身とともに終わる」と語って没したという。

 

世界も身とともに終わる。

財産も身とともに終わる。

地位も身とともに終わる。

名誉も身とともに終わる。

 

丿貫は、自分の短冊がよほど恥ずかしかったのだろうか。自分の宇宙が終わるということで、別れを告げるやり方がたまたま短冊買い戻しだったのだろうか。

丿貫は、およそわびてなどいない戦国武将たちにわび茶を説く利休に嫉妬があったのだろうか。私は利休は未悟だと考えているが、未悟の一求道者としての利休が、武将たちにわび茶でニルヴァーナの薫香を香らせてみせることには、それなりに意義があったように思う。

世の人の99%は、仏性を具しているとはいえども悟ってはいないからである。

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千利休の一碗の茶の真の味

2023-11-16 06:20:41 | ジェイド・タブレット外典

◎ジェイド・タブレット-外典-05-08

◎わび茶の濁り

 

わび・さびと言うのは、千利休のよく称揚した考え方である。利休は、南方録にて、わびについて次のように説明している。

「さて、わびの本意は、清浄無垢の仏世界を表わして、この露地・草庵に到着してからは、塵埃を払却し、主客ともに直心の交わりなので、規矩寸法、作法など、なおざりに言うことはできないし、火を起こし、湯を沸かし、茶を喫するまでのことであり、他のことはあるべきではない。

これ即ち、仏心の露出するところである。作法・挨拶にこだわるばかりに、種々の世間の決まり事に堕して、あるいは客は主の過ちをうかがいそしり、主は客の過ちを嘲(そし)る類になってしまう。

この子細をよく了悟する人を待つのに時間はない。趙州(中国唐末の禅僧)を亭主とし、達磨大師を客にして、利休と南坊(利休の弟子)が、露地の塵を拾うほどであるならば、一会は整うべきか、呵々大笑。」

 

このロジックでは、露地・草庵の外では、清浄無垢の仏心がないとしているので、これは内と外が違いがあるということであるから、およそ仏心からはおよそほど遠い人心のことであろう。好意的に見れば、露地・草庵を一つのサンクチュアリ(聖域)と見立てて、茶の湯を仏心という聖なる雰囲気を味わう機会として提供したというものと見ることができようが、一刻一瞬を真剣勝負で暮らしている禅者にとっては、生ぬるいことこの上ない。

この問答に続いて、南坊宗啓が利休の悟境を問うたところ、利休は、「一碗の茶に真味あることが、だんだんほのかに、わかって参りましたが、時に水の濁りを為すことは、利休が誤るところである。また客たる人が得道していないので、主もまた(客たる人に)ひかれて迷うことあり。」とあり、窮極には至っていないことを述べている。

金に任せて贅沢をするのを良しとする桃山時代の人々に対して、彼らが思いもかけなかった、茶の湯一碗に窮極の香りを薫ぜしめることに意義があったとは認められるが、利休の茶の湯は更に一歩、思い切って踏み込むための手法ではなかったようだ。

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松尾芭蕉-3-わび

2023-11-16 03:33:21 | ジェイド・タブレット

◎ジェイド・タブレット-05-19

◎青春期の水平の道-18

◎松尾芭蕉-3-わび、さび、あわれ-1

◎わび

 

わび、さび、あわれは、未悟の普通の人にもあるが、覚者にはより深く出る。

 

まず芭蕉のわび。覚者は、金のことなど世俗の欲得を見切っているものだから、必ず貧窮なものである。折節、他人に譲り、欲をかくことがないので、自ずとそうなる。

だが実際にしばしば衣食住に困るというのは、覚者といえども容易なことではなく、そういった状態に居ることを「わぶ」と言う。覚者は、逆立ちした人生を生きているのだから、必ず社会的には不適応であって、ゆえに貧しい。けれども「わぶ」はネガティブでもポジティブでもない。

さらに

『月をわび、身をわび、拙(つたな)きをわびて、わぶとこたへむとすれど、問人もなし。なをわびわびて、

詫びてすめ月侘斎(つきわびさい)が奈良茶歌

芭蕉

 

(大意:

月を侘び、身を侘び、自分の拙いことを侘びつつ日を送っている。もし誰かが問うたなら、「侘びている」と答えようと思うけれども、問う人もいない。それでも透徹した孤独感なる侘びに堪えず、

月を愛でながら奈良茶飯を食べつつ鼻歌を歌い、侘びは澄んでいこう。)』

(歌集:むさしぶり)

 

侘びは俳諧以外に茶道でも重視される。

千利休は悟っていないが、わびの本意は仏心の露出するところだと述べる(南方録)。

禅僧趙州の十二時の歌でも、わびた生活感がこれでもかこれでもかと出されている。わびは、当代盛んにもてはやされるブランド好きなスーパーリッチとは無縁の世界である。

 

