三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

東京でのイベント

2008年04月27日 07時41分00秒 | こちら発行人です

さて、本日まで東京ビッグサイトで、
「Style Housing Expo」という注文住宅のイベントが開かれています。
当社でも、東京マーケットの市場調査を兼ねて出展いたしました。
なんですが、スタッフからの連絡ではことしの入場者はイマイチとのこと。
事情はよくわからないのですが、主催者は懸命に動員作戦には取り組んでいるでしょうから、
首都圏地域の注文戸建て住宅、イマイチ元気がないということなのでしょうか?
ちょっとわからないのですが、
それは別として、いろいろな情報交流はできているようです。
「なんで、リプランさん、こんなところにいるの?」
と目を丸くされるみなさんが多いということです(笑)。
住宅企業のみなさんや、建材関係のみなさんなど、
ひとつのミーティング機会と考えれば、成果は期待できるかも知れません。

カミさんが出張で行っているので、
心配しながら、息子と留守番をしている週末であります。
すっかり、主夫と化してハウスキーピングをあれこれと。
って、こういうのもなかなか楽しい。
冷凍イカ、1杯100円なりを買ってきて、
皮をむいて捌いて、刺身にしたりしております。
最近、嵌っているのですが、
これがなかなか美味で、しかも安い。
手間を掛ければ、食材はおいしく食べられるものですね。
そんなところに沖縄の娘からは
「教えてもらった茄子の味噌炒め、作ったよ~」
というメールが到着。
日本列島、南北で手作り料理を楽しんでいる平和な親子であります(笑)。
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超バブリーゴルフ場

2008年04月22日 05時08分23秒 | こちら発行人です

すごいですね~~~。
わたしのような一般庶民にとって、
その昔、バブルという時代があって、というお話だけを聞いていたのですが、
まさにかくやありなんというゴルフ場に行って参りました。
わたしは建築が専門なので、どうしてもそっちにまず目が行く。
って、誰でもクラブハウスには行かなければゴルフはできませんね(笑)。
とにかくこれが極めつきですね。
「おい、なにこれ?」というものすごさ。
一応外観とか、アメリカンスタイルであることは明白。
たぶん、デザインは海外有名建築家ということなのではないかと思われます。
内部には、案の定、意味不明の円柱が「どうだ!」とばかりに林立。
正面には人造の池がしつらえられていて、せせらぎも造作されている、
ってようするに、循環水になっていて人工の滝になっている。
これみよがしのアメリカン豪華インテリアの世界。
どうです、ここは選ばれしセレブのための豪華社交場でっせ、という感じ。

恵庭カントリークラブというところなんですが、
まぁ、笑うしかありませんね。
北海道で名門ゴルフ場というと、輪厚とか、島松とかといわれましたが、
わたしはゴルフ、一生懸命にやっていたのが
もうかれこれ、20年前くらいなので、そのあたりまでしか
ゴルフ場とかについての知識がなくなっていたわけなんです。
で、ひとの噂の断片くらいで「恵庭カントリー」という名前は聞いたこともありましたが、
そういう意味でのバブル的興味はほとんどないので、
深く聞いたりもしたことがなかったのですね。
大体が、ここ10 年以上、年1~2回しかゴルフに行かない生活だったのもありますが。
で、シーズントップなのにすごい好天に恵まれた日曜日、
気の置けない友人たちとのコンペがあって
仕事上、顔が利くという友人の紹介でプレーした次第なんです。
まぁ、このクラブとしては超格安と言うことでした。
でもね、豪華さに浸るのはいいけれど、ゴルフをしに来ているだけなので
1杯1000円のラーメンを食べさせられても、ありがたいとは思えない。
聞いてみると、さすがにバブリーで、平成元年開業で、すでに
2回も経営者が替わっていると言うこと。
当初は会員権2000万円というふれこみだったのが、倒産して、
現在は200万円程度だと言うこと。
ですが、誰が考えても、そういう時代ではないと思われるのですが・・・。

