順宗は即位時にすでに重病でしたが、長い皇太子時代に形成された側近の少壮官僚は、停滞した德宗の政治を変えられると始動し始めました。側近の王叔文を中心として次々に改革がなされましたが、当然宦官を中心とした旧勢力は抵抗勢力となります。それでも順宗が健康なら排除できたでしょうが、既に口もきけないほどの病身でした。三月旧勢力は長子の廣陵王淳を押し立てて立太子し、七月ついに順宗を退位させて即位させます[憲宗]。若手官僚は左遷追放され改革は頓挫してしまいました。
しかし憲宗は英明でしたので、やがて唐朝は覇権回復の道に進みますが、宦官重視の傾向は強まり弊害が増えていきます。
しかし憲宗は英明でしたので、やがて唐朝は覇権回復の道に進みますが、宦官重視の傾向は強まり弊害が増えていきます。
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