中和五年/光啓元年 西暦885年
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三月丁卯,至自成都。己巳,大赦,改元「光啓」。
僖宗が令孜に擁せられて京師に戻ります。元宰相王徽が必死に宮闕を修復しています。
三月、感化軍節度時溥為蔡州四面行營兵馬都統。
感化軍=徐州武寧軍です。黄巣の死体を得た功績です。秦宗權征討です。
四月、秦宗權陷襄州,山南東道節度使劉巨容奔于成都。
黄巣没後宗權の力は急拡大します。山東・河南は荒廃しているので、兵食は人間です。
六月,幽州盧龍軍亂,殺其節度使李可舉,其將李全忠自稱留後。
可舉將李全忠は成德節度王鎔軍とともに義武軍節度王處存を攻めていました。追いつめられた處存は李克用に支援を求め、来援した克用軍は成德・幽州軍を粉砕しました。敗走した全忠は幽州に戻り可擧を攻め殺し自立しました。
六月壬戌,秦宗權陷東都。
宗權將孫儒は東都を陥し、荒廃した河南道を席巻しました。宣武朱全忠と陳州を残すのみです。
七月、京師に戻った田令孜は、禁軍の再建に努めましたが財源がありません。そこで河中の鹽池の利権に目をつけました。河中は王重榮が拠って鹽池の利を得ています。令孜は重榮を他鎭[泰寧]に遷して、利権を得ようとしました。当然重榮は拒否します。そこで禁軍・邠寧・鳳翔軍等で河中を討つことにしました。劣勢の重榮は河東李克用の支援を求めます。
九月,河中節度使王重榮反,邠寧節度使朱玫討之。
十月癸丑,朱全忠及秦宗權戰於雙丘,敗績。
宣武節度全忠は宗權と死闘を続けています。宗權軍が圧倒的に優勢で、全忠は天平節度朱瑄・泰寧節度朱瑾に支援を求めます。
十一月,河東節度使李克用叛附于王重榮,重榮及克用寇同州,刺史郭璋死之。
十二月癸酉,朱玫及王重榮、李克用戰于沙苑,敗績。乙亥,克用犯京師。丙子,如鳳翔。
克用軍が来襲すると唐朝軍はたちまち潰滅します。敗走した唐朝軍は京師を掠奪します[克用犯京師はごまかしです]、せっかく少し再建された宮城はまた破壊されます。三月に戻ったばかりの僖宗は令孜と共に鳳翔へ逃亡します。
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三月丁卯,至自成都。己巳,大赦,改元「光啓」。
僖宗が令孜に擁せられて京師に戻ります。元宰相王徽が必死に宮闕を修復しています。
三月、感化軍節度時溥為蔡州四面行營兵馬都統。
感化軍=徐州武寧軍です。黄巣の死体を得た功績です。秦宗權征討です。
四月、秦宗權陷襄州,山南東道節度使劉巨容奔于成都。
黄巣没後宗權の力は急拡大します。山東・河南は荒廃しているので、兵食は人間です。
六月,幽州盧龍軍亂,殺其節度使李可舉,其將李全忠自稱留後。
可舉將李全忠は成德節度王鎔軍とともに義武軍節度王處存を攻めていました。追いつめられた處存は李克用に支援を求め、来援した克用軍は成德・幽州軍を粉砕しました。敗走した全忠は幽州に戻り可擧を攻め殺し自立しました。
六月壬戌,秦宗權陷東都。
宗權將孫儒は東都を陥し、荒廃した河南道を席巻しました。宣武朱全忠と陳州を残すのみです。
七月、京師に戻った田令孜は、禁軍の再建に努めましたが財源がありません。そこで河中の鹽池の利権に目をつけました。河中は王重榮が拠って鹽池の利を得ています。令孜は重榮を他鎭[泰寧]に遷して、利権を得ようとしました。当然重榮は拒否します。そこで禁軍・邠寧・鳳翔軍等で河中を討つことにしました。劣勢の重榮は河東李克用の支援を求めます。
九月,河中節度使王重榮反,邠寧節度使朱玫討之。
十月癸丑,朱全忠及秦宗權戰於雙丘,敗績。
宣武節度全忠は宗權と死闘を続けています。宗權軍が圧倒的に優勢で、全忠は天平節度朱瑄・泰寧節度朱瑾に支援を求めます。
十一月,河東節度使李克用叛附于王重榮,重榮及克用寇同州,刺史郭璋死之。
十二月癸酉,朱玫及王重榮、李克用戰于沙苑,敗績。乙亥,克用犯京師。丙子,如鳳翔。
克用軍が来襲すると唐朝軍はたちまち潰滅します。敗走した唐朝軍は京師を掠奪します[克用犯京師はごまかしです]、せっかく少し再建された宮城はまた破壊されます。三月に戻ったばかりの僖宗は令孜と共に鳳翔へ逃亡します。
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