穆宗は遊興好きで愚鈍でした。宦官達に盛んにポロ競技をさせ、その最中の事故にショックを受けて体調を壊します。辟易した宰相達は、まだ穆宗が若いにもかかわらず皇太子を定めることを求めます。長慶二年十二月長子の景王湛を皇太子としました。四年正月には道士の金丹中毒も併発して穆宗が頓死すると即位[敬宗]します。これがまた遊び好きのどうにもならない不良少年でした。
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