加えて、

『笠は長途(ちょうと)の雨にほころび、帋子(かみこ) はとまりとまりのあらしにもめたり。侘びつくしたるわび人、我さへあはれにおぼえける。むかし狂歌の才士、此国にたどりし事を、不図(ふと)おもひ出て申し侍る。

 

狂句こがらしの身は竹斎に似たる哉    芭蕉

(大意:笠は長旅に破れ、紙子(服の一種)も同様よれよれである。侘び尽くした私だが自分でもあわれに思う。そういえばその昔、竹斎もこの国に遊んだと言うことを思い出したので、・・・)

※竹斎:藪医者の竹斎が京都で食い詰め、にらみの介という下僕をつれて東海道を下って江戸に至る狂歌の滑稽漫遊記の主人公。』 (歌集:冬の日)

 

聖者は、多くの場合読書人階層に出て、知的素養を持って冥想修行に入るので、最初から貧窮にあっては成道するのは困難ではあるが、悟りを得てからは、「わぶ」のである。

かくして蕉門誹談の随門記にあるように「侘しきを面白がるは、道に入りたる甲斐なり」と、覚醒した人の生き様こそがわびなのだ。

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松尾芭蕉-2-今ここ

2023-11-15 03:16:03 | ジェイド・タブレット

◎ジェイド・タブレット-05-18

◎青春期の水平の道-17

今こことは、世界全体、宇宙全体が自分と合一したということであって、そこでは過去も現在も未来も一緒になっているから時間はないこと。そのシチュエイションにある実感から出てくる言葉は、日々のあるいは一瞬一瞬の仕事や家事を精密にやることで悟りに至る事上磨錬という水平の道の成道者のものである。

 

(1)昨日の発句は今日の辞世、今日の発句は明日の辞世

芭蕉が臨終に近いある日、支考、乙州など、弟子たちがお見舞いに集まっていた。去来が芭蕉の具合を計って、芭蕉に「古来より有名な師匠は、ほとんど臨終に際して辞世の句を残すものです。「これほどの名匠の辞世はなかったのではないか」などと、世に言う者があるものです。師匠も見事に一句を残されたならば、諸門人の願いが叶うでしょう。」

これを聞いた芭蕉、

「昨日の発句は今日の辞世、今日の発句は明日の辞世。私の生涯で言い捨て置いた句はいずれも辞世である」と仰った。

更に

『あらゆる存在は本よりこのかた、常に寂滅の相(姿)を示す』これは釈尊の辞世にして、彼一代の仏教はこの一句以外にはない。

『古池や蛙とび込む水の音』

この句に我が一風を興したからこそ初めて辞世がある。その後百千の句を吐いたが、このつもりでなかったものはない。ここを以って、句々辞世でないものはない」と仰った。(花屋日記から)

こうして眺めてみると、芭蕉とその場に集まった門弟の間には恐ろしく距離がある。去来も不合格。森川許六が少々及第に近い程度か。

禅僧臨済が臨終の床で、弟子の禅僧三聖を嘆くシーンが思い起される。

だが、「およそ芸道は、「それ」をなぞるのみ」という俗言があるが、逆に仕事で言えば、事上磨錬として精密に仕事をこなし続けることで「それ」に至る道もあるということがある。だから芸道だからダメなどということはない。

 

(2)許六、芭蕉の一言で大悟する

森川許六は、芭蕉の高弟の一人。芭蕉の俳句を非常に突き詰めて考えていた。

彼の代表作は、『十団子(とおだご)も小粒になりぬ秋の風』

十団子は、駿河国宇津ノ谷峠の名物だが、十連団子が気のせいか以前よりも小さくなった。秋風。

 

ある日、許六が芭蕉に

「師匠の俳句で、仕損じた句というものはありますか」と問うと、

芭蕉「毎句だよ」と答えた。

許六、この一言を聞いて、言下に大悟したという。

【「予が云、名人師の上ニ仕損ジありや。

 答テ云、毎句あり。

 予此一言を聞て、言下に大悟ス。」『俳諧問答』】

 

人間は肉体のある限り、不滅とか永久に滅びないものなどない。死を迎えてすべてを喪失してしまうという不条理の前に絶望だけが立ちはだかる。いわんやそんな人間の俳句をや。

芭蕉は、少なくとも見性はした人物。

俳句の出てくるところが、未発の中からでないと、俳句は振れてしまい、バランスを欠き、完全性を失うのだろう。

未発の中にあって、それから諸法無我なる実体のない現象を歌い込めるのだから仕損じ以外はない。

俳句は中間的なものだが、そのデリカシーを突き詰めた先に見えるものもある。

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コリアンダー、パクチー、香菜(シアンツァイ)から天の露

2023-11-14 21:11:35 | ジェイド・タブレット外典

◎ジェイド・タブレット-外典-05-07

◎天の露-07

◎クンダリーニ上昇と薬物刺激と暴走、暴発

 

