三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

過去への想像力

2009年05月11日 05時47分10秒 | Weblog




よく考えてみるんですが、
わたしたちは現在と向き合いながら、生きている。
段々年齢を重ねてくると、このひとつながりの「現在」がいろいろに存在してくる。
って、変な書き方ですが、
複合的な要因からものごとって進行していって、
思わぬことが起因で、まったく別のことが変化したりもする。
歴史とか、勉強の世界ではまっすぐに
「信長による天下統一事業」みたいに
特定の人間の生きた視角からとらえ返したりして
整合性を与えようとしたりする。
でも、現実的には、個人も内面も大いに変化し続けているもの。
跡づけて考えれば、信長という人物はこうであったのではないか、
というような「まとめ」は不可能ではないだろうけれど、
どうも実態とはかけ離れざるを得ないのではないか。
どうしても、個人の考え方などに依拠した方が
まとめやすい、という方向に行きたくなりがち。
ある個人が、大きな役割を果たす、ということはあっても、
直近の時代で考えても、ものごとは個人の思惑で決定されたりはしない。

まぁ、基本的には経済的な変化が時代を動かしていく最大のテーマ。
写真は北海道の江戸期から明治にかけて
大きくにぎわった収奪型産業・大型漁業の様子を描いたもの。
こういう産業って、驚くほどに
残っているものが少ない。
かろうじて風化に耐えて建築が少し残るけれど、
たとえば、「松前の春は、江戸にもない」と謳われたような繁栄の様子、
というのは、具体的なものとしては残ってこない。
よく、こういう収奪産業で蓄積された資本・富は
北海道に残ることなく、
ちょうど、開港して世界との貿易基地として栄えた横浜などに
移転していったのだ、というようなことが言われる。
そういう意味では、現代の金融ビジネスの存在に近いようなものだったのかも知れない。
農業などは、なにかの文化を随伴させていく。
生産のいろいろな局面で、そういう形態が残っていきやすいのでしょうね。

北海道の歴史って、
わたしも小学校以来、習ってきても、
スタートが明治維新以降にしか、スポットが当てられない。
しかし、歴史の事実としてはさまざまな収奪型ビジネスは展開されていた。
そういう歴史を掘り起こして、
まっとうな人間の営みの時間的把握をしなければならないと考えると、
やはり想像力が、絶対に必要になってきますね。
オホーツク海沿岸部の歴史時間とか、
発掘できてきた事実で、想像力が高まってきております(笑)。
なんか、まとまりのないブログになってしまった(笑)、
お許しくださいね。



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コメント
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