[河北三大藩鎭+淄青の特徴]
◎.幽州 奚や契丹や新羅という蕃族に接していて、交易で大きな利益を上げる反面、
常に緊張状態を維持していた。そのため主帥である節度使は、幼少な者や無能な者
は排除されていく傾向が強い。
◎.成德 有力蕃族騎兵軍の連合体の色彩があり、家系が重視される。幼少のものも
許される。主帥の王氏は契丹系である。
◎.魏博 田承嗣が徴兵により編成した巨大な牙軍[親衛軍で代々継承している]が
支配し、節度使の権力は強くない。無能な主帥の場合はすぐ軍乱が発生する。ただこ
の時点では田氏が継続支配している。
◎.淄青 安史の乱に遼東半島にあった平盧軍が移動してきた高句麗系の軍閥。朝
鮮系の李氏の統制が強い。牙軍はさほど力を持たず、富裕で安定している[唐朝に
所属することを望んでいない]
魏博田懷諫は幼弱で、その臣蔣士則が専権し、唐朝も継承を保留したため、牙軍の
不満は増し、親族で信望が高い田興[賜名されて弘正]を擁立した。興は唐朝に従
う旨を上奏し承認を求めた。
宰相李吉甫・宦官梁守謙は、傍系である興をまず留後として遇し、牙軍の推戴をみ
て節度使にすることを提案したが、李絳は牙軍の推戴に関係なくいきなり節度使に
継承させることで興を感激させるべきと主張した。
甲辰,興[以降弘正]を魏博節度使とした。
十一月辛酉,裴度が魏博を宣慰し、軍士に厚賞を与え、六州の税を一年免除した。
牙軍は喜び弘正の権威は確立した。成德や淄青の軍士は動揺することになった。
この時淄青李師道は魏博へ干渉派兵を試みたが、宣武韓弘に威嚇されて断念した。
◎.幽州 奚や契丹や新羅という蕃族に接していて、交易で大きな利益を上げる反面、
常に緊張状態を維持していた。そのため主帥である節度使は、幼少な者や無能な者
は排除されていく傾向が強い。
◎.成德 有力蕃族騎兵軍の連合体の色彩があり、家系が重視される。幼少のものも
許される。主帥の王氏は契丹系である。
◎.魏博 田承嗣が徴兵により編成した巨大な牙軍[親衛軍で代々継承している]が
支配し、節度使の権力は強くない。無能な主帥の場合はすぐ軍乱が発生する。ただこ
の時点では田氏が継続支配している。
◎.淄青 安史の乱に遼東半島にあった平盧軍が移動してきた高句麗系の軍閥。朝
鮮系の李氏の統制が強い。牙軍はさほど力を持たず、富裕で安定している[唐朝に
所属することを望んでいない]
魏博田懷諫は幼弱で、その臣蔣士則が専権し、唐朝も継承を保留したため、牙軍の
不満は増し、親族で信望が高い田興[賜名されて弘正]を擁立した。興は唐朝に従
う旨を上奏し承認を求めた。
宰相李吉甫・宦官梁守謙は、傍系である興をまず留後として遇し、牙軍の推戴をみ
て節度使にすることを提案したが、李絳は牙軍の推戴に関係なくいきなり節度使に
継承させることで興を感激させるべきと主張した。
甲辰,興[以降弘正]を魏博節度使とした。
十一月辛酉,裴度が魏博を宣慰し、軍士に厚賞を与え、六州の税を一年免除した。
牙軍は喜び弘正の権威は確立した。成德や淄青の軍士は動揺することになった。
この時淄青李師道は魏博へ干渉派兵を試みたが、宣武韓弘に威嚇されて断念した。