韓国の平昌で開催される2018年冬季五輪の開幕まであと1年となる9日にカウントダウンボードが設置されたと、先日報じられていました。
報道によると、主要競技施設は80%程度完成しているとのことですが、国民の関心は十分に高まっていないそうです。
その背景として朴槿恵(パク・クネ)大統領のスキャンダルによる政治的混乱の影響が指摘されています。
民間の調査会社「韓国ギャラップ」が7日に発表した世論調査によると、韓国内で平昌五輪に「関心がある」と答えたのは48%で「関心がない」の49%とほぼ同数だったそうです。
また、49%が「五輪は成功するだろう」と回答した一方で、「成功しないだろう」との悲観論も38%に上ったと言うことです。
平昌冬季五輪は、韓国で初めて開かれる冬のオリンピックで、来年2月9日から25日まで17日間にわたって7つの競技、史上最多の102種目が行われます。
大会の組織委員会によると、現時点で12の競技会場のうち、工事が終わったのは4つの会場で、残り8つの会場の進捗状況は80%程度のようです。
大会の準備を巡っては、朴氏の親友、崔順実(チェ・スンシル)被告が大会利権にも介入していた疑惑が浮上しているほか、先月21日には政権に批判的な芸術家らに圧力を加える「ブラックリスト」の作成を主導したとして、五輪を担当する現職の文化体育観光相が職権乱用などの容疑で逮捕されています。
大会組織委員会の李熙範会長は1月に「五輪が(崔被告の)標的になったことは確かだろう」と述べており、スキャンダルによって韓国内での五輪のイメージが下がったのは間違いないと言っています。
このようなことが影響してか、スポンサー企業による協賛金も目標額9400億ウォン(約940億円)の89.5%しか集まっていないそうです。
開幕まで1年を切った現時点において、大統領は職務停止、五輪担当の現職文化体育観光相は職権乱用などの容疑で逮捕されるなど、政治的混乱の真っ只中にある韓国、加えて、国内も盛り上がりに欠けているこのような状態で、果たして無事に開催できるのでしょうか?
隣の国のこととはいえ、少し気になるところです。
北海道を代表する郷土料理に「ジンギスカン」があります。
ジンギスカン料理と言えば、モンゴル帝国の初代皇帝チンギス・ハーンからモンゴルの料理かと思われますが、そうではありません。
実は、日本発祥の料理で、日本人が現地の羊肉料理を参考にもっともらしく名付けたのだそうです。
そこで今日はジンギスカン料理について調べました。
ジンギスカンのルーツには諸説ありますが、タレ漬けの味付けジンギスカンについては「ルーツは滝川種羊場、普及は松尾ジンギスカン」といった認識があり、これは誰もが否定できない事実であるとされています。
羊毛が軍服の大切な素材となっていた頃、第一次世界大戦時に輸入が途絶え、大正7年に政府が羊毛の国内自給をめざした「綿羊百万頭計画」を打ち出し、滝川や札幌の月寒など全国5カ所に種羊場が開設されました。
その際、羊毛だけでなく、羊肉の様々な活用方策が研究されるようになり、試行錯誤の末、現代のジンギスカンが誕生したのだそうです。
もっとも、庶民の料理として広まったのは戦後のことで、値段が安いわりに美味しかったことが理由とされています。
「羊肉料理・成吉思汗」のレシピは、山田喜平(元滝川種羊場長)が昭和6年に発行した「緬羊と其飼ひ方」に記載されているものが最初といわれています。
また、「ジンギスカン」の名付け親は、当時、南満州鉄道株式会社の調査部長であった「駒井徳三」であるという説が一番有力とされています。
ジンギスカンの食べ方は、焼いた肉にタレを付けて食べる「札幌式」と、タレに漬け込んだ肉を焼いて食べる「滝川式」があり、北海道内でも地域によって食し方が異なっているそうです。
現在ジンギスカンは、北海道をはじめ多くの国民に親しまれる料理となり、平成16年3月には『4月29日を「羊肉(ヨーニク)の日」』として日本記念日協会に認められました。
更に、平成16年10月には「北海道遺産」に選定されているようです。
