昭宗は即位したもの実権は宦官楊復恭が握り、唐朝の大部分は軍閥が支配して、京師近郊しか支配権は及びません。まだ骨があった昭宗は楊復恭を追放しますが、鳳翔節度使李茂貞に京師を追われて、華州韓建の元に逃亡します。横暴ですが多少は学があった韓建は古例により皇太子を立てようとして、乾寧4年昭宗の長子德王祐を立太子します。実に敬宗以来です。光化3年12月酒乱の昭宗が宦官により廃位されると擁立されて即位しますが、翌天復元年正月宰相崔胤等により昭宗が復位すると、廃位され德王に戻されます。その後天祐2年朱全忠により殺害されました。
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