昨日未明、小惑星探査機「はやぶさ2」が6年にわたる宇宙の旅を終えて地球に22万キロまで近づき、「リュウグウ」の砂が入っていると思われるカプセルをオーストラリアの砂漠に着地させ無事回収されました。
小惑星「りゅうぐう」は、地球のような惑星になりそこなった天体だと言われており、更に、太陽系が誕生した約46億年前の様子を残す「太陽系の化石」とも言われています。
このようなことから、生命の元になる炭素が豊富に含まれるタイプの小惑星だということで、今回の快挙を世界が注目しています。
6年間にわたっておよそ50億キロを飛行した「はやぶさ2」の小惑星「リュウグウ」の探査はこれで終わりましたが、同機にはまだ本体に燃料が多く残っていることから、新たなミッションに向かい、11年後には別の小惑星に到着して探査を行うことになっているそうです。
「国友一貫斎の望遠鏡」
ところで天体観測には望遠鏡が欠かせませんが、世界で初めて望遠鏡を発明したのは、1608年にオランダ人のリッペルスハイで、今から412年前になります。
彼が発明した望遠鏡は光を集める部分にレンズを用いた屈折式望遠鏡(レンズを組み合わせたもの)でした。
一方、それから遅れること226年後の天保5年(1834年)に、鉄砲鍛冶、国友一貫斎(1778年~1840年)が日本で初めての反射望遠鏡を製作しました。
構造はグレゴリー式の反射望遠鏡(2枚の凹面鏡を組み合わせたもの)で、倍率は約70倍。幕府天文方もオランダ製に優ると高く評価していたということです。
・これが国友一貫斎が発明した反射式望遠鏡です。
「国友一貫斎」
国友一貫斎は、安永7年(1778年)国友で生まれ、9歳で父の名を継いで国友藤兵衛と名乗り、一貫斎と号しました。
幼少のころからの父の厳しい教えを受け、17歳で父のあとを継ぎ、腕の良い鉄砲鍛冶として活躍しました。
一貫斎は、文化8年(1811年)から7年にわたって江戸に滞在していますが、この間に松平定信や平田篤胤(ひらたあつたね)など多くの人々との出会いによって、新しい知識を吸収しました。
そして、創意工夫した鉄砲の製作法を書物に表し、これにより鉄砲が大量生産できるようになったということです。
・国友一貫斎肖像画(長浜城歴史博物館蔵)です。(ネットより)
「発明家:一貫斎」
一貫斎は鉄砲作りの名工にとどまらず、発明家としても数々の業績を残しています。
江戸から帰った一貫斎は、新しい知識と自らの独創的なアイディアで次々とすばらしい発明をしています。
気砲(空気銃)、懐中筆(万年筆)、玉燈(ぎょくとう:経済的で明るい照明器具)などを発明し、更に、製作した望遠鏡で月・星・太陽を観測しながら50倍の天体望遠鏡を完成させると共に観測記録を残しました。
特に太陽の黒点の観測記録は、世界の天文史学上大切な資料とされているということです。
江戸時代にも素晴らしい科学者で発明家がいたのですね。
今回の「はやぶさ2」の快挙は、186年前の国友一貫斎の天体研究魂が受け継がれているのかもしれませんね。