らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

冬至と「日の出が最も遅い日」が異なる理由

2020-12-11 | 季節

12月に入って、日暮れが早くなりました。
畑に行っていても、4時半になると太陽が見えなくなります。
そこで今日は大阪の日の出と日の入り時刻、そして、冬至と「日の出が最も遅い日」が異なる理由について調べました。

「12月11日の大阪の日の出、日の入り時刻」
先ず、今日12月11日の大阪の日の出時刻と日の入り時刻を調べました。
12月11日の大阪の日の出時刻は・・・6時55分
        日の入り時刻・・・16時48分
となっており、 昼間の時間は・・・9時間53分です。

実は、日の入り時刻の16時48分は、昨日までの一番早い時刻から1分遅くなっています。
国立天文台の資料によると、大阪の一番早い日の入り時刻は、11月30日から12月10日までで、16時47分となっています。
一方、日の出時刻の一番遅い日は1月4日から1月11日までの7時6分となっており、今日の6時55分から更に11分遅くなります。

「冬至の日の大阪の日の出、日の入り時刻」
昼間が一番短いと言われる12月21日の冬至の日の出、日の入り時刻は次の通りです。
冬至の日の大阪の日の出時刻は・・・7時01分
       日の入り時刻は・・・16時51分です。
冬至の日の昼間の時間は・・・・・・9時間50分です。

大阪では一番遅い日の出時刻は2021年の1月4日から1月11日までの7時6分となり、冬至の日から更に5分遅くなります。
しかし、1月11になると昼間の時間は冬至の日より11分長くなり、10時間1分となるのですが、これは、日の入りが17時7分となって、1か月前の12月11日から19分遅くなっていることからです。

この画像がアナレンマです。(ウィキペディアより)
地球の自転軸が地球の公転面に対して垂直ではないこと及び、地球の軌道が楕円形であるため、地球の軌道を巡る速度に遅速が生じるためです。


「冬至と「日の出が最も遅い日」が異なる理由」
国立天文台HPによれば、次のように説明しています。
昼間の長さは、太陽の高さで決まります。
つまり、太陽が空の高いところを通過すれば、それだけ、空を横切る時間が長くなるわけです。
太陽が空のもっとも高いところを通過するのは夏至の日です。逆に、冬至の日にもっとも低くなります。
日の出・日の入の早さ・遅さもだいたいは昼間の長さで決まります。
昼間が長いと、それだけ日の出は早く、日の入は遅くなります。
しかし、夏至(冬至)の日をはさんで前後約1週間にわたっては、そうならずに、日の出・日の入ともに日々遅くなっていきます。

日の出・日の入の早さ・遅さを決めている要因はもうひとつあり、それは太陽の動き方です。
地球から見ると、太陽が空を動いているように見えますが、この動き方が年間を通して一定であれば、日の出・日の入りの早さ・遅さは昼間の長さだけで決まります。
しかし、実際には、太陽は季節によって動く速度が違うのです。
これは、以下の理由によるものです。
 ・太陽の通り道である黄道と天の赤道が23.4度傾いているため、太陽が天の赤道に対して動く速度が一定ではないこと。
 ・地球の公転軌道が楕円形であるため、太陽の日々の進みが一定ではないこと。
所謂、アナレンマが生じるからです。(上の画像をご参照ください)

簡単に言えば、地球が23.4度傾いていることと、地球の公転軌道が楕円形であることからのようですが、書いている本人もよく理解していないので、もっと詳しく知りたい方は「国立天文台」HPにリンクしておきますのでご参照ください。



アライグマ君、なぜ休みの日なのか?

2020-12-09 | 地元紹介

先日、アライグマを捕獲したのですが、今度もまた土曜日で休みの日でした。
今年は1月から今日まで、アライグマやアナグマなどの害獣の他に野良猫や野鳥を含めると合計30の個体を捕獲したのですが、不思議なことに土・日や祝日などの休日に捕獲することが多いのです。
特にアライグマは11匹捕獲した内、9匹を休日に捕獲しているのです。

・12月5日の土曜日に捕獲したアライグマです。


「アライグマ君! 君は何故、休日になると檻に入るのか?」
と、問うたところで返事があるわけではありません。

なぜ、休日に檻に入るのか分かりません。
アライグマが曜日を把握している訳ではないし、毎日、畝にたくさんの足跡を残していることから、平日にも出没しているのは確かなのです。

アライグマが檻に入った日が偶然にも休日であり、そして、その偶然が9回も重なったということに他ならないのですが、9回も重なると偶然と言えるのかどうか。
何か不思議な「力」がアライグマを檻に導いlているような、そんな気がするのですが・・・。
考え過ぎかな!?

