中和二年 西暦882年
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正月辛亥,王鐸為諸道行營都都統,太子少師崔安潛副之。高駢罷都統。
鳳翔鄭畋が逐われ、淮南高駢は動かず。義成王鐸が都統として京師回復に当たることになりました。鐸は唐軍の非力を痛感し、再度李克用の登用を進言しました。
二月甲戌,黃巢陷同州。
黄巣將朱温[後の全忠]が同州を取りました。
二月己卯,太子少傅分司東都鄭畋為司空兼門下侍郎同中書門下平章事。
丙戌,李昌言為京城西面都統,邠寧節度使朱玫為河南都統、諸谷防遏使。
昌言の自立は追認し、手薄な朝廷は畋を任用しました。
三月,邛州蠻阡能叛,西川部將楊行遷討之。
楊行遷及阡能戰於乾溪,敗績。
軍費の重圧がかかっている劍南地方で反乱が起きています。
八月魏博節度使韓簡陷孟州。
沈滞していた河北三鎭のうち魏博軍が独自行動を始めました。河陽は諸葛爽が黄巣により節度使に任用され、その後唐朝に歸順した鎭です。簡は天平等への渡河点を確保しようとしています。
九月丙戌,黃巢將朱溫以同州降。己亥,朱溫為右金吾衛大將軍、河中行營招討副使。
黄巣の不信をかった朱溫[全忠]は王鐸の誘いに乗り歸順することになりました。
十月,韓簡寇鄆州,天平軍節度使曹全晸死之。諸葛爽陷孟州。
簡は天平軍を破り鄆州を取ろうとしましたが、天平軍の残部にてこずっている間に、爽に背後をつかれて孟州を奪回されてしまいました。
十月。王鐸は義武節度王處存を仲介として、李克用を説得し帰順させました。今回は河東鄭従讜にも根回しをしてあります。
十一月、李克用は沙陀を率いて太原領域を避けて南下し、4万の兵力で河中・同州へ進出しました。
是歲,賊危全諷陷撫州,危仔倡陷信州。楊行密逐盧州刺史郎幼復。和州刺史秦彥逐宣歙觀察使竇潏。淮南江南諸州は次々に自立していきます。
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正月辛亥,王鐸為諸道行營都都統,太子少師崔安潛副之。高駢罷都統。
鳳翔鄭畋が逐われ、淮南高駢は動かず。義成王鐸が都統として京師回復に当たることになりました。鐸は唐軍の非力を痛感し、再度李克用の登用を進言しました。
二月甲戌,黃巢陷同州。
黄巣將朱温[後の全忠]が同州を取りました。
二月己卯,太子少傅分司東都鄭畋為司空兼門下侍郎同中書門下平章事。
丙戌,李昌言為京城西面都統,邠寧節度使朱玫為河南都統、諸谷防遏使。
昌言の自立は追認し、手薄な朝廷は畋を任用しました。
三月,邛州蠻阡能叛,西川部將楊行遷討之。
楊行遷及阡能戰於乾溪,敗績。
軍費の重圧がかかっている劍南地方で反乱が起きています。
八月魏博節度使韓簡陷孟州。
沈滞していた河北三鎭のうち魏博軍が独自行動を始めました。河陽は諸葛爽が黄巣により節度使に任用され、その後唐朝に歸順した鎭です。簡は天平等への渡河点を確保しようとしています。
九月丙戌,黃巢將朱溫以同州降。己亥,朱溫為右金吾衛大將軍、河中行營招討副使。
黄巣の不信をかった朱溫[全忠]は王鐸の誘いに乗り歸順することになりました。
十月,韓簡寇鄆州,天平軍節度使曹全晸死之。諸葛爽陷孟州。
簡は天平軍を破り鄆州を取ろうとしましたが、天平軍の残部にてこずっている間に、爽に背後をつかれて孟州を奪回されてしまいました。
十月。王鐸は義武節度王處存を仲介として、李克用を説得し帰順させました。今回は河東鄭従讜にも根回しをしてあります。
十一月、李克用は沙陀を率いて太原領域を避けて南下し、4万の兵力で河中・同州へ進出しました。
是歲,賊危全諷陷撫州,危仔倡陷信州。楊行密逐盧州刺史郎幼復。和州刺史秦彥逐宣歙觀察使竇潏。淮南江南諸州は次々に自立していきます。
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