私の住所地・熊取町では、最近、還付金詐欺の注意喚起に関する町内放送がよくあります。
先日も「還付金詐欺と思われる不審な電話があったので注意するように」と呼びかけていました。
昨年秋ごろからこのような町内放送が度々流れているのです。
新聞やテレビで還付金詐欺などの特殊詐欺について報道されているので騙される人はいないと思っていたのですが、未だに被害が発生しているようです。
知人の「Y」さんも危うく騙されるところだったそうですが、話を聞くと、次第に手口が巧妙になってきているようです。
熊取町のHPでは次のように注意を呼びかけています。
『熊取町内において、役場職員を装い「健康保険の還付金の払い戻し手続きのためにATMに行くように」という詐欺まがいの不審電話が度々発生しています。本町において、そのようなお電話をすることは一切ありません。被害にあわれることのないようにご注意ください。』
そこで熊取町内の被害について調べてみたところ、大阪府警の統計によると、熊取町内では昨年の特殊詐欺の被害件数は5件発生していました。
また、昨年中の大阪府内の特殊詐欺の認知件数は1,633件(前年比463件増加)で、被害金額は約52億58百万円(前年比約10億85百万円増加)となっています。
犯人グループは、役所等の職員をかたる還付金等詐欺や警察官・金融庁の職員をかたるオレオレ詐欺など、様々な手口を使い、皆様の大事なお金を狙っています。
「手口の事例」
犯人は、被害者に電話をかけて、
「詐欺の犯人を捕まえると、あなた名義の口座が出てきた。お金を安全な口座に移す必要がある。」
「警察官(金融庁の職員)を向かわせるので、お金(キャッシュカード、通帳)を渡してほしい。」
などと話して、指定の場所に現金等を持ってくるよう要求したり、被害者の自宅に現金等を受け取りに来て、だまし取っています
このような被害に遭わないために、
・見知らぬ人にお金やキャッシュカード、通帳、印鑑などは絶対に渡さないようにしましょう。
・ATMを自分で操作して、相手から還付金を受け取ることは、絶対にできません。
・在宅中でも留守番電話機能を設定するなどして、知らない電話番号には出ないようにしましょう。
・警察官や金融庁を名乗る電話があれば、所属や名前を確認し、実在するかどうか確認しましょう。
・「お金を返します」と言われても、一旦電話を切り、一人で判断せず、家族や知り合いに相談しましょう。
身近に相談できる人がいない場合は、最寄りの警察署(または、警察相談ダイヤル(#9110))や自治体などに相談しましょう。
大事な財産を騙し取られないよう、十分ご注意ください。
先日、安倍総理大臣は、アメリカのトランプ政権の閣僚として、初めて日本を訪れたマティス国防長官と会談し、トランプ政権との間でも強固な日米同盟を堅持していきたいという考えを伝えました。
これに対し、マティス国防長官は、沖縄県の尖閣諸島がアメリカの日本に対する防衛義務を定めた日米安全保障条約第5条の適用範囲だという考えを示し、安全保障上の課題に協力して取り組んで行くことを確認しました。
このことで、トランプ政権も前政権と同様、強固な同盟関係が示され、日本が抱いていた安全保障面における危惧がひとまず払拭された感じですが、問題は10日からの日米首脳会談です。
トランプ大統領は果たして安倍総理と馬が合い、経済や安保などで強固な日米同盟の継続の言質を引き出せるのか、気になるところです。
日本には「阿吽の呼吸」と言う言葉があります。
「阿吽」とは、梵語〈サンスクリット〉の文字である悉曇(しっ‐たん)の字母の初韻の「阿(a)」と終韻の「吽(hum)」で、最初と最後を意味します。
また、阿は万物の根源、吽は一切が帰着する智徳を意味し、密教の宇宙観を表しています。
更に、阿が呼気で、吽が吸気であることから、両者が息を合せることを「阿吽の呼吸」といい、複数の人間が共通の事を行うときに一致する微妙な調子や気持ちを表しているのです。
アメリカ人のトランプ大統領にこの「阿吽」が通じるのでしょうか?
