完全な文官[史官]ですが、湖南・江西・宣歙を歴任したということで追加。
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沈傳師伝
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傳師,字は子言,吳人。
父既濟は高名な学者。
学術に長け、進士に合格し、さらに制科乙第により太子校書郎、鄠縣尉直史館となり、
左拾遺、左補闕で史職を兼ねる。
司門員外郎知制誥充翰林學士。
司勳郎中.兵部郎中を経て中書舎人となる。
無欲で権力栄進わ逐わず、監修国史を兼任した。
長慶三年六月.出て潭州刺史湖南觀察使兼御史中丞。
宝暦二年.尚書右丞。
太和二年.洪州刺史江南西道觀察使
太和四年九月.宣州刺史宣歙池觀察使、廉政で聞こえた。
太和七年.吏部侍郎。
太和九年四月.卒,年五十九,贈吏部尚書。
外官にあっても財を築かず、實錄等の編纂に励んだ。
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沈傳師伝
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傳師,字は子言,吳人。
父既濟は高名な学者。
学術に長け、進士に合格し、さらに制科乙第により太子校書郎、鄠縣尉直史館となり、
左拾遺、左補闕で史職を兼ねる。
司門員外郎知制誥充翰林學士。
司勳郎中.兵部郎中を経て中書舎人となる。
無欲で権力栄進わ逐わず、監修国史を兼任した。
長慶三年六月.出て潭州刺史湖南觀察使兼御史中丞。
宝暦二年.尚書右丞。
太和二年.洪州刺史江南西道觀察使
太和四年九月.宣州刺史宣歙池觀察使、廉政で聞こえた。
太和七年.吏部侍郎。
太和九年四月.卒,年五十九,贈吏部尚書。
外官にあっても財を築かず、實錄等の編纂に励んだ。