湖南観察使辛京杲の横領事件は悪質でしかも規模の大きいものであった。
皇帝は激怒し死刑にする決意を固めていた。
ある朝、武将仲間で宰相の李忠臣が特に拝謁を求めてきた。
皇帝は忠臣が京杲の父と親しかったことを知っているので、さては命乞いにきたなと察し「いかに宰相の願いでも許せるものではない」と身構えて待っていた。
忠臣はいかにも武臣らしく訥々と挨拶をはじめいくらたっても京杲の事など持ち出す様子はなかった。
皇帝のほうがじれて「京杲は許し難い」と先制した。
忠臣は「京杲は当然死刑です。早く刑を執行すべきでしょう」と言い放った。
これには皇帝は二の句が継げなかった。
さらに忠臣は「京杲の父は安史の乱に国に忠誠をつくしました。兄弟達も国事に死にました。名誉ある辛家の中ではあいつだけが生き残り、いまも恥をさらしています。はやく奴を処刑して辛家を絶やしてしまうべきです」
皇帝は黙然とし、やがて言った「京杲は殺さず、左遷することにしよう」。
それを聞いて忠臣は深く拝して退出していった。
皇帝は激怒し死刑にする決意を固めていた。
ある朝、武将仲間で宰相の李忠臣が特に拝謁を求めてきた。
皇帝は忠臣が京杲の父と親しかったことを知っているので、さては命乞いにきたなと察し「いかに宰相の願いでも許せるものではない」と身構えて待っていた。
忠臣はいかにも武臣らしく訥々と挨拶をはじめいくらたっても京杲の事など持ち出す様子はなかった。
皇帝のほうがじれて「京杲は許し難い」と先制した。
忠臣は「京杲は当然死刑です。早く刑を執行すべきでしょう」と言い放った。
これには皇帝は二の句が継げなかった。
さらに忠臣は「京杲の父は安史の乱に国に忠誠をつくしました。兄弟達も国事に死にました。名誉ある辛家の中ではあいつだけが生き残り、いまも恥をさらしています。はやく奴を処刑して辛家を絶やしてしまうべきです」
皇帝は黙然とし、やがて言った「京杲は殺さず、左遷することにしよう」。
それを聞いて忠臣は深く拝して退出していった。
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