大統領は首脳会談の日程の中で安倍総理をゴルフに招待しているそうです。
トランプ大統領は、「ゴルフを共にすれば相手を知ることができる。大いに楽しみである。私のパートナーになるだろう」と言っているとも伝えられています。
パートナーとは自分の手下になることではありません。共にする仲間です。
日米の首脳が阿吽の呼吸で経済も安全保障も更に世界の平和にも貢献できればいいのですが。
「おいとまします」という言い方があります。
現在ではこのような表現をする人は少ないかも知れません。
「おいとまします」は、知人・友人宅を訪問してお別れの挨拶をする時に使用する言葉で、現在では「失礼します」と言うのが一般的だと思います。
今では殆ど聞かなくなったこの「おいとまします」ですが、私が子供の頃は、母親の年代の多くの女性が使用していたように思います。
「おいとまします」の由来は、「暇乞(いとまご)い」からといわれています。
「暇乞い」とは、本来「暇(いとま)を乞(こ)うこと」、「暇(ひま)を与えてくださるようお願いすること」という意味でしたが、それが次第に「別れの挨拶をすること」、「別れを告げること」の意味で用いられるようになったということです。
「おいとまします」は「失礼します」より「少し古い言い方」になりますが、「優雅で、上品な感じのする表現」とされているようです。
今でも年配の女性の中には使っている方がおられるかも知れません。
上品な挨拶言葉の「おいとまします」、残って欲しい日本語の一つですね。
昔から「酒は百薬の長」とか「酒は憂いの玉箒(たまははき:ほうきのこと)」と言われています。
「酒は百薬の長」とは、適度な飲酒はどんな薬にも勝る効果や効能を持っているという意味が込められており、
「酒は憂いの玉箒」は、酒には心配事や憂いを取り払い、忘れさせてくれる力があるという意味が込められています。
これらの諺の通り、日本酒には優れた効果及び効能が秘められているようです。
ではどのような効果効能があるのでしょうか?
調べてみました。
日本酒には、700種を超える栄養素と100種を超える凄まじい効き目を持つ成分が含有されているそうです。
これらの栄養素や成分が含まれている酒類は日本酒以外には存在しないと言われています。
日本酒に含まれているこれら数百種の栄養素や成分には、病気の予防や緩和、健康を維持するために必要な物質が含まれていることが近年明らかなってきました。
例えば、がん細胞の増殖の抑制及び予防に効果のある抗がん物質の発見やグルタチオンによる肝臓への作用、ペプチドによる血圧の上昇を抑制させる効能などがあるそうです。
また、日本酒の原材料の1つであるお米を構成している細胞壁には「フェルラ酸」という成分が含有されており、アルツハイマー型認知症への治療に有効であることが明らかにされており、更に、パーキンソン病を改善するためのL-DOPAや抗うつ作用の清酒酵母s-アデノシルメチオニン、精神を安定させる効能を持つエチル-4-ハイドロキシン酪酸など、科学的な裏付けが行われている有効成分だけでもこれだけ存在しているそうです。
他にも、日本酒にはアトピー性皮膚炎や健忘症、骨粗鬆症などの予防や肥満・高血圧・心疾患・脳血管に関わる病、肝臓病などの予防や糖尿病の緩和などに効果が期待できるということです。
難しい言葉がたくさん出てきましたが、昔から言われている通り、正に日本酒は「百薬の長」だと言うことのようです。
最近は和食ブームに乗って日本酒の輸出額が伸びているようです。
私たち日本人も積極的に日本酒に親しんでみては如何でしょうか?