プレー自体はアップダウンもなく、全体にフラットでやりやすく、
まだ、春先で葉っぱも繁っていないので、多少曲げても大きくスコアを崩さずに済みまして、
スコア自体は近年まれに見る好スコアを出させていただきました。
なので、やはり、素晴らしいゴルフ場だなぁ、と(笑)、
その意味では満足させていただけた次第です(笑)。
でも、何人も従業員の方が、入れ替わり立ち替わりするレストランって、
ちょっと、どうなんでしょうかね。
庶民感覚からすると、そんなにサービスを求める人がいるのかなと疑問。
まぁ、たぶん二度と行くことはないとは思いますが、
なんか、時代感覚がすっかりマヒしそうなゴルフ場でした。
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講演会、北国の春

2008年04月21日 05時23分52秒 | こちら発行人です

土曜日には、札幌市内である住宅ユーザーグループでの講演会。
ちょうど、「いい家ってなんだ」という特集をReplanの今回号で組んだので、
そのテーマだと、包括的に話せるなぁ、ということからやって参りました。
別に、講演が主たる仕事ではありませんが、頼まれると時々やっております。
人の前で、論旨が一応通っていて、しかも
できれば、家づくりの楽しさが伝わるように話すって、
毎回のことながら、いろいろ写真を準備したり、なかなか大変ではあります。
でも、そうやって折節に作成してきたPowerpointデータが44本ほど
わたしのパソコンの中に入っております。
ただし、一番古いもので2003年のものしか残っていません。
それ以前も講演の記録は確実にあるので、全部ではない。
少なくとも、5年間に44回はやってきたのかなぁと、びっくり。
ということは、年に8回以上のペースっていうことのようです。
ユーザー向けのものから、プロ向けのものまで講演の内容は別れています。
大体が過去の似たような講演記録から、
データを最新に差し替えたりするのが一般的。
それにその時々に考えていることなどをプラスしていく構成。
今回は結局、テーマが幅広かったので、用意したスライド点数は350点ほど。
それを与えられた2時間半の時間にお話しいたしました。
最後は時間がなくなって、大急ぎでの終了でした。
でもまぁ、参加していただいたみなさんから、笑顔を見せていただけたので
ホッと、胸をなで下ろしている次第です。

ということで、仕事が済んできのうは気の置けない高校同期の連中と
月例ゴルフ大会に行って参りました。
札幌はこの冬の積雪も順調に融けていっておりまして、
日中などは、半袖で十分なほどの陽気。
まさに春爛漫から初夏かと間違うような好天に恵まれました。
毎年、春先ゴルフというと、ほとんどやる気をなくすようなスコアでしたが、
きのうはここ10年くらい記憶にないほどのいいスィングができ、
今年は何回か、やってみたいと思えるスコア。
って、ここ十数年、年1~2回だったのですが、
なんとか月に一回くらいは行きたいな、と心に決められました。
まぁ、好天のせいであることは間違いありませんね(笑)、春の珍事です。

で、帰ってきたら、家のまわりでも春の花が開花しはじめました。
写真は家の前の中学校の校庭の「こぶし」の花。
大ぶり、肉厚なはなびらが豪勢な感じがして、大好きな花です。
さて、きょうからは東北の方に取材で行きます。
桜が待っていてくれるでしょうか?
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近隣のマンション建築計画

2008年04月15日 06時29分10秒 | こちら発行人です

わが社の建物は、大きな準幹線道路に面しています。
繁華な商業地域から連続してきている道路で、便利も良く
地下鉄もそう遠くないので、まぁ、比較的に便利な敷地にあります。
そういうことなので、すぐお隣にはマンションがあったりします。
ウチの社屋は住宅雑誌の編集部ということもあり、
単純な木造2階建てという至ってシンプルなものなのですが、
新築時にはとなりのマンションのせいでテレビの電波障害があり、
電気屋さんが苦労してアンテナ位置を特定しておりました。
やはり大きな建築は、近隣に対していろいろな障碍や迷惑を与えざるを得ないもの。
しかし一方で、大きな賑わいも自然に出来上がっていくので、
商業的発展などの面では不可欠な部分もある。
都市という環境の中での住宅というものの存在を考えさせるきっかけにはなりますね。