下表が今年1月から今日までに捕獲した害獣類です。
「2020年1月~12月までの捕獲内訳
      捕獲数 (内休日捕獲)
アライグマ  11匹   (9)
アナグマ   3匹   (1)        
タヌキ    1匹   (1)         
イタチ    9匹   (2)        
野良猫    4匹   (3)        
カラス    1羽   (0)        
スズメ    1羽   (0)        
 計      30    (16)

野良猫、カラス、スズメを除くと、今年は害獣4種で24匹を捕獲し、内、休日に捕獲したのは13匹でした。
しかし、アライグマに限ってみると、11匹の内、9匹は休日の捕獲でした。
なお、スズメやカラスが入ったのは、餌にパンを使用しているからだと思います。


国友一貫斎の望遠鏡

2020-12-07 | 情報

昨日未明、小惑星探査機「はやぶさ2」が6年にわたる宇宙の旅を終えて地球に22万キロまで近づき、「リュウグウ」の砂が入っていると思われるカプセルをオーストラリアの砂漠に着地させ無事回収されました。

小惑星「りゅうぐう」は、地球のような惑星になりそこなった天体だと言われており、更に、太陽系が誕生した約46億年前の様子を残す「太陽系の化石」とも言われています。
このようなことから、生命の元になる炭素が豊富に含まれるタイプの小惑星だということで、今回の快挙を世界が注目しています。

6年間にわたっておよそ50億キロを飛行した「はやぶさ2」の小惑星「リュウグウ」の探査はこれで終わりましたが、同機にはまだ本体に燃料が多く残っていることから、新たなミッションに向かい、11年後には別の小惑星に到着して探査を行うことになっているそうです。

「国友一貫斎の望遠鏡」
ところで天体観測には望遠鏡が欠かせませんが、世界で初めて望遠鏡を発明したのは、1608年にオランダ人のリッペルスハイで、今から412年前になります。
彼が発明した望遠鏡は光を集める部分にレンズを用いた屈折式望遠鏡(レンズを組み合わせたもの)でした。

一方、それから遅れること226年後の天保5年(1834年)に、鉄砲鍛冶、国友一貫斎(1778年~1840年)が日本で初めての反射望遠鏡を製作しました。
構造はグレゴリー式の反射望遠鏡(2枚の凹面鏡を組み合わせたもの)で、倍率は約70倍。幕府天文方もオランダ製に優ると高く評価していたということです。

・これが国友一貫斎が発明した反射式望遠鏡です。


「国友一貫斎」
国友一貫斎は、安永7年(1778年)国友で生まれ、9歳で父の名を継いで国友藤兵衛と名乗り、一貫斎と号しました。
幼少のころからの父の厳しい教えを受け、17歳で父のあとを継ぎ、腕の良い鉄砲鍛冶として活躍しました。
一貫斎は、文化8年(1811年)から7年にわたって江戸に滞在していますが、この間に松平定信や平田篤胤(ひらたあつたね)など多くの人々との出会いによって、新しい知識を吸収しました。
そして、創意工夫した鉄砲の製作法を書物に表し、これにより鉄砲が大量生産できるようになったということです。

・国友一貫斎肖像画(長浜城歴史博物館蔵)です。(ネットより)

「発明家:一貫斎」
一貫斎は鉄砲作りの名工にとどまらず、発明家としても数々の業績を残しています。
江戸から帰った一貫斎は、新しい知識と自らの独創的なアイディアで次々とすばらしい発明をしています。
気砲(空気銃)、懐中筆(万年筆)、玉燈(ぎょくとう:経済的で明るい照明器具)などを発明し、更に、製作した望遠鏡で月・星・太陽を観測しながら50倍の天体望遠鏡を完成させると共に観測記録を残しました。
特に太陽の黒点の観測記録は、世界の天文史学上大切な資料とされているということです。

江戸時代にも素晴らしい科学者で発明家がいたのですね。
今回の「はやぶさ2」の快挙は、186年前の国友一貫斎の天体研究魂が受け継がれているのかもしれませんね。


つくね芋収穫

2020-12-05 | 家庭菜園

先日、つくね芋を収獲しました。
私は蔓の葉が黄色になる頃を収穫の目安としています。

・葉っぱが黄色になって収穫の時期と判断したつくね芋の蔓です。


「ヤマノイモの種類」
つくね芋はヤマノイモ科、ヤマノイモ属の芋です。
そこで、ヤマノイモの種類を調べてみました。
ヤマノイモ属の芋は大きく分けて次のように分類されています。
①自然薯(じねんじょ)
②大薯(だいしょ)
③薯蕷(じょよ)の三種があり、薯蕷は、・長芋・・・・・・むかごが着生する
                       ・イチョウ芋・・・むかごが着生する
                       ・つくね芋・・・・むかごは着生しない
                        の三つの品種群に分かれます。
むかごの着生の可否は、雌雄同株か雌株かの違いによるようです。