健康が気になる方、今日から晩酌は日本酒にしましょう。
但し、飲み過ぎないようにしましょうね。
先日の新聞に驚くべき記事がありました。
その記事は、世界の大富豪上位8人の資産が貧しい生活を送る世界の人たち約36億7500万人分に相当すると言うものです。
これは、国際非政府組織(NGO)オックスファムが発表したもので、それによると、世界で最も裕福な8人と、世界の人口の半数に当たる、経済的に恵まれていない人たち36億7500万人の資産額がほぼ同じだとする報告書です。
報告書では、8人の資産の計は4260億ドル(約48兆7千億円)に上り、世界人口73億5千万人の半分の合計額に相当すると指摘しています。
更に、1988年から2011年にかけての下位10%の収入は年平均3ドルも増えていないのに対し、上位1%は182倍になったとしています。
オックスファムは貧富拡大の一因として、大企業などが政府の規制や国際政策に影響力を及ぼす「縁故資本主義」を挙げており、富める者の資産の3分の1は相続によるもので、43%は縁故主義に関係していると分析しています。
更に、発展途上国は脱税で年1千億ドルを失っているとも指摘し、課税制度の是正が不可欠だと訴えています。
オックスファムは、税収拡大や軍事費削減などに取り組めば最貧困層の4分の3を救うことができると主張し、「大企業や超富裕層がいかに格差の危機をもたらしているかや、現状を変えるために何ができるかを考えるべきだ」と強調しています。
昨年発表された2015年の資料では、富裕層のトップ62人と世界人口の下から半分(約36億人)の資産の合計はほぼ同じというものでした。
僅か1年で62人の富裕層が更に財産を増やし8人の大富豪と世界の半数の人たちの財産と同じとなったのです。
これぞ特定の階層による経済支配が固定される究極の経済格差ではないでしょうか。
(参考)
なお、縁故資本主義とは、政府官僚や企業役員との密接な関係がビジネスの継続、成功に決定的な要因となっている「資本主義経済」を指す軽蔑的な用語であり、法的許認可、政府認可、優遇税制措置、公共事業発注先の選定に不公平さが見られるときにこう呼ばれています。
歴史探訪同好会の「京都・東山を歩く」シリーズは今日が最終回となります。
私たちは南禅寺から野村美術館を目指しました。
と言っても、見学するのではなく、外観を眺めるだけです。
「野村美術館」
野村美術館は、野村証券、旧大和銀行等の創業者、野村徳七(1878年-1945年)のコレクションをもとに、昭和59年(1984年)に開館しました。
野村徳七は、明治11年に大阪に生まれました。27歳で家業の両替商を継ぎ、有価証券売買の将来性に着目し、証券業を始め金融、海外事業など多数の企業を興し、野村財閥を築き、戦前は貴族院議員としても活躍しました。
一方で得庵と号して茶の湯や能楽などに親しみ、南禅寺畔に別邸・碧雲荘(へきうんそう)を構え、趣味活動を展開させました。
「野村別邸・碧雲荘」
野村美術館の北隣にある野村別邸・碧雲荘です。
昭和3年 南禅寺境内の1万7300平方メートルの敷地に、野村徳七翁によって建てられた別邸で、当時、山県有朋の別荘無隣庵をはじめ、廃寺となった南禅寺の塔頭子院の跡地に数々の別荘群が作られたそうです。
碧雲荘もそのひとつで、風光明媚な東山を借景に雄大な園池を築きました。
そして琵琶湖疏水の水を引き込んで池を造り、その周囲を木造平屋建や桟瓦葺を基本に良材を用いた大玄関、能舞台、書院、洋室、書斎、茶室などが囲んであり、国の重要文化財に指定されています。
野村別邸『碧雲荘』は、以前、NHKテレビで「極上の京都―大富豪の別荘群」の中で、何度も紹介されていたそうです。
・野村別邸です(ネットより)
「哲学の道」