一昨年に着工して大きな工事を行っていたお向かいの敷地でのマンション計画。
ことしになって、4階までの工事ができていた建物が解体されて
更地になっておりました。
例の姉歯さんと同様の耐震偽装問題が発覚して、にっちもさっちもいかなくなって、
とうとう、転売して解決することになったようなのですね。
その敷地に新たなデベロッパーによるマンション計画が再度持ち上がり、
その工事に対する「アンケート調査」なるものが来ていました。
写真は不明瞭ながら、冬至の頃の日影についての影響を地図上に表現したもの。
わが社の建物や駐車場部分にも大きな影が架かることになっています。
前回の工事については、まったく通知がなかったことを考えると
今回は事前にこのような案内が来ているので、
まだましな対応とは思われますが、やはり影響はある。

しかし、こうしたお知らせも「町内会」が資料作成して回覧形式を取っています。
町内会の役員さんも大変だと思います。
自分のことではないのに、調整の機能を果たさなければならない。
少なくとも文書を作成して説明を加えなければならない。
これまでも住宅クレーム110番には多くの相談も持ちかけられてきたテーマですが、
こういう近隣の問題って、自分にも降りかかってくるとなると、
改めて、大変なことなんだなぁと思い知らされることですね。
さて、対応を考えていかなければなりません。
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ご近所の火事

2008年04月05日 07時28分58秒 | こちら発行人です

きのう、昼過ぎ、ふと窓の外を見たら
モクモクと煙が上がっている。
こんな近くでたき火でも? と見ているうちに大きくなってくる。
なにか人の動きがあわただしくなっている。
と思うウチにサイレンの音が響きはじめました。
火事です。それもごく近い。
まぁ、大きな通りを挟んで100mくらい離れているし、
消防が来ているので、類焼などの恐れはなさそうでしたが、
一応念のために、現場を確認しに見に行って参りました。

火元になった住宅は、賃貸住宅のようで、見る限りでは在宅していた方は
いなかったようではありました。
救急などの車両も手配されていなかったので、不幸中の幸いだと思います。
火事っていうのは、さて何年ぶりなのか、記憶にもないのですが、
昔に比べると、燃焼の臭い、どうも違うような感じがしました。
周辺には化学物質的な燃焼の臭いが立ちこめているのですね。
見ていると、電気配線の外部ケースが燃えている。
そういう部分のニクロム線などが燃える臭いなのか。
風向きによっては、かなり人体に影響しそうな感じがいたします。
最近の火事で、一番こわいのは建材などから発生する有毒ガスだ、
と聞かされることがありますが、
実感を伴って理解されました。

そのように考えると、こんにちの住宅づくりではいわゆる新建材が多い。
防火のうえではいろいろ進歩はしていると思いますが、
一度火事になってしまうと、こういう素材は怖さもありますね。
しかし、消防署がごく近い、1km以内にあるということで、
出動も早くて延焼はまったくなく、火元の1軒だけの被害。
見ていると、ほんとうに消防のみなさんが頼もしく見えます。
もうもうたる煙の中に飛び込んでいくなど、
まさに身を挺して火事の消火に当たってくれていました。
こういうみなさんが社会の安全を見守ってくれているのだと感謝の思い。
ひるがえって、わが家や事務所の防火を再点検する気になりました。
くれぐれも、火の用心ですね。

