らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

在原業平 「千早ぶる」

2020-12-03 | 雑学

紅葉のシーズンもそろそろ終わりとなりますが、奈良県の斑鳩町には県内で奈良公園に次いで美しいとされる紅葉の名所があります。
そこは、百人一首にも詠われている県立竜田公園で、斑鳩町の南西部に位置し、竜田川沿いに約2km、総面積14万平方メートルの広大な敷地を持つ公園です。

・県立竜田公園の紅葉です。(ネットより)


その竜田川の紅葉を詠んだ和歌に在原業平の下記の歌があります。
今日は紅葉のシーズンの終わりを前にこの歌について調べました。

その歌とは小倉百人一首第17番に載っているあの有名な歌です。

「千早ぶる 神代もきかず 龍田川 からくれなゐに 水くくるとは」(古今集)秋・294

「意訳」
さまざまな不思議なことが起こっていたという神代の昔でさえも、こんなことは聞いたことがない。龍田川が(一面に紅葉が浮いて)真っ赤な紅色に、水をしぼり染めにしているとは。

「ことばの説明(小倉山荘HPより)」
【千早(ちはや)ぶる】
次の「神」にかかる枕詞で、「いち=激い勢いで」「はや=敏捷に」「ぶる=ふるまう」という言葉を縮めたものです。

【神代(かみよ)もきかず】
「神代(かみよ)」とは、「(太古の)神々の時代」という意味で、不思議なことが当たり前に起こった「神々の時代でも聞いたことがない」という意味になります。

【竜田川(たつたがは)】
竜田川は、紅葉の名所で、現在の奈良県生駒郡斑鳩町竜田にある竜田山のほとりを流れる川のことです。

【からくれなゐに】
「鮮やかな紅色」という意味です。
「から」は「韓の国」や「唐土(もろこし:昔の中国の呼称)」を意味する言葉で、「韓や唐土から渡ってきた素晴らしい品」を表す接頭語(頭につける語)でした。
当時の韓や唐土というと先進国で優れた品が日本に渡ってきていたので、このような意味になったのです。

【水くくるとは】
「くくる」は「括り染め」、つまり「絞り染め」にするという意味です。
「(竜田川が)川の水を括り染めにしてしまうとは」という意味で、紅葉が川一面を真っ赤にして流れていることを、竜田川が川の水を絞り染めにしてしまった、と見立てています。

「在原業平(ありわらのなりひら:825年~880年)」
在原業平は、第51代平城天皇(へいぜいてんのう:在位806年4月-809年5月)の皇子である阿保親王の第5子(平城天皇の孫)で、平安時代きっての色男として知られる人物です。
実際に竜田川へ行ったのではなく、第56代清和天皇の側室となった「二条の后」(藤原高子)のところにあった屏風に、見事な紅葉が描かれているのを見て詠んだ歌です。

在原業平と藤原高子は、以前に身分違いの恋仲だったとされています。
業平は六歌仙の一人で、性情は多感奔だったようです。
藤原氏の権力に押されて不遇な生涯だったため、そのはけ口を和歌に求めたということです。

小倉百人一首の在原業平の歌です。


「落語の”ちはやふる”」
「ちはやふる~」は古典落語の演目にもなっています。
この落語は5代目 古今亭志ん生の得意演目で、隠居が短歌にいい加減な解釈を加える話です。

「落語のあらすじ」
博識であるため長屋の住人達から「先生」と慕われる隠居の下に、なじみの八五郎が尋ねてきます。
なんでも、娘に小倉百人一首の在原業平の「ちはやふる 神代もきかず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは」という歌の意味を聞かれて答えられなかったため、隠居のもとに教えを請いにきたという。
実は隠居もこの歌の意味を知らなかったが、知らぬと答えるのは沽券にかかわると考え、即興で次のような解釈を披露したのです。

大昔、人気大関の「竜田川」が吉原へ遊びに行った。その際、「千早」という花魁に一目ぼれした。
ところが、千早は力士が嫌いであったため、竜田川は、振られてしまう、で「千早振る」だな。
振られた竜田川は、次に妹分の「神代」に言い寄るが、こちらも「姐さんが嫌なものは、わちきも嫌でありんす」と、言うことを聞かない、で「神代も聞かず竜田川」だな。

このことから成績不振となった竜田川は、力士を廃業し、実家に戻って家業の豆腐屋を継いだのだ。
それから数年後、竜田川の店に一人の女乞食が訪れ、「おからを分けてくれ」と言うのだ。喜んであげようとした竜田川だったが、なんとその乞食は零落した千早太夫の成れの果てでした。
激怒した竜田川は、おからを放り出し、千早を思い切り突き飛ばした。
千早は、井戸のそばに倒れこみ、こうなったのも自分が悪いと井戸に飛び込み入水自殺を遂げた、それで、「から紅(おからくれない)に水くぐる」だな。

八五郎は「大関ともあろう者が、失恋したくらいで廃業しますか」、「いくらなんでも花魁が乞食にまで落ちぶれますか」などと、その都度、隠居の解説に疑問を呈すが、隠居が強引に八五郎を納得させます。

そして上記の説明を終え隠居は一安心するも、最後に八五郎は『千早振る 神代も聞かず竜田川 からくれないに水くぐる』まではわかりましたが、最後の『とは』は何ですか?
と突っ込む。
すると、とっさの機転でご隠居はこう答えた。
「千早は現在の氏名で、彼女の本名は『とは(とわ)』なのだ。

この落語は昔聞いたことがありますが、古今亭志ん生の話芸は見事なものでした。