・収穫するため蔓を切り取った8株です。この後スコップで深く掘って収穫します。


様々なタイプのヤマノイモの中でも、つくね芋は最も粘り気が強くて、加熱したらふっくら、もっちりする特性をもっていて、食感も濃厚です。
すりおろしてそのまま醤油を掛けて食べたり、とろろ汁にしたり、揚げ物にしたり、鉄板やフライパンでつくね芋の鉄板焼きにしても美味しくいただけます。
我が家では、すりおろして「とろろ」やお好み焼きなどにして食べています。

・これが収穫した8株のつくね芋です。 この中の小さいイモは来年の種イモにします。


「栄養価」
つくね芋の栄養効果は、新陳代謝の促進、血糖値の上昇抑制、消化促進、腸内環境を整える、コレステロール値を下げるなどが期待できるということです。
更に、山芋は昔から滋養強壮、疲労回復に良いとされ、免疫機能の強化、生活習慣病の予防にも効果的だとも言われています。


在原業平 「千早ぶる」

2020-12-03 | 雑学

紅葉のシーズンもそろそろ終わりとなりますが、奈良県の斑鳩町には県内で奈良公園に次いで美しいとされる紅葉の名所があります。
そこは、百人一首にも詠われている県立竜田公園で、斑鳩町の南西部に位置し、竜田川沿いに約2km、総面積14万平方メートルの広大な敷地を持つ公園です。

・県立竜田公園の紅葉です。(ネットより)


その竜田川の紅葉を詠んだ和歌に在原業平の下記の歌があります。
今日は紅葉のシーズンの終わりを前にこの歌について調べました。

その歌とは小倉百人一首第17番に載っているあの有名な歌です。

「千早ぶる 神代もきかず 龍田川 からくれなゐに 水くくるとは」(古今集)秋・294

「意訳」
さまざまな不思議なことが起こっていたという神代の昔でさえも、こんなことは聞いたことがない。龍田川が(一面に紅葉が浮いて)真っ赤な紅色に、水をしぼり染めにしているとは。

「ことばの説明(小倉山荘HPより)」
【千早(ちはや)ぶる】
次の「神」にかかる枕詞で、「いち=激い勢いで」「はや=敏捷に」「ぶる=ふるまう」という言葉を縮めたものです。

【神代(かみよ)もきかず】
「神代(かみよ)」とは、「(太古の)神々の時代」という意味で、不思議なことが当たり前に起こった「神々の時代でも聞いたことがない」という意味になります。

【竜田川(たつたがは)】
竜田川は、紅葉の名所で、現在の奈良県生駒郡斑鳩町竜田にある竜田山のほとりを流れる川のことです。

【からくれなゐに】
「鮮やかな紅色」という意味です。
「から」は「韓の国」や「唐土(もろこし:昔の中国の呼称)」を意味する言葉で、「韓や唐土から渡ってきた素晴らしい品」を表す接頭語(頭につける語)でした。
当時の韓や唐土というと先進国で優れた品が日本に渡ってきていたので、このような意味になったのです。

【水くくるとは】
「くくる」は「括り染め」、つまり「絞り染め」にするという意味です。
「(竜田川が)川の水を括り染めにしてしまうとは」という意味で、紅葉が川一面を真っ赤にして流れていることを、竜田川が川の水を絞り染めにしてしまった、と見立てています。

「在原業平(ありわらのなりひら:825年~880年)」
在原業平は、第51代平城天皇(へいぜいてんのう:在位806年4月-809年5月)の皇子である阿保親王の第5子(平城天皇の孫)で、平安時代きっての色男として知られる人物です。
実際に竜田川へ行ったのではなく、第56代清和天皇の側室となった「二条の后」(藤原高子)のところにあった屏風に、見事な紅葉が描かれているのを見て詠んだ歌です。

在原業平と藤原高子は、以前に身分違いの恋仲だったとされています。
業平は六歌仙の一人で、性情は多感奔だったようです。
藤原氏の権力に押されて不遇な生涯だったため、そのはけ口を和歌に求めたということです。

小倉百人一首の在原業平の歌です。


「落語の”ちはやふる”」
「ちはやふる~」は古典落語の演目にもなっています。
この落語は5代目 古今亭志ん生の得意演目で、隠居が短歌にいい加減な解釈を加える話です。

「落語のあらすじ」
博識であるため長屋の住人達から「先生」と慕われる隠居の下に、なじみの八五郎が尋ねてきます。
なんでも、娘に小倉百人一首の在原業平の「ちはやふる 神代もきかず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは」という歌の意味を聞かれて答えられなかったため、隠居のもとに教えを請いにきたという。
実は隠居もこの歌の意味を知らなかったが、知らぬと答えるのは沽券にかかわると考え、即興で次のような解釈を披露したのです。