京都市東部、琵琶湖疏水に沿う小道で、北の銀閣寺橋から南の若王子 (にゃくおうじ) 橋に至る全長約1.5キロの道です。
大正時代、西田幾多郎・河上肇・田辺元ら哲学者が散策したことからこのように呼ばれています。
「後二条天皇北白河陵」
京都市左京区北白川追分町、京都大学北部キャンパス内にある後二条天皇北白河陵(きたしらかわのみささぎ)は、鎌倉時代の第94代・後二条天皇の陵墓です。
後二条天皇は在位七年、僅か二十四歳で崩御したために、歴史的に重要な功績はありませんが、三歳下の異母弟には有名な後醍醐天皇がいます。
北白河陵は、京都大学に囲まれた街中の陵墓なので敷地面積は実際より狭く感じられますが、北白川にある数少ない史跡の一つです。
円山公園を後にした私達一行は知恩院三門の前を通り過ぎ、更に平安神宮の大鳥居を横に見ながら南禅寺に向かいました。
知恩院には参拝したかったのですが、メンバーの皆々にはその気はなく、止む得ず三門だけを撮影して通り過ぎました。
「知恩院三門」
国宝に指定されているこの三門は、元和7年(1621年)の建立で、五間三戸の二重門となっています。
高さ24メートルの堂々たる門で、東大寺南大門より大きく、現存する日本の寺院の三門(山門)のなかで最大の二階二重門です。
なお、「五間三戸」とは、正面柱間が5つで、うち中央3間が通路になっているもの、「二重門」は2階建てで、1階・2階の両方に軒の張りだしがあるものをいいます。
「平安神宮の大鳥居」
平安神宮は1895年(明治28年)桓武天皇の平安遷都1100年祭を記念し桓武天皇を祭神として創建された神宮で、後に平安京最後の天皇である孝明天皇も合祀されました。
社殿は平安京の政庁の中心であった朝堂院の形式を約二分の一に縮少して復元したものです。
二層の神門は応天門中央正面一層の入母屋造の拝殿は大極殿、拝殿左右の桜閣は東は蒼龍桜、西は白虎桜と呼ばれています。
平安神宮も鳥居だけを見て通り過ぎたのですが、これもメンバーの疲労度や時間の関係で止む得ないことでした。
「蹴上インクライン(傾斜鉄道)」
イン・クラインは、標高差の大きい二つの水路の間の輸送を容易にするための装置で、レールを敷いてワイヤロープで船を載せた台車を昇降させます。
琵琶湖疏水の大津から宇治川に至る20.2kmの舟運ルートの途中、水路落差の大きい2カ所に敷設されました。
敷設されたのは蹴上インクラインと伏見インクラインで、蹴上インクラインは全長581.8mで建設当時世界最長でした。
伏見インクラインは全長290.8m。いずれも1890年代(明治23年~)に完成しましたが現在は蹴上のみ形態保存されています。
・蹴上インクラインの往復2対のレールは残され、桜並木になっている
「南禅寺横の水路閣(疏水)」
説明によれば、疏水(そすい)は、琵琶湖から京都市内に向けて引かれた水路で、滋賀県大津市で取水され、南禅寺横を通り京都市東山区蹴上迄の区間に造られています。
疏水の工事は1890年に竣工しましたが、その目的は大阪湾と琵琶湖間の通船や水車動力による紡績業,潅漑用水,防火用水などでした。
ところが水力発電の有利性が注目されるようになると、1889年に蹴上に発電所が建設され、1891年には送電が開始されたそうです。
・美しい水路閣です。
「南禅寺三門」
この門は別名「天下竜門」とも呼ばれ、上層の楼を五鳳楼と呼び、日本三大門の一つに数えられています。
三門の構造は五間三戸、二階二重門、入母屋造、本瓦葺、高さは約22メートルです。
両側に山廊があり、この山廊はそれぞれ桁行三間、梁間二間、一重、切妻造、本瓦葺となっており、明治32年(1899年)に国の重要文化財に指定されています。
なお、三門とは、仏道修行で悟りに至る為に透過しなければならない三つの関門を表す、「空」、「無相」、「無作」の三解脱門を略した呼称です。