天の露コアンドロとは、香味野菜。英語ならコリアンダー、タイ語ならパクチー、中国語なら香菜(シアンツァイ)、胡荽(こすい)。

オレンジの香り高いリキュール=コアントロー(仏: Cointreau)は、コアンドロとは関係なく、コアントロー兄弟が製造したからコアントロー。

だがベネディクティンなど古来修道院などで醸造されたという伝統的なリキュールを口にするときに、北欧神話の“蜜酒”を思い起こすのは私だけだろうか。

さて道教では、辛く臭気の強い次の野菜の食用を禁じていた。にんにく、にら、らっきょう、油菜(あぶらな)、胡荽(コリアンダー)がそれ。道教には、クンダリーニを上げる行法もあるので、こうした性欲を刺激する薬草摂取は修行の成果を無にしかねない。

西洋錬金術では、重要な局面で性欲が亢進しがちなことを戒める。挿絵は、“太陽の光輝”第六図だが、修行者が禁断の木の実(非時の香久の木の実)を採りに樹に登ったが、沐浴中の全裸女性たちに目線がくぎ付けになっていることを示す。クンダリーニは上がりかけたが、これで落ちる危険も大。※挿絵はwikipediaから。

樹の上からは無数の鳥が立つ。

“太陽の光輝”の次の第七図では年老いた王が海で溺れて、年老いた赤子として再生する。現代の時代全体のレベルである。

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天の露、コエンドロの実

2023-11-14 20:55:38 | ジェイド・タブレット外典

◎ジェイド・タブレット-外典-05-06

◎天の露-06

◎気なるマナ

 

中世錬金術者は天の露を集めようとした。

旧約聖書の出エジプト記16章で、モーセに率いられた放浪の民が、天の露を食べ物マナとして食した記載がある。

これは、砂漠を旅していたら幕屋の周囲に薄い霜のようなうろこのようなものが降っていた。それは、実の小さなコエンドロの木の実のように白く、蜜入りせんべいのように甘かった。それは食べられるもので、マナと呼ばれ、放浪の民は40年間もそれを食べ続けた。

ただし、翌朝までとっておくと腐り、毎週六日目には二日分が降り、七日目には安息日なので降らなかった。

食べ物と書いているので、食べ物と読む人もいる。だが、40年間も継続してゲットし続けたということであれば、食べ物とは考えず、大気中に充満する気だと考えたのが錬金術師である。

気を受け気を周回・操作するのは、気功導引、周天である。身体生命を維持するだけでなく、その死に至る運命の超克をも展望したのだ。

 

西洋錬金術は、どのような冥想法で至ったのかは定かでないが、クンダリーニ・ヨーガ系であることはわかる。

物理的食物を食さない不食の道もあるが、それでは文明生活は送れないのではないか。

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月の露

2023-11-14 20:51:16 | ジェイド・タブレット外典

◎ジェイド・タブレット-外典-05-05

◎天の露-05

◎露命、天の露

 

天の露とは、西洋の錬金術師たちも大いに求めたもの。例の大きな幕を広げて天の露を集めようという図柄のそれである。

出口王仁三郎が座談で、それは月の露だと明かす。

 

『富田 『お月様の光を手でくんで頭にかけると長生きすると言いますが、よく子供の時おばあさんにして上げましたっけ』

 

出口氏 『それは月の露の事だ。月の露は非常にええものである。雨の露はいかん。月の露を盃に受けておいてそれをのませれば大抵の病人は癒る。それで露の命なのだハヽヽヽ』

 ── 一同笑声 ──』

(出口王仁三郎と青年座談会/愛善苑編/みいず舎P98から引用)

 

更に出口王仁三郎の和歌。

『日の光月の露にて育みし

  秋の田の面に黄金の波立つ』

(霊界物語 第62巻第13章 神祈)

 

『月の露吾身魂をば霑して

  甦りたる心地せしかな』

(霊界物語 第67巻13章 山中の火光)

 

『月の露あみて太りし無花果は

  わが身体を生かす御饌なり』

(霊界物語 第73巻 無花果)

 

日の光ばかりでは足らず、月の露も必要なのですね。

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天の露とオルゴン

2023-11-14 20:37:25 | ジェイド・タブレット外典

◎ジェイド・タブレット-外典-05-04

◎天の露-04

◎生命が誕生する前、宇宙にはオルゴン・エネルギーが流れていた

 

焚書された現代アメリカの心理学者にして科学者のウィルヘルム・ライヒ。彼のいうオルゴンとは、中世錬金術者のいうところの天の露ではなかったか。彼の著書「宇宙との合体の一節」を引用しながらのコリン・ウィルソンの説明。