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学童保育

2008年03月31日 06時18分12秒 | こちら発行人です

わが家は夫婦とも仕事をしています。
そういうように決めて生きてきましたので、必然的に
こどもの養育については保育所に預かってもらってきました。
ご存知のように保育園は法律的には
「保育に欠ける」児童への「福祉」として行われています。
その点、幼稚園は「児童教育」の一環であり、全然別物なんですね。
一方は文部科学省の管轄であり、もう一方は厚生労働省の管轄という違いがある。
福祉という以上、国の政策としては色々な制約があり、
小学校に入学すると、基本的にはその対象から外れる。
しかし、一方で先進国はどこでもそうだと思うのですが、
労働力の不足から女性の社会参加が必然の流れ。
女性も一生涯を貫くような仕事を持つのが当然の流れになってきている。
そのときに、こどもの養育についていつまでも
「保育に欠ける」という認識で対処しようというのは社会的におかしい。
こどもの世界では、昔とは違って、ガキ大将によって統括されていた
「遊びを中心としたこども社会」というものが、ほぼ社会的になくなっている。
したがって、下校後のこどもたちがお互いに「育ち合う」ような環境がない。
各地域には「児童会館」という「場所」はあるけれど、
あれは「こどもを管理している」というだけの存在。
教育でもなければ、人格涵養のための存在でもありえない。
実際にわが家でも、小学校1年生の一時期、行かせたりはしたのですが、
ちょっと絶望的な環境だったのです。

そんな思いを同じくする保育園時代の親たちで
その地域に立派な児童会館が存在する地域で、学童保育を立ち上げました。
ウチの坊主は地域も違ったのですが、そこの立ち上げのために
遠距離ながら通わせていました。
まぁ、遠いので土曜日や夏冬の休みのときなどが中心でしたけれど。
初めて取り組むというのは、社会的にも摩擦があり、
資金的にも行き詰まったりもします。また、ひとがすることなので
やはり行き違いとか、考えの相違なども表面化します。
事業を始める、というのとまったく同等の苦労がともなうものです。
そういういろいろ万感の思いを注いでみんなでやってきた
学童保育だったのですが、きのう、めでたくわが子を含めた
第1期生4人が「卒所」式を迎えることができました。
はじめるとき、「10人以上」という要件が求められ、
人集めに苦労したことがついこの間のことなのですが、
いまでは、50人を超えるような大人数にふくれあがり、
逆に母体になったと言える保育園からも憧憬されるような存在になってくれました。
そんな現状を反映して、きのうの式は立派なホテル並みの会場での盛大なもの。
しかも、創設時からの指導員のひとりが沖縄出身ということもあって
みんなで取り組んでいる「エイサー」で名高くなっていて、
そのエイサーでにぎやかに卒所を祝う楽しいものになりました。
こうした環境の中で、わが子ものびのびとした空気を満喫していたようです。
まぁ、ちょっと満喫しすぎな面はあるようですが(笑)・・・。
ちょっぴり寂しくて、でもはじけるように楽しくて、
こどもたちの笑い声・笑顔が底抜けにうれしかった一日でした。
これからも、次のこどもたちが主役になって
明るい学童保育を続けて欲しいと思います。長い間、ありがとうございました。
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小学校の卒業式

2008年03月20日 05時43分21秒 | こちら発行人です

きのうは下の坊主の小学校卒業式。
お姉ちゃんの入学から数えると、14年間お世話になった小学校から
わが家もようやくお別れということになります。
朝、坊主にはじめてネクタイを締めてやりました。
わたしのネクタイを貸して、使ったわけです。
そのあと、写真に納めたら、なんと大人びた表情。
うれしいやら、ちょっとさみしいやら、悲喜こもごも。
こどもは授かり物、と言いますが、
やはり節目のときには、色々な思いが去来します。
小学校の卒業って、
自分自身で考えても、少年期の終りが来た、という印象。
これから、疾風怒濤の思春期・青年期に突入するわけで、
こころのなかの帯をしっかりと締めて掛からねばならないと思いますね。
最近は中学受験など色々チャレンジする子どもも多くて、
否応なくこどもたちに受験戦争という社会を反映する現実が押し寄せてきます。
うちの子が通った小学校では、ひとりひとり名前を呼ばれて
証書を受け取るときに、卒業の決意を語るのですが
一足早く、そうした現実に直面した子どもたちは
やはり少し大人びた発言をしていました。

自分自身のことも胸に去来させながら、
卒業式を見ていたのですが、形式こそ違え、
やはり、同質の思いは十分に伝わってきて、
胸が熱くなるようなところもありました。
こどもたちの大きな声が、なんともいとおしく響いてくるもの。
こんな気持ちを持てるということに、
感謝したいと深く思った次第です。
親としての仕事は、あと少なくとも6年間は厳しく続く。
でも考えてみたら、あとほんの6年間で子育てという
人生での大きな仕事にも節目がやってくる。
忙しい中ですが、そういう時間をこどもといっしょに過ごすのに
なんとか充実したかたちで立ち向かっていきたいと思っています。

