大暦3年幽州盧龍軍節度使[現在の北京付近]李懐仙は横暴であったため、部下の朱希彩らに殺された。
懐仙はもともと反将史朝義の部下であったが、最後に裏切って降り幽州を与えられていた。
朝廷は幽州を回復しようとして宰相王縉を節度使に任命した。
しかし縉が赴任すると、希彩らは途中の道に大軍を配置し威嚇させた。
文官の縉はただ恐懼して狼狽していたが、逃げ帰ることだけはさけなんとか幽州に入城した。
やがて諸将の謁見がおこなわれ、希彩らは極めて恭謙な態度で、多量の金帛を献上した。
縉はこれが潮時と感じて、数日後に希彩を留後[節度使代理]に任命し、献上物をさらえて立ち去った。
懐仙はもともと反将史朝義の部下であったが、最後に裏切って降り幽州を与えられていた。
朝廷は幽州を回復しようとして宰相王縉を節度使に任命した。
しかし縉が赴任すると、希彩らは途中の道に大軍を配置し威嚇させた。
文官の縉はただ恐懼して狼狽していたが、逃げ帰ることだけはさけなんとか幽州に入城した。
やがて諸将の謁見がおこなわれ、希彩らは極めて恭謙な態度で、多量の金帛を献上した。
縉はこれが潮時と感じて、数日後に希彩を留後[節度使代理]に任命し、献上物をさらえて立ち去った。
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