大昔、人気大関の「竜田川」が吉原へ遊びに行った。その際、「千早」という花魁に一目ぼれした。
ところが、千早は力士が嫌いであったため、竜田川は、振られてしまう、で「千早振る」だな。
振られた竜田川は、次に妹分の「神代」に言い寄るが、こちらも「姐さんが嫌なものは、わちきも嫌でありんす」と、言うことを聞かない、で「神代も聞かず竜田川」だな。

このことから成績不振となった竜田川は、力士を廃業し、実家に戻って家業の豆腐屋を継いだのだ。
それから数年後、竜田川の店に一人の女乞食が訪れ、「おからを分けてくれ」と言うのだ。喜んであげようとした竜田川だったが、なんとその乞食は零落した千早太夫の成れの果てでした。
激怒した竜田川は、おからを放り出し、千早を思い切り突き飛ばした。
千早は、井戸のそばに倒れこみ、こうなったのも自分が悪いと井戸に飛び込み入水自殺を遂げた、それで、「から紅(おからくれない)に水くぐる」だな。

八五郎は「大関ともあろう者が、失恋したくらいで廃業しますか」、「いくらなんでも花魁が乞食にまで落ちぶれますか」などと、その都度、隠居の解説に疑問を呈すが、隠居が強引に八五郎を納得させます。

そして上記の説明を終え隠居は一安心するも、最後に八五郎は『千早振る 神代も聞かず竜田川 からくれないに水くぐる』まではわかりましたが、最後の『とは』は何ですか?
と突っ込む。
すると、とっさの機転でご隠居はこう答えた。
「千早は現在の氏名で、彼女の本名は『とは(とわ)』なのだ。

この落語は昔聞いたことがありますが、古今亭志ん生の話芸は見事なものでした。

 


QRコードの開発

2020-12-01 | 雑学

最近、パンフレットやチラシ広告、商品のパッケージなど、いろいろな物にQRコードがつけられています。
先日、家電量販店のレシートを受け取ったところ、それにもQRコードが印刷されていました。

このQRコード、今ではスマホで簡単に読み取ることができるのでとても便利であり、世界中で使用されているのですが、このQRコードが日本で開発されたことをご存知でしょうか?
今日はQRコードについて調べました。

・これがQRコードが印刷されている家電量販店のレシートです。


QRコードとは、スマホなどのカメラをかざすだけで、バーコードのように情報を読み取れる技術です。

「QRコードの開発」
この技術は、1994年に株式会社デンソーウェーブが開発した日本生まれの技術なのです。
最大20文字ほどの情報しか記録できないバーコードに対し、「より多くの情報を格納したい」というニーズに応えて開発されました。

そのきっかけは1994年に「バーコードの読み取りが面倒だ」という同社製造現場の声をきっかけに、多くの情報を読み取ることができ、読み取りやすく、世界中の人に自由に使ってもらえるように、という思いから開発されたそうです。
QRの由来は"Quick Response(迅速な対応)"で、1枚あたり、わずか0.03秒と高速で読み取れることを特徴とする2次元コードです。

「背景」
1970年代初頭にバーコードが実用化されてから、流通・小売の現場の生産性は大きく改善されました。
しかし、バーコードには入れ込める情報量が少ないという欠点がありました。

そんな或る時、デンソー(株)(現デンソーウェーブ)に、「コードにもっと多くの情報を含めたい」という要望が寄せられたのだそうです。
そこで以前からバーコードの読み取り機(リーダー)を開発していたチームが、大容量かつ高速読み取りが可能な2次元コードの作成に乗り出しました。

実は一番の課題は情報量の強化ではなく、コードの高速読み取りだということで、開発担当は「ここにコードがあるという位置情報をコードに埋め込む」というアイディアを思いついたそうです。

・ウィキペディアのQRコードです


その結果QRコードに付けられたのが、「切り出しシンボル」と呼ばれる四角い枠です。
QRコードの仕組みは知りませんが、このシンボルは線の比率が1:1:3:1:1で、開発チームの膨大な調査により割り出された「印刷物で最も出現率が低いパターン」なのだそうです。

バーコードから進化した点は、情報を横並びに記録する「一次元コード」ではなく、情報を縦と横の2方向に記録する「二次元コード」であり、数十倍から数百倍もの情報を格納できることです。
デンソーウェーブはこのQRコードの特許の権利を行使せず、規格をオープンにしたことで、世の中により広く普及し、多くの企業やサービスが利用するようになりました。
最近ではQRコードを用いた決済サービスも普及しているということです。