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わたしのCO2

2008年03月19日 06時39分47秒 | こちら発行人です
CO2削減って、いろいろ言われているのに
じゃぁ、どういう風にしたら個人生活レベルで削減できるのかって、
そのような論議はあまりされませんね。
こういうことは、なにを表しているのでしょうか?
考えられることは、問題があまりにも大きすぎる話なので
とても日常的なこととして想像できない、ということ。
その裏には、個人生活と直接結びついているという意識が希薄
ということを表現している。
こういう見方は、やはり大きいと思いますね。
それともうひとつは、CO2って、「可視化」できない、ということも大きい。
ことばやイメージではさんざん言われているけれど、
具体的なかたち、数字レベルで把握することが難しい。

スウェーデンの無暖房住宅を建てたハンス・エークさんが
講演したときに聞いた話の枕エピソードは、
「わたしがこの場所にたどりつくまでに消費したCO2排出量」について、でした。
家を出て、自転車でどこそこまで行き、
そこから公共的交通機関を使用して、それらのCO2排出量を計算していくのですね。
そのときは、そういう計算式ソフトがあるものか、と
感心して聞いていただけだったので、
詳しく質問することはできませんでした。
サミットが迫ってきて、こうした話題が大きくなってきていますが、
それでもなかなか、日本では普及していない。
なにかないものか、と探していて、
インターネットで探したのが、このソフト、っていうか簡単な計算ソフト。
My CO2というそのまんまのものなんですが、
http://www.myco2.net/eco-pro/index.php
というところで、公開されています。
スウェーデン製のものだそうで、日本語版にしました、ということらしい。
で、わたしの暮らしぶりなどをアバウトながら、入力して得られたのが
写真のようなデータでした(冷や汗)。
まぁ、ちょっと問題のある暮らしぶりであることが暴露されました。
とくに出張が多い生活というのは、CO2の排出量が大きいと言えますね。
でも、それはあらかたがわたしが乗らなくても排出されるものなので、
やっぱり、自分が出しているという感覚からは遠い。
そういう意味から言えば、まだぴったりアジャストしているとは言い難い。
しかし、ひとつのガイドライン的な意味はあるといえます。
わたしの現在の生活ぶりでは1年間に15.11トンのCO2排出。
日本人の平均的排出量が10.6トン、京都議定書目標レベルで9.3トン。
というような数字的な把握がとりあえず得られるというのは
意識的にはたいへん大きいものがある。
これからいろいろ考えていくのに、こういう指標が
もっと充実していく必要があると、痛感している次第です。
みなさん、いかがお考えでしょうか?

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年間降雪量

2008年03月02日 06時13分25秒 | こちら発行人です

札幌って、実は世界的にもたいへんめずらしい都市なんですね。
というのは年間降雪量のこと。
世界の大都市のなかで、第2位の積雪量のロシア・サンクトペテルブルグの
年間3mに対して、なんと倍以上の6.3mっていうことなんです。
ふつうだったら、こんなところには大都市はできないだろうと思われる地域。
寒いだけなら経済活動ではそれほどの支障は出ないかも知れないけれど
それに積雪条件が加わると、いろいろに難しい問題が出てくる。
公共の支出として、除雪費なんていう、
どう考えても無に帰すような予算を消費しなければならない。
それでも都市として大きく成長してきたのは
明治の日本が国策として取り組んだ結果ですね。
いわば計画的な、近代欧米的なスタイルの計画都市を造ってきた。
純粋に経済的に考えたら、無駄が多くて、とても維持できないのではないか。
産業としての製造業が少ないというのは、
歴史が浅いということもあるけれど、地域的なデメリットが大きいということでしょう。

