ふたたび、北総研の発表会セミナーからの報告。
研究発表に先立って北海道住宅の流れを説明する際に見せられた写真。
昭和27年というのは、わたしの生まれた年であります。
年号って、やっぱり連続性として記憶するときにちょっと記憶しにくい。
平成という新しい年号になって、あれ、何年ころだ
っていうように、周辺的な事実が不鮮明になってしまう。
そこへいくとやはり西暦は、概略の時代背景が即座に見えてきて、
いろいろな情景を思い浮かべるのに便利だと思います。
っていう次第ではありますが、
これが、いまから57年前の北海道の一般的な住宅です。
戦争が終結して、大量の復員者が北海道各地に開拓者として入植した
その直後に建てられた住宅なんですね。
住宅というか、まぁ、小屋がけと言った方がふさわしいのかも知れません。
壁にはかろうじて木材の板が張られていますが、
屋根はどうも茅葺き。
柱もたぶん、掘っ立てで立てられていて、
垂直が確保されているようではない。
もちろん、本職の大工に頼めるようなゆとりがあるわけもなく、
開拓者が自分で建築したことが偲ばれる。
戦争という社会の崩壊のような状況から、まさに命を繋ぐ最低限のスタートライン。
そんな状況がひしひしと伝わってくるような写真です。
こういう現実から、戦後の北海道の住宅ははじまったのですね。
全国の地方政府・自治体で、住宅建築についての専門研究機関を持ったりしているのは
特異的に北海道だけなのですが、
その使命感の源泉に、こういう建物で、厳しい自然条件を克服していかなければならないという
いわば、切羽詰まった状況があったのです。
悲惨ではあるけれど、とにかく何とかしなくてはならない、
っていう使命感のようなものは、多くの道民共通の課題だった。
今日でも、建て主と、技術者・研究者など多くの人間が
共通の課題として認識できている部分があるワケなのです。
本州地域で、建築技術知識がいわばノウハウとして、
知識財として、それが取引材料になる部分を感じるのに対して、
北海道では、いつもフランクにそれが語られあっているのには
根源的なこういう共通項が存在しています。
まぁ、しかし、考えてみればほんの少し前まで
現実の姿はこんなものだったのだなぁと、改めて思い知らされます。
古民家、いあや、復元された古代の遺跡住居とも
そう大きくは違っていない。
こういう建物に、わたしの世代やわたしの父母たちは
いのちを育まれてきたのですね。
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