三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

北海道での円空さん

2009年05月31日 07時41分26秒 | Weblog



写真は北海道南部・江差の隣町、上ノ国の漁家に残された円空仏。
円空さんは、ご存知、江戸初期のひとですが、
美濃の出身で、全国を造仏行脚して歩いた、変わった人生を歩んだひと。
北海道内でも伊達市などでもかれの活動が残っていたりします。
上ノ国は、江差にも近い道南松前氏の拠点。
和人地の北限にも近い地域。
ちょうど王朝人が仙台周辺、宮城野のあたりを北限地域と考えて
王朝文学の中の宮城野テーマを紡ぎ出していったように、
かれ、円空さんも「北への憧れ」という
日本民族に強い意識に駆られてこの地を巡り歩いたものでしょうか。

この仏像がどのようにしてこの地に残されていたのかは、
わかるわけもありませんが、普通に考えれば、
円空さんの生きた時代、この地の誰かが
円空さんに仏像彫刻を依頼し、その見返りにかれに幾ばくかの謝金と
何日間かの旅宿を提供したものでしょうね。
一生の間に12万体の仏像彫刻を作った、ということですから、
創作期間が50年間にわたったとしても、1日6体くらいは作ったことになり、
高さ40cm程度のこの写真の仏像などは、
ほんの1時間程度で作り上げてしまったことでしょう。
かれの生き方は、目当てを大体決めて
その地に逗留し、その間、地域社会の口コミネットワークで紹介を受け、
依頼を受け付けて、一気に作業を進めていったことでしょう。

人間の活動としてはまことに自由人的であり、
わたしなども、憧憬してやまない存在なのですが、
旅の中では、たとえば津軽・弘前では追われるように出国させられたとかいうような
いろいろな事情も発生はしたことでしょうね。
また、純粋に造形作家という形での世渡りではなく、
宗教者という肩書きや、仮の姿も便利に使っていた気がします。
しかしそれにしても、
今日のぎすぎすした社会に比較して、
かれの生きた時代の社会の包容力に羨望の念も持ちます。
こんな仏像を作り続けることで、社会に一定の位置を見いだし得ていた、
そういうことに、寛容な社会システムって、
素晴らしいのではないかと思えてなりません。
今日社会では、中高年男性の自殺率が異常に高い社会。
なにか、ひとの生き方を考えさせられる仏像の笑顔だと思います。




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