というような条件の中にわたしたちはいます。
ことしの冬は、出だしの時期が小雪で、
「まれにみる」というような状況だったのですが、
年が明けてからは、まさに帳尻を合わせるような降雪ぶり。
もういや、っていうほど雪が降り続いたと思っていたのですが、
写真のようなデータを見ると、ことしはむしろ、まだ小雪なんだとか。
まぁ、札幌人の言い伝え(笑)では、
年間に降る雪の総量はそれほどには変化がない、というのがあります。
雪は日本海の水蒸気が、大陸からの寒気団による季節風でもたらされるもの。
そういう意味では、ほぼ6ヶ月間のスパンで見れば、
確かにそう、大きな変化ってないものなのかも知れません。

そう考えると、ことしはまだ、4mちょっとの積雪なので、
あと2m近い雪、いままでの半分くらいは残っている計算になります。
雪かきの苦痛は腰のあたりに蓄積してきておりますが、
まだまだ、先は長い付き合いがありそう。
しかし、1週間ほどの出張に出るので、
その間、家人には負担が掛かるなぁ、と申し訳ない気分。
ここんとこの雪はさすがに水分が多くなっている感じで、
除雪にも骨が折れる雪なんですよね。
願わくば、帰ってくるまでドカ雪が来ないことを祈っている次第です。
でもまぁ、3月なので、もうすこしです。がんばりましょう。
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江戸期の平和維持システム

2008年02月29日 06時12分24秒 | こちら発行人です

ライシャワーさんと司馬遼太郎さんの対談、どちらも故人ですが、
それを読んでみたら、ライシャワーさんがさかんに江戸文化に着目しています。
江戸期、たいへんな平和社会を200年以上継続したことで得られた、
集団内部での協力性とか、組織への忠誠心というような
日本と日本人社会が獲得した「組織平和の維持」システムに大きく注目しているんですね。
このようなものの見方は、やはり欧米人であって、
一方で深く日本及び日本人を理解したライシャワーさんの慧眼だと思います。
まぁ、日本人が気づきもしないようなところまで深く日本人を研究したこんなひとが
アメリカ戦争参謀本部みたいなところにいたんですから、
彼我の違いを考えれば、敗戦は必然だったのでしょう、余談ですが。

それはともかく、江戸期の社会のシステムの中に
現代の日本の素型はすべて出来上がっている、
現代が変化したのは、表面的な形だけであるというようなことば、なんです。
確かに現代の企業や官僚システムなどの内部の論理を見ていれば、
その独特の組織維持の強固な安住性というものは際だっていますね。
江戸の末期に、官僚化した幕府組織が非効率そのものになって、
まことにあっけなく瓦解したともいえるのですが、
その原因は、組織の維持ということだけが大目的になってしまって、
本来の目的に対して機能しなくなるような、組織内平和第一のシステムなんですね。

こんにちさまざまに官僚機構において起こっている
末期症状とも言えるようなシステム障害の数々を見せつけられています。
防衛省の機構的とまで言える「システム障害」が引き起こしている海難事件。
官僚システム内部での弛緩ぶりが、もはや、外部にあられもない形で表面化している。
一般社会に対して、整合性のある説明も取れないような破綻ぶり。
艦長さん個人としては、まことに正しいことばを発していましたね。
「国を守るべきものが、国民を死に至らしめてしまった・・・」
こうした認識がまだ残っているウチに、
このシステム上の不具合に対して、直していくことに取りかからなければならない。
インターネットの普及による個人意識の高まりは、
江戸期から続くこれまでの社会が第一の大前提としてきた、
「組織維持がもっとも大切だ」という考えに風穴を開けつつある、
というのが現代の変化の一番大きな部分なのではないでしょうか。
このような見方が出てきたことで、
既存の官僚システムの破綻ぶりが際だってきているということも言える。

もともとが強い個人意識に裏付けられた社会である欧米では
インターネットの出現は、その延長線上でのことになるのでしょうが、
日本型の社会では、未体験の領域を作り出してしまう、
そんな気がしてなりません。
みなさん、いかが感じられているでしょうか?

<写真は江戸期の出版物、旅行カタログから。>
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