『「生命が誕生する前、宇宙的オルゴン・エネルギーが流れていた。地球上の気象条件が整ったとき、原始的な原形質の薄片という形で生命が誕生した。・・・・・・この薄片は、十億年以上かかって、単細胞生物へと進化した。

ここにいたって宇宙エネルギーは広大な銀河系宇宙のなかだけでなく、どんな小さな膜状物質のなかにも流れることになった」。そして地球上に生まれた生命は、長いゆっくりとした苦闘を開始した。そしてついに人間が誕生した。

「人間は少しずつ、オルゴン・エネルギーとの密接な繋がりや自然との調和を超えて思考しはじめた」。だが、やがて人間は自分自身を思考の対象とするようになった。自意識がうまれたのだ。

そこから堕落がはじまった。「・・・・・自分自身を、そして自分のエネルギーの流れを理解しようとして、人間はその流れを邪魔することになった。そして、そうすることによって、鎧を身につけ、自然から逸脱した。自分自身の核からの疎外がはじまり、生存の機械的秩序が、圧倒的な力で、有機的・無意識的・生体エネルギー的な自己調整に取って代った」』

(ライヒの悲劇/コリン・ウィルソン/筑摩書房P403から引用)

 

オルゴンとは、晴れた日の日中空を見上げ、眼の力を抜いて空中を眺めると、ぐるぐる回りながら乱舞している無数の光のきらめきが見えるが、それのことだと言われる。

オルゴンとは、気、プラーナのことかと最初のうちは考えていたが、むしろ人間を貫くクンダリーニのエネルギー・コードの原質みたいなものではないかと思われる。

というのは、上記引用文ではオルゴン・エネルギーとは自意識を成立させている原因であり、また自分自身の核からの阻害とは、コーザル体レベルでの自意識からの離脱のことを言っているように思えるからである。

つまりオルゴン・エネルギーとは、気・プラーナで成るエーテル体レベルのものに止まらず、それ以上の微細なレベルで活動するものであると、ライヒが見ていたと思われるからである。

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タロットの宇宙

2023-11-14 20:25:35 | ジェイド・タブレット外典

◎ジェイド・タブレット-外典-05-03

◎天の露-03

 

『タロットの宇宙/アレハンドロ・ホドロフスキー/国書刊行会』は、タロット好きによるタロットとともに生きる人たちのための本である。アレハンドロ・ホドロフスキーは、タロットの奥義を極めているように見える。

アレハンドロ・ホドロフスキーは、スラブ系のチリ人であって、チリに移民してきた際に近親者が火で亡くなったが、遺骸の上に一枚のタロットカード『戦車』だけが焼け残っていて、それが形見の品になった。

また彼が幼少期を過ごしたチリの漁港には、リトアニアのユダヤ人『狂ったアブラハム』が経営するビリヤード場があって、アブラハムは、いつもその奥のテーブルで、カードで大きな城を作っては、それを壊し、俺は神を真似て創造と破壊を繰り返しているなどと、宣まわっていた。

などなど心の深奥を打つようなタロットカードにまつわる印象的なエピソードで始まる本である。

 

アレハンドロ・ホドロフスキーはタロットの絵柄にはうるさく、後年真正カモワンタロットの復刻みたいなことをやるが、タロットの向き合い方は心得ていて、タロットを媒介に自分が鏡になることであるときちんとわきまえている。(この本には『いかにして鏡になるか』という一章も設けてある)

そういう点では、彼はすでにタロットカードのくびきは脱していて、またリーディングでは金をとったことはないみたいな雰囲気ではあるので、ちゃんと占断における正統的な作法は心得ている。

こうした点からすると、彼は求道者の用いる神占としてタロットを使っている。

私はタロットの下手の横好きだが、22枚ある大アルカナの16番以降に連続して大気中の天の露(エーテルか)が描かれていることは、この本で初めて知った。22枚全部順序に並べて眺めてみないとそんなことには気がつかない。

C.G.ユングの「個性化とマンダラ」という本の中に、古代人は、意志が弱く、現代人のように意志を固めて能動的に行動するのはなかなかできないというようなことが書いてあった。古代人は意志が弱いので、魂があくがれ歩きやすいということ。

古代人は意志を固めるためにこの「天の露」を集める必要があったのか、それとも離遊の運魂を身体の中府に鎮めるためには、意志を固める必要があったのか。

その意志とは定力なのか。

天の露は、17番目のカード『星』では星の図柄になっているが、星の運行を待ってやる技術もあるので、この星も天の露みたいなものだろうか。

それにしてもタロットの真価は、吊るされ人と愚者にあるので、時を俟(ま)つ技術にことさらにこだわるのは、クンダリーニ・ヨーガ系の技術であることを示している。

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