山門とも書き表され、寺院を代表する正門であり、禅宗七堂伽藍(山門、仏殿、法堂、僧堂、庫裏、東司、浴室)の中の一つです。
「中門」
南禅寺を訪れるとき、まず最初にくぐる門は“中門(ちゅうもん)”です。
中門は、慶長6年(1601)松井康之より、伏見城松井邸の門を勅使門として寄進されたものですが、後に「日の御門」の拝領に伴い、現地に移建されて幕末までは脇門と呼ばれていました。
「法堂(はっとう)」
法堂は、法式行事や公式の法要が行われる場所であり、南禅寺の中心となる建物です。
創建当時のものは、応仁、文明の乱で焼失しましたが、文明11年(1479年)頃に復興されました。
その後、慶長11年(1606年)豊臣秀頼の寄進により大改築されましたが、明治26年(1893年)の火災によって焼失しており、現在の法堂は明治42年(1909年)に再建されたものです。
私たち歩く会の一行は高台寺の前の「ねねの道」を通り、八坂神社へと向かいました。
「八坂神社」
この神社は、元の祭神であった牛頭天王が祇園精舎の守護神であるとされていたことから、元々「祇園神社」「祇園社」「祇園感神院」などと呼ばれていましたが、慶応4年(1868年:明治元年)の神仏分離令により「八坂神社」と改められました。
八坂神社は京都盆地東部、四条通の東のつき当たりに鎮座しており、境内東側にはしだれ桜で有名な円山公園が隣接していることもあって、地元の氏神(産土)としての信仰を集めるとともに観光地としても多くの人が訪れています。
正月三が日の初詣の参拝者数は近年では約100万人と京都府下では伏見稲荷大社に次ぐ2位となっているそうです。
「本殿」
ご祭神は中御座に素戔嗚尊、東御座には櫛稲田姫命、西御座に八柱御子神(やはしらのみこがみ)を始めとする十三座がお祭りされています。
創祀は、諸説あるようですが、社伝では斉明天皇2年(656年)と伝えられ、平安遷都がなされた延暦13年(794年)以前よりこの地に祀られていたようです。
また、貞観11年(869年)疫病流行の際、当社の神にお祈りして始まったのが祇園祭だそうです。
「舞殿」
本殿の前にある舞殿では、梅原家と坂入家の結婚式が行われていました。
「円山公園」
円山公園(まるやまこうえん)は、京都市東山区にある公園で、国の名勝に指定されています。
園域は八坂神社、知恩院に隣接し、「祇園枝垂桜」に代表される桜の名所となっています。
明治維新までは八坂神社(当時は祇園感神院)や円山安養寺、長楽寺、双林寺の境内の一部だったそうですが、明治初年の廃仏毀釈の一環として、1871年(明治4年)に上知令によって土地が政府に没収され、1886年(明治19年)に総面積約9万平方メートルの公園が設けられました。
1887年(明治20年)には京都市へ移管され京都市初の都市公園となったそうです。
「祇園小唄の歌碑」
楓樹の下に「祇園小唄」の歌碑があります。
高さ1.5、横2.5メートルもの堂々たる自然石に、おなじみの「月はおぼろに東山」からはじまる長田幹彦自筆の歌詞が七彩で彫られています。
右手前には五線譜を彫刻した銅板譜面の碑もあります。
「祇園小唄」は作家・長田幹彦が祇園のお茶屋「吉うた」に滞在した時に作詞したものです。
映画の主題歌にもなり全国的にヒットしました。
祇園小唄の顕彰と往時を偲び毎年11月23日に円山公園の歌碑の前で、午前11時から祭事が行われるそうです。
「坂本竜馬・中岡慎太郎」
京都の公園の中で最も親しまれている円山公園に、坂本龍馬と中岡慎太郎像があります。
これは2人が揃っている珍しいもので、高知桂浜の龍馬像と並んでファンの間では有名な像だそうです。
龍馬は立ち、慎太郎は左手に刀を握り片膝をついています。
この像は、昭和11年京都高知県人会有志により建立され、第二次大戦中に撤去されましたが、昭